VALS類型論

Facebook・清水 友邦さん投稿記事

80年代にアメリカで膨大な費用をかけて大規模な消費者調査が行われました。

その結果新しいライフスタイル分析の手法として、スタンフォード研究所のアーノルド・ミッチェルによってVALS類型論が著わされました。「パラダイム・シフト」TBSブリタニカ

それによるとVALS類型論の最初の3段階の生存型、維持型、所属型はマズローの生理的欲求、安全欲求、 帰属欲求にほぼ対応しています。

「必要に駆られた人々」

生活物質が非常に限られていて、選択する余地がなく、必要に駆られた人生を送ります。生存、安全、保障、世俗的な因襲に関心があり、それ以外の出来事には関心が薄いのです。その場しのぎで無計画になりやすく、人生や社会全体に対する成熟した見通しをほとんど持っていません。目先のことに駆られた人生を送ります。

生活が厳しく、あきらめの気持ちで貧困に喘いでいる「生存型」とある程度生活を維持しながらも自分たちを抑圧している体制に怒りや不信もっている「維持型」があります。

VALS類型論ではその後の展開は外部指向型と内部指向型の二重構造になっています。

VALS類型論の外部指向型には「競争型」と「達成者型」があります。

「所属型」は自分の所属する企業、宗教、団体、組織に順応して決められた規則に固執します。必要に駆られた人々よりも満足した人生を送ります。大多数の目立たない所属型の人々によって社会が構成されています。

「競争型」は野心があり成功を求めて強い競争心を持っています。目標は「金持ちになる。」「一流の運動選手になる。」「肉体の快楽の追求」など名誉、社会的地位、財産を求めます。いい車、いい家、高価な宝石、一流ブランドの衣服を身につけ目立つことを好みます。そのため他人と競争して昇進と成功、金と権力、名声を求めようとします。しかし、競争は勝者と敗者を生むため、強い葛藤や欲求不満、ストレスにさらされます。

 「達成者型」は競争に勝った数少ない人々のことです。いわゆる成功した人々です。成功したので自信があり、達成した当初は社会的地位に満足しています。そしてその生活を継続すること望みます。その状態に飽き足らなくなると、この状態を超越して統合型にいきます。

アメリカ人の69パーセントはこの外部指向型だといわれています。貧困や豊かさもたらす目に見える経済的成功や物質的なものに価値を置いています。

内部指向型には「わたしはわたし型」と「体験型」と「社会意識型」があります。

  60年代から伝統的な家族の崩壊が進みアメリカの社会が大きく変化していきました。マズローのモデルでよくあるパターンは長年、一生懸命働いて昇進して社会的に成功した会社の管理職のような人が晩年、真理を好み、宗教的になり、社会貢献をするようになって自己実現にたどり着くことですが、そんなマズローの欲求の階層をとばして突然20代の若者が自己実現の道を歩み始めたのです。

60年代のネパールでは髪をのばし社会からドロップアウトして内側からチベット密教に入り込む若者がいました。その当時ネパールに滞在して「チベットの死者の書」を訳した川崎博士は専門学者よりもチベット密教に通じた薄汚いよれよれの若者を見て、「ヒッピー恐るべし」と言いました。かれらは従来の社会の価値に左右されず、自らの道を歩もうとした人々でした。

VALS類型論の内部指向型には「わたしはわたし型」と「体験型」と「社会意識型」があります。

「わたしはわたし型」

 社会の価値観や常識よりも自分の価値観を優先させます。激しいロックやけばけばしい服装を好んだりします。外部指向型の両親に反発します。仕事も気に入らないとすぐ止めてしまいます。どこかに帰属することをいやがります。若く自己中心的でフリーターに多い。他人との違いをもとめ飽きっぽい。オカルト、神秘主義に関心を持つ者もいます。「わたしはわたし型」は経済的に短期間しか続かないので20代にわりあいと多いのです。

「体験型」

 「わたしはわたし型」が成熟すれば自分の内面に向って自分自身を体験する方向へ向います。家族生活を大切にしたジョンレノンのようにパンを焼いたり料理を作る事に喜びをおぼえたりします。有機農業の体験、サーフィン、山登り、サイクリングやスピリチュアルなワークショップなど体験的な方向に走ります。瞑想を実践してある程度トラウマを解消して至高体験をしている人たちです。

世界中を旅して精神世界を体験したあげく結婚して今は菜食料理を調理する事に大変な快感をおぼえて喜んで主夫業にいそしむ人もいます。

社会意識型

私のまわりには瞑想、ヨガ、セラピー、ボディワーク、自然菜食、オーガニック、有機農業、ディープ・エコロジー、脱原発や環境問題に関心を持っている人が多いです。

VALS類型論の「わたしはわたし型」から「体験型」を経た人々が増えてきています。

社会意識型は意識が自他を超えて社会全体、地球、宇宙まで広がった経験を持っています。

自分自身を体験して来くると、隠遁しても社会と無関係に生きていく事はできないことに気づきます。そんな人は自己感覚が自己を超えて社会まで拡大しているので責任感が強くなり社会活動に積極的になります。

環境に関心を持ち治癒に繋がる仕事を好み、自己を信頼し簡素な人生を生きようとします。 上意下達のピラミッド型組織に疑問をもち社会変革を進めようとしています。

ここで注意が必要なのは社会活動や市民運動のひとの中にはイデオロギーだけの人もいます。体験型を経ていない頭だけなので内面に心理的な防衛や抑圧があります。内側に強い緊張がありリラックスしていません。強い葛藤を抱えている人は「社会意識型」ではありません。自分のシャドー(影)に無自覚なので、抑圧された影を投影して外側に敵を作ります。そして影は全能感を得ようと他に対して攻撃的になり相手を支配しようしたり、やり込めようと力を誇示するのです。

最後は内部指向型と外部指向型のどちらの道も成熟した「統合型」へ向かいます。

統合型は意識が成熟していて、内面の衝動を自覚することができます。外部指向と内部指向が統合されているので物事を多面的に見る事が出来ます。他人の考え方に寛容さがあります。自分が何をすれば良いのかわかっているので必要とあらばリーダーにもサブにも回れる柔軟さがあります。この世界が関係性の織物で出来ていることを知っているので高次の判断と決断ができます。

統合型の人々はまだ数が少ないですが統合型の人間が増え社会が成熟すれば法律、政府、裁判所、警察、軍隊は必要がなくなり、国境線は消えるでしょう。

結局、一人、一人、個人の意識が成熟していくしか道はないのでしょう。それまで人類が生存できる環境を願います。

清水友邦著「覚醒の真実」より