戦後俳句の巨人の「いま」

https://dokushojin.com/article.html?i=925   【戦後俳句の巨人の「いま」】 より

数十年来の知己がまとめた一書

子兜太氏は戦後俳句史の有名な反逆児である。昭和初期、高浜虚子の「ホトトギス」に反旗を翻した新興俳句は、同十五年に関係者が特高警察に検挙される事件で壊滅するが、太平洋戦争敗戦後に復活する。西東三鬼や加藤楸邨の他、戦地から戻った石田波郷や金子氏等々、新興俳句関係者は戦後日本の復興とともに活動を再開し、その後の俳句界は彼らの論や作品が中心となった。

中でも金子兜太氏は数多の議論や問題作を提供した俳人である。「古池の「わび」よりダムの「感動」へ」と銘打った『今日の俳句』(1965)を上梓した時、氏はすでに「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」(長崎の句)等を発表し、社会性俳句(俳句で社会問題等も詠みうると主張)の旗手と目されていた。労働問題やドラム罐も詩として詠みうるのだ…氏はこれらを作品とともに大量の評論で主張し、上の世代の中村草田男らとも堂々と論争を張り、従来の俳句観への反逆を宣言した若々しい筆致に「戦後」を感じた俳人は多い。

「社会性俳句」が一段落すると、金子氏は自身の存在のありかをさらに尋ねるべく風土や自然、郷里の「土」の匂いを慈しむとともに、漂泊俳人種田山頭火や小林一茶にのめり込み、かつ「人体冷えて東北白い花盛り」「暗黒や関東平野に火事一つ」等の傑作を詠んだ。かつて既存俳壇や伝統的俳句観に噛みつき――と噛みつかれた側は感じたが、金子当人はさっぱりしたものだ―――、自身に貼られた社会性俳句のレッテルも悠々と剥がした金子氏は、今や戦争体験者として平和を守るべく反戦を唱えるとともに、かの一茶に通じる「荒凡夫」の好々爺(九十七歳!)として活躍している。その兜太氏が「いま」いかなる存在かを立体的に浮き彫りにしようとしたのが本書である。

本書は三部構成で、第一部は「自選自解百八句」、第二部にインタビュー「わが俳句の原風景」を収め、第三部は「いま、兜太は」と題して十人の随筆を載せる。煩悩の数になぞらえた「自選自解百八句」には先に挙げた代表句もほぼ収録され、第二部インタビューでは東京を離れた経緯や一茶と山頭火の差異、、また自作「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」を戦争体験に引きつけて再解釈するなど、彼自身が「金子兜太」を「いま」どのように捉えようとしているかがうかがえる内容で、それを引き出しえたのはインタビュアー青木健氏が金子氏と数十年来の知己であるのが大きいのだろう。

第三部の随筆は嵐山光三郎、いとうせいこう、宇多喜代子、黒田杏子、齋藤愼爾、田中亜美、筑紫磐井、坪内稔典、蜂飼耳、堀江敏幸各氏が稿を寄せている。この執筆陣を一瞥するだけでも「いま」の金子氏が広く知られる存在たりえているのがうかがえよう。同時に、第三部には次のような一節も見える。「兜太の俳句を読もう。(略)戦争に反対する正義の俳人・兜太、あるいは、元気じるしの大俳人が出回っている」(坪内氏)。あるいは、兜太氏が注目されるのは「高齢にもかかわらず元気だというような理由からでなく、表現に向かう気概が圧倒的で、説得力をもつから」(宇多氏)。一九六〇年代から金子氏の作品の迫力を間近に感じ続けた両俳人ならではの含蓄ある一言だ。

編集者の青木健氏と金子氏が初めて会ったのは一九七〇年。青木氏の約半世紀の積み重ねが本書を成立させたともいえるわけで、この書籍に編集者と実作者の幸福な邂逅を見るのは出版関係者であれば諾うところがあろう。俳句に関心のある読者はもとより、執筆関連の業界人にも推薦したい一書である。

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