雨ニモマケズ

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【宮沢賢治『雨ニモマケズ』に込められた意味とは?感想&あらすじを解説!】

小説『雨ニモマケズ』は宮沢賢治の没後に発見された遺作のメモで、一般には詩として受容されている。

没後1年を記念した昭和9年に『岩手日報』で「宮沢賢治氏逝いて一年」として、「遺作(最後のノートから)」と題にて掲載された。

賢治の代表作の1つ。

詩碑から映画化、楽曲まで、幅広い分野の派生作品がある。

今回は『雨ニモマケズ』のあらすじや感想を含めながら、物語の背景に視点を当て、「本作にどのような意味のメッセージがあるのか?」について紐解きます。

概要

太平洋戦争前から戦中にかけて賢治の研究・紹介を行った哲学者の谷川徹三は、主としてテーマ的な側面から本作を高く評価し、賢治に対する「偉人」的評価の象徴として本作を捉える流れを先導した。

2011年4月11日、ワシントンのナショナル大聖堂において、東日本大震災の犠牲者を悼むための宗派を超えた追悼式が開かれ、サミュエル・ロイド3世大聖堂長により本作が英語で朗読されている。

―詩碑―

賢治の死去から3年後の昭和11年に、賢治が独居自炊した花巻市内の別宅(羅須地人協会)跡に本作の詩碑が建立された。

現在では、花巻市で「賢治詩碑」というとこの碑を指し、バス停留所の名前にもなっている。

―映画化―

昭和33年に東宝が制作・上映した賢治の伝記映画にタイトルとして用いられた。

●『雨ニモマケズ』(昭和33年)

監督:蛭川伊勢夫

脚本:猪俣勝人・柴英三郎

出演:重森孝・北山年夫・納谷悟郎他

●『宮澤賢治―その愛―』(平成8年)

監督:神山征二郎

脚本:新藤兼人

出演:宮澤賢治=三上博史

―楽曲―

・ザ・フォーク・クルセダーズ「11月3日」:加藤和彦作曲/2002年の再結成アルバム『戦争と平和』に収録。

・宇佐元恭一「雨ニモマケズ」:宇佐元作曲による2006年のシングル。

・井上陽水「ワカンナイ」:本作をモチーフにして作詞。厳密には本作に対するアンサーソングである。アルバム『ライオンとペリカン』に収録。

・SOPHIA「進化論 〜GOOD MORNING! -HELLO! 21st-CENTURY〜」:間奏で本作品の一部分を引用。

・「無懼風雨」(「不要輸給心痛」):2011年4月、香港で行われた東日本大震災被災者支援チャリティコンサート「愛に国境はない―3・11キャンドルナイト」のテーマソング。鄧智偉作曲。

・冨田勲『イーハトーヴ交響曲』第6楽章「雨にも負けず」:本作品がこの楽章の歌詞となっている。2012年11月23日、東京オペラシティコンサートホールにて初演。

久保田利伸「It’s BAD」:デビュー前に業界で配布されたデモテープ「すごいぞ!テープ」に収録された「It’s BAD」では、本作をモチーフにしたラップ詞が歌われたが、発表された田原俊彦のヴァージョンでは歌詞の大半が書き替えられた。

引用元:wikipedia

『雨ニモマケズ』主な登場人物の名前

一人称視点での独断形式で記述されており、主な登場人物は「ワタシ」1人のみである。

語りの内では「病気ノコドモ」「ツカレタ母」「死ニサウナ人」「ミンナ」「デクノボー」といった人称が登場している。

【簡単】3分でわかる『雨ニモマケズ』のあらすじ

「雨ニモマケズ、風ニモマケズ…」と日常を生きていく人の理想的な強靭性を綴っていき、人の優しさや弱さを見つける前に、まずは自分が強くなろうと鍛錬をする。

そしてその自身の「人としての鍛錬」を行なうさなかに、「決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰ(い)ル」とつつましやかで地道な生活を送る覚悟を決め、「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ…」と、次は対人への理想を端的に綴っていく。

「真に強く、優しく、人として理想的なあり方はどんなものか?」

といった作者の心情を如実に表している。

雨ニモマケズ』の結末(ラストシーン)

ポエム調の仕上がりで、唯一はっきりした登場人物「ワタシ」の独断の形式で終わります。

「ワタシ」は「雨ニモマケズ 風ニモマケズ…」と生活苦をものともしない意気込みを持ち、「雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ」と健康に気づかう決意を固くしながら、「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」と他人にとって人畜無害の有難い人になることを理想とします。

そして「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ…」と次は隣人愛に目覚める覚悟を秘め、最後にそれまでの主張を通して「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と締めくくります。

さらに末尾には「南無無辺行菩薩…」から始まる法華経の祈りが追記されます。

【考察&解説】『雨ニモマケズ』の背景からどのような意味のメッセージがくみ取れるか?

