ウイルス感染予防論

https://emira-t.jp/special/theme/7810/  【ウイルス感染予防論】  より

ただの病原体ではないウイルスの本当の姿と活用の可能性を探る

ことしは早くも9月にインフルエンザA型の流行が確認され、また乳幼児へのRSウイルス感染症のニュースも出た。人口密度の高い都市部では感染スピードも速く、もはやウイルスとは無縁の生活はできない現代。悪者のイメージが強いウイルスだが、実は人体を守り、さらには人の誕生に関わる働きもしているという。そもそもウイルスがどのようなものなのか正確に知っている方はいるだろうか。今回は、植物や糸状菌を材料にした染色体外因子の研究を専門とする神戸大学大学院農学研究科の中屋敷 均教授に、ウイルスとは何なのかを聞いた。

第1回

人間と共生する生き物?可能性未知数のウイルスの正体

第2回

インフルエンザウイルスが持つ本当の脅威

第3回

アルツハイマー病や肥満の予防にも!ワクチンが秘める可能性とは


https://emira-t.jp/special/7814/ 【人間と共生する生き物?可能性未知数のウイルスの正体】

ウイルス=病原体とは限らない

「ウイルスとは、バクテリア(細菌)、菌類、微細藻類、原生動物などとともに、よく“微生物の一種”と思われています。中でもウイルスは、一般的に病原体、つまり“悪いもの”というイメージですね」

神戸大学大学院農学研究科の中屋敷 均教授がそう話すとおり、「ウイルス」と聞くと、悪いイメージを持つ人が大半だろう。しかし、「病原体」とされる微生物には他にバクテリアや真菌(カビや酵母の総称)などもあり、必ずしもウイルスだけが“悪者”というわけではないという。その理由を知るためには、まずはそもそもウイルスとは何者なのかを理解する必要がある。

「よく大学の新入生に、大雑把なイメージをつかんでもらうために、真菌はわれわれと同じ多細胞生物、バクテリアはその体の一つの細胞が飛び出して独立して生きているもの、そしてウイルスは、その細胞の中の遺伝子が細胞から飛び出て“独立”したようなもの、と説明しています。もちろん遺伝子だけだと何もできませんから、細胞の中に入ることで初めて活動できるのがウイルスなんですよ。学術的には『ヌクレオキャプシド(nucleocapsid)』と呼ばれていて、遺伝子である核酸(DNAやRNAの総称)をキャプシドと呼ばれるタンパク質の殻が包み込んで粒子を作っているものとされています。つまり、核酸とタンパク質の複合体がウイルスに共通するコアな構造ということになります」

細胞からは独立した存在だが、宿主の細胞に入ると遺伝子として機能する。侵入した細胞のタンパク質を利用するなどして、活動できるようになるのだという。要するにウイルスは、人間などの細胞を構成している一つのパーツのような存在なのだ。

ちなみに、テレビなどでは菌のことをウイルスと表現することもあるが、「そこは区別しておきたい」と中屋敷教授は言う。

「ウイルスがバイ菌の中に含まれて表現されることがあります。しかしウイルスは『菌と呼んでくれるな』と思っているでしょうね」

ここまで聞くと、ウイルスは人間の体内で次から次へと細胞に侵入し、グループをつくっていくように感じるが、「ウイルスは人間と違って、意思を持って行動しているわけではないので、仲間を作ろうとか、他のウイルスと仲良くやろうとか、、自分を増やしていこうとも思っていない」のだそう。

「“増やす”ではなく、正確には環境を与えられたので、“増えられるから増えている”ものだと思います。その中でより増えることができたものが残っていくのですが、まれにウイルス同士で助け合うこともあります。調べてみると、ウイルス集団の中には、しばしば自分だけでは増えることができないものが見つかり、他のウイルスからタンパク質をもらうことで、生きているようです。共助ですね」

積極的に増殖するのではなく、他人を利用して増えられるなら増えていく。ちゃっかり者のような存在なのかもしれない。

しかし、「ウイルスの全てが病気の元になっているわけではないのです。いることによって何かしらの役に立っているものもあるんですよ」と教授は続ける。

現に、われわれの根本であるヒトゲノム(人間の遺伝情報)の45%が、「ウイルス」や「ウイルスのようなもの」で構成されていることが示されている。「ウイルスがいたからこそ人間はここまで進化できた」と中屋敷教授は言うが、そうなると、やはり「=病原体」ではないのかもしれない。

人体にとってウイルスは善か、悪か?

とは言うものの、現実問題としてさまざまなウイルスに人間は感染し、病気にかかってしまう。例えば、大腸にはもともとさまざまな大腸菌が存在している。そこに、ウイルスの介在によってコレラ菌から毒素遺伝子が大腸菌に運び込まれることで、人を病気にする腸管出血性大腸菌「O-157」が出現したとのことだ。ここでは完全に“悪役”だ。

「ウイルスは一般的には病気の元になりますし、それは事実。一方でウイルスがあるからこそ元気でいられることもあるんです。例えば、子宮で子供を育てるという戦略は、哺乳類が繁栄できているキモだと言われています。実は、子宮の胎盤形成に必須の遺伝子の一つがウイルス由来のもので、胎盤の機能を進化させる上で重要な役割を果たしていることが知られています。現在でも、その遺伝子がなければ胎盤は正常には作れません」

また、ウイルスには他の病原体の感染をブロックしてくれるような存在意義もあるそう。

「例えばヘルペスのように、それがいることで他の菌に感染しにくくなっている、と報告されているものがあります。あるウイルスのおかげでわれわれの体は他の菌やウイルスに対して強くなる。つまり、ワクチンを打っているようなものかもしれませんね」

ウイルスは遺伝子として機能するため、ゲノムの中に存在するウイルスは、多様で重要な役割を果たしていることが、次々と分かってきているという。中屋敷教授が、「そもそもわれわれの進化も、そういったウイルスや“ウイルスのようなもの”のおかげで加速されてきた側面があると思います」というように、DNAにウイルスが入ってくることで変革が起こり、それが長いスパンで見ると“進化”の引き金になったとこともあるそうだ。

ウイルスは生き物なのか?

このウイルスの“活動”は、あくまで自分から何かを生み出し、消費するのではないという。

「ウイルスは基本的にエネルギーを作ったりはしません。自身では設計図を持っているだけで、それを誰かに渡して製品(遺伝子産物や子孫)を作ってもらっているような感じです。自分の製品をより多く作ってくれるところへ潜んでいき、そこで設計図を渡す。その動きだけを見ると、結構世渡り上手な感じですね。だからウイルス自身が何か生産的なことをしているというより、宿主の細胞に働きかけて上手にそのシステムを利用しているイメージです」

そして、自分の子孫をより多く作ってくれるように働きかける過程が、人間の体内では免疫を抑制することにつながっているそうだ。

「自身を増やす過程で、自分を排除しようとするものから巧妙に逃れる性質があります。この活動があるからこそ、ウイルスは増えていき、その結果、病気を引き起こすことにもつながっているのです」

これらの活動から考えると、ウイルスはまるで生きているかのようだ。“かの”とあえて付けたのは、ウイルス=生き物かどうか、には賛否両論があるからだ。

「自分では動けない、しかし自身を増やすことはできる。何をもって“生きている”と定義するかによるのですが、進化をして、子孫を残すという性質を重視すれば、生きていると考えることもできるように思っています」

人間が長い年月をかけて現在の形になったように、もしかしたら今から10億年後に、現在のウイルスを先祖として進化した“生物”がいるかもしれない。

ちなみに多くの場合、ウイルスは遺伝子を10個以下、少ない場合は1、2個しか持っていないが、最新の研究では、遺伝子を2500個以上も有する「パンドラウイルス」という巨大ウイルスが見つかったそう。遺伝子数で見れば、小型のバクテリアとほぼ変わらない存在だ。

「この巨大ウイルスが、遠い未来に意思を持つような生物になるかもしれませんね(笑)。実は、巨大ウイルスを研究していたところ、彼らに“寄生するウイルス” (これは普通サイズ)というのが見つかり、寄生されると巨大ウイルスが病気になることが分かったのです。その後、巨大ウイルスは寄生したウイルスをやっつけるための免疫システムのようなものを持っていることも判明しました」

つまり彼らは自己、非自己の認識ができて、非自己はやっつけるという仕組みを持っているということ。「巨大ウイルスが持つ“免疫”の仕組みは、バクテリアのシステムに似ている」と中屋敷教授は言う。

「こういった“生物的な”巨大ウイルスの活動を考えるともう、ウイルスを生き物の仲間に入れてあげてもいいんじゃないかと思いますね」

この巨大ウイルスのように、「進化」していることが分かると、今後のウイルス研究では、われわれの健康に役立つことも見つかるのではないだろうか?

「今までウイルスは、それを原因とした病気の発生を通して見つかるという歴史でしたが、次世代シーケンサー(遺伝子の塩基配列を高速に読み出せる装置)と呼ばれる技術の発展により、病気を起こさないウイルスというのが生物界に広く存在していることが明らかになりつつあります。そういったものの中には、病気やストレスに対するワクチンのような効果を持つことが分かったものも少なくありません。ウイルス研究が進めば、これからさらに“共生体としてのウイルス”の良い面がどんどん分かってくるかもしれません。今からのウイルスの研究は、これまでと一味違うものになっていく可能性がありますし、その動きは既に始まっています」

ウイルスとは何かを突き詰める教授の研究が、いずれ日本の医療に大きな進歩をもたらすのかもしれない

人間にとっては善でも悪でもあるウイルス。しかしその活動や進化の状況を考えると、善の側面が将来的には広がり、ウイルス=悪いものという存在ではなくなっていくのかもしれない。

本特集第2回では、毎年猛威を振るうインフルエンザウイルスについて掘り下げていく。

B型インフルエンザウイルスの電子顕微鏡像  画像協力:国立感染症研究所

【インフルエンザウイルスが持つ本当の脅威】

止めどなく変化し続けるインフルエンザウイルスと日本の対策

特集第1回では、「ウイルス」そのものについて見てきた。自らエネルギーを発するわけではないものの、時に病原となって、われわれのエネルギーを奪っていくのは事実だろう。中でも、これからの時期に脅威となるのが「インフルエンザ」だ。今回は、国立感染症研究所インフルエンザウイルス研究センター長の小田切孝人氏に、誰もが知るウイルスが人体の中で一体何をしているのかを教えてもらい、来るべき脅威に対する防御策を考えていく。

本当は一年中流行しているインフルエンザ

10月に入り、ことしもまたインフルエンザの予防接種シーズンが始まった。

インフルエンザは、「インフルエンザウイルスを病原とする気道感染症であるが、『一般のかぜ症候群』とは区別できる『重くなりやすい疾患』」(国立感染症研究所HP参照)とされている。われわれにとって最も知名度が高く、身近なウイルスといえば、このインフルエンザウイルスだろう。実際、「インフルエンザは、いまだ人類に残されている最大級の疫病である」(同HPより)と言われている。

このインフルエンザウイルスについて、ワクチン検査や予防治療法研究などを行う国立感染症研究所インフルエンザウイルス研究センター長の小田切孝人氏はこう補足する。

「インフルエンザウイルスというのは、簡単に言うとインフルエンザ(病名)を引き起こすウイルスなんです。インフルエンザというのは、一気に発熱して筋肉痛や関節痛といった体の痛みなど全身症状から発症するのが特徴です。一般的な風邪の症状である鼻水や咳(せき)は治りかけたころにやってくるんです」

2014年より国立感染症研究所インフルエンザウイルス研究センターでセンター長を務める小田切氏

そもそも風邪というのは、ウイルスによる「上気道感染症」、つまり気道、呼吸器に起こる感染症を指す。その原因となるウイルスには、代表的な「ライノウイルス」、夏場のプールで感染する「アデノウイルス」など、さまざまな種類が存在している。ことしは9月1日に、今シーズン最初のインフルエンザによる学級閉鎖が大分県で報告されているが、通常、12月から翌2月が流行シーズンと言われている「インフルエンザ」もその一種だ。

「日本では、冬にはやるものですよね? それは、インフルエンザウイルスは乾燥と低温に強いため、冬場は空気中で長く生きることができるからなのです。そもそもヒトに感染するインフルエンザウイルスは、高温多湿になる夏場には活発に動くことができない。

また、インフルエンザウイルスは空気感染することはまれで、ほとんどは飛沫感染か接触感染。つまりウイルスが付着した手でモノを食べたり、顔をこすったりしてうつるのですが、次のヒトに到着するまでは空気中を浮遊する必要があるため、湿度の低い冬場に流行するわけです」

こうした“季節性”を持つウイルスであることも特徴だそうだが、実は、これはあくまで北半球での話。熱帯地域や亜熱帯地域では、年がら年中インフルエンザウイルスがはやっているという。

「乾燥に強いということは、逆に言えば湿気に弱い。一見矛盾しているように感じますが、そうした地域では雨季にインフルエンザがはやります。屋外では湿度が高く、長く活動することが難しいものの、雨季になると人が屋内で過ごす時間が長くなり密集環境になるため、そこで感染が広がりやすくなるのです」

インフルエンザは、WHO(世界保健機関)によって世界規模で行う感染症サーベイランス(調査・監視)の対象と定められており、6エリアに分かれて常時調査、研究が行われている。日本はアジア圏を担当しており、夏場でも近隣国や東南アジア諸国でウイルス株を入手して研究が続けられているという。

インフルエンザは地球規模の感染症であり、冬場だけのものではない。実はこれが“流行型”を決めるカギになっている。

インフルエンザウイルスの“流行型”とは?

毎年4月ごろ、厚生労働省は次のシーズンのインフルエンザワクチンの製造株決定を通知している。インフルエンザのシーズンとは、毎年第36週から、翌年の第35週までの1年間を指し(9月~翌年8月末)、2018/2019シーズンは2018年9月1日~2019年8月31日までと区切られている。

「そもそも『株』というのは、ウイルスのことを意味しています。ワクチン製造には、敵となるウイルスそのものを使う必要があるので、ワクチンの製造株=シーズン中の流行株の代表選手なんです。ただ、前の2017/2018シーズンの流行型は『B/山形系統』が主流でしたが、実際にその年の冬にはやる型は完全には予想できないために、ヒト社会ではやるA型2種類とB型2種類の全てを含んだワクチンが使われているんですよ」

ここで、インフルエンザウイルスの種類についても解説しておきたい。インフルエンザウイルスには症状の激しいA型、腹部に症状が出やすいB型、幼児がかかりやすいC型の3種類が存在しており、季節性と言われるインフルエンザウイルスは、基本的にA型とB型を指しているという。その上で、流行株の名称にある「シンガポール」や「香港」といった地名は、その流行ウイルスが採れた場所を指す。つまり、例えば最新型のウイルスが東京で検出されれば、『A型東京(学術名ではA/Tokyo)』と名付けられる。

A香港型(H3N2)のインフルエンザウイルス電子顕微鏡像 画像協力:国立感染症研究所

「毎年2月ごろにWHOの世界会議で、次のシーズンの北半球で使うインフルエンザワクチン株を決めています。シーズン真っただ中にある北半球諸国で次に主流となることが予想される流行株を見つけ出し、次シーズン向けのワクチンとして推奨しているのです。しかし、ワクチン株1つを見つけるためには、世界中の数千株の流行ウイルスをチェックする必要があり、それが本当にワクチンとして適切であるか、増殖性なども見極める必要があるのです。

また、日本では毎年3月下旬がワクチンの製造株を決めるデッドライン。ワクチンの製造と国家検定には少なくとも6カ月はかかるため、10月からの予防接種に間に合わせるためには、そこがギリギリなのです。ところが、流行のピークは12~2月ですが、日本でも4月下旬までは流行が続きます。なので、3月時点で流行株を決めても、その後に流行ウイルスが変わってしまったこともあります。

そもそもインフルエンザウイルスはすごいスピードで進化するので、流行シーズンの最初と最後でウイルスの抗原