https://www.adlersalon.com/entry/2019/04/12/%E3%80%90%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E5%BF%85%E8%AA%AD%E2%9D%97%EF%B8%8F%E3%80%91%E4%B8%8D%E5%B9%B8%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A6%E5%AE%9F%E4%BD%93%E3%81%AE%E7%84%A1%E3%81%84%E5%B9%BB%E6%83%B3%E3%81%A7%E3%81%99
【【絶対必読❗️】不幸なんて実体の無い幻想ですよ❗️】
アドラー心理学サロンです。
皆さんも今まで一度くらいは、つらい時や悲しい時に自己憐憫に陥ったことがあるのでは無いでしょうか?
「自分は恵まれない境遇で可哀想なんだ…」
「何で自分ばかりこんな目に遭わないといけないんだ…」
「自分は周りの人達に人生を妨害されている…」
こんな風に考えては、自己嫌悪になったり生きる気力を失ったことはございませんか?
本記事では、つらくて悲しいことに遭遇した際に、どのように不幸を捉えて前を向く勇気を持つのかについて解説させて頂きました。
世の中、何も問題を抱えていない人なんて存在しません。
一見、明るくて何の悩みも無さそうな人であっても、頑張って明るく振舞っていることだって決して珍しいことではありません。
つらい時にこそ、人は本性を表します。
自分の憂さ晴らしをする為に、他人のあら探しをしてあること無いこと批判したり、自分は不幸で可哀想なんだ存在なのだから特別扱いをされるべきなんだと考えてはそれを態度に表したりします。
人には今よりも良い状態でありたいという「優越性の追求」という性質があるとアドラーは言います。
人間には劣等感が必ずあり、人は劣等感から逃れることはできないともアドラーは考えます。
しかし、劣等感を克服する前向きな努力をする勇気の無い人間が世の中には一定数存在します。
ここで、アドラーの言葉を紹介します。
「不幸自慢をする人は、それを武器として使っている限り、永遠に不幸を必要としてしまいます」
つまり、健全に努力して不幸から脱するのか、そのまま不幸を武器にして惨めで哀れな自分に注目を集めて優しくしてもらうのか、あなたの意思次第です。
よく不景気な時で社会不安が起きている時に、犯罪や外国人などのマイノリティへの差別が頻発するのは、自分の不幸を外側の責任にして自分は悪くないと、現実逃避を試みているからです。
こうした不健全な努力によって、他人を見下して自分を肯定しようとする努力を「安直な優越性の追求」とアドラーは呼びます。
あなたはこれまで、いじめや嫌がらせ、陰口や悪口を見たり聞いたりしたことはありませんか?
こうした行為も、この「安直な優越性の追求」なのです。
そうやって自分以外に不幸の原因を求めている限りにおいて、成長することなんてありえません。
何が与えられているのかではなく、与えられたものをどう活かすのかに焦点を当てましょう。
何でも外側に原因を求めず、自分の手で幸せをつかみ取る勇気を奮い立たせ、健全に努力するのです。
アドラーは次の言葉も残してしております。
今の自分が不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだからかもしれません。
どんなにつらくて悲しいことに見舞われても、それを不幸とするのかは自分で選択することができます。
人生は様々な逆境との巡り合わせです。
幸せになる決心をして不幸とばかり捉えずに、常に自分の選択を未来に向けて建設的に保ちましょう。
それこそが、未来の幸福につながる道なのです。
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【嫌われても、好かれても一喜一憂する意味は無い❗️】
アドラー心理学サロンです。
これまで生きてきて、こんな風に考えられたことはありませんか?
「もしかして、嫌われちゃったかな?…」
「自分に振り向いてくれるかな?…」
こうして嫌われるのか、好かれるのかで一喜一憂しては落ち込んだり、喜んだりしたご経験は多くの方がお持ちだと思います。
恐らく今でも、こうして一喜一憂しては心を乱されることがあるのではないでしょうか?
本記事では、他人から嫌われているのか、好かれているのかと勘ぐっては苦しんでしまうあなたに、どう考えれば平静さを維持できるのかご紹介させて頂きます。
人間は感情の生き物であり、何があっても一切の反応をしなくなることはできません。
ただ、他人からどう思われるのかについては、過度に気にし過ぎてしまうと他人の顔色を窺うだけの、自分らしさの存在しない他人の人生を生きることになってしまいます。
心理学者アドラーは、「承認欲求の否定」を推奨しており、他人から認めてもらえるように生きることになり、自分の人生を生きることができなくなってしまうとしています。
つまり、結論としましては他人からどう思われようが、基本的には気にしないことが重要です。
他人があなたをどう思うのかは、アドラーの課題の分離で考えればあなたの課題ではなく、そのお相手の課題でしかありませんし、本質的には他人の課題に介入してそれを変えようとすることは、他人の生き方を変えようとしているようなものなのです。
なので、嫌われても、好かれても一喜一憂してはいけません。
みんなから好かれることも、みんなから嫌われることもありえません。みんなから嫌われようとする人はかなりの少数派だとは思いますが、みんなから好かれようとする人や波風を立てないようにする人は少なくありません。
人の行動には、必ず目的があります。
人によっては自分の劣等感を穴埋めする為に、他人を傷付けて自分の憂さ晴らしをする目的を持つ人間が一定数存在します。
関わるべきでない人だって存在しますし、自分を否定して、傷付けようとするような人たちとは距離を取る努力をする必要だってあります。
嫌な人や場所からは離れて、自分の好きな人たちと関わるようにしましょう。
後ろめたくも無く、一方的に嫌っては攻撃的に接してくる人にまで、あなたは好かれたいと思えますか?
無理に自分を押し殺してまで、付き合う価値のある人はいません。
何であなたが他人の好む生き方をしないといけないのです?
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