まずこの『雨ニモマケズ』にはモデルがいた。

岩手県東和賀郡笹間村(現・花巻市)出身でキリスト教徒の、斎藤宗次郎である。

斎藤は明治10年2月20日の生まれで昭和43年1月2日に亡くなっており、ちょうど賢治の活躍期と重なっている。

斎藤は花巻市で小学校の教員をしていたが、キリスト教徒という理由で職を追われ、のちは新聞取次店を営みながら福音運動に励んでいた。

賢治と斎藤は同郷の出身であり、日蓮宗(国柱会)の信者だった宮沢賢治とは宗派を超えた交流があったといわれる。

大正13年に、斎藤が賢治の勤めていた花巻農学校に新聞の集金に行くと、賢治により招き入れられ、一緒に蓄音機で音楽を聞いたり、賢治の詩「永訣の朝」らしきゲラ刷り(校正チェック用の印刷物)を見せられたという記録がある。

斎藤はプライベートから隣人愛を大切にし、常に貧困に苦しむ人や病人に食べ物を分け与えたり、また誰の悩み事にでも傾聴の姿勢を徹していた。

(画家の中村不折から彼が「花巻のトルストイ」のニックネームを冠されたのは、この辺りの生活姿勢が影響している)。

賢治は生来より法華経の家庭に育ったが、『銀河鉄道の夜』にも見られるように、キリスト教への関心も少なからずあった(『銀河鉄道の夜』のテーマの構成には、「十字架」というキーセンテンスがある)。

本作『雨ニモマケズ』の語りを読んでいくと、その内容は自然に斎藤宗次郎の生涯を差すように思える。

●東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ

(東に病気の子どもあれば、行って看病してやり)

●西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

(西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い)

●南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

(南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言い)

●北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ

(北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い)

●ヒドリノトキハナミダヲナガシ

(日照りのときは涙を流し)

この5か所を読むだけで、斎藤の生活のあり方をそのまま言い当てているような節がないでもない。

斎藤は教師の職を追われて以来、新聞取次店の経営に乗り出すまで半ば貧困の暮らしをしていたが、それ以外のところではキリスト教精神に則り、自己を犠牲にしながら隣人のために尽くす生活をしていた。

その生涯はまさに詩のテーマを彷彿させる。

キリスト教は唯一神だが、その信仰の根には「罪びとこそ救われなければならない」という隣人愛への教訓がある。

つまり「キリスト教徒でない者がまず救われなければならない」という隣人愛への挑戦である。

賢治はこの斎藤の生き方に感化され、その生き様をありのままポエムに描きたかったのかも知れない。

本作の最後に「南無無辺行菩薩…」から始まる法華経の祈りが記されている。

賢治は24歳のときに国柱会に入信し、それ以来、没年まで法華経を説いていた。

宗教にすがる人の心には価値基準を定める優劣はない。

たまたま出会った宗教がその人の宗教であり、その神観(宗教観)への姿勢は個人それぞれで同様にある。

このように見て取れば、「本作の末尾に法華経の祈りを入れた理由」から「違う宗教同士でも人の理想的なあり方への思いは同じに言える」という、賢治なりの「宗教間を越えた主張の表明」が窺える。

つまり本作の背景には、

「宗教的意識を超えた人のあり方をスケッチすることで、賢治の理想的な人間像を描けるきっかけがあった」

と推測できる。

では、このきっかけと描写を踏まえた本作の「メッセージ性」とは何か?

それは、

「隣人愛を忘れず大切にし、いつでも人のために尽くして生きる人生を全うせよ」

という、人道的かつ宗教観を含めた「善行の徹底の必要」ではないだろうか。

そしてその意識は常に露呈せず、「心の中で隠し持つようにせよ」との強い信念の保持へとつながっていく。

賢治は当初、この『雨ニモマケズ』を発表する気はなかったといわれる。

本作の発表は賢治の没年後であった。つまり「本作の内容をメモ帳に記したままで、賢治はこの『隣人愛の大切』を常に懐で吟味しながら、自分の人生の理念・方針とする覚悟を持っていた」と考えられる。

つまり本作『雨ニモマケズ』は、斎藤宗二郎の生涯と自分の理想をモデルに取り(そう仮定した上で)、

「主義や信仰に関わらず、誰でも『隣人愛の重要』を説けるという万民へのメッセージが込められている」

と結論できる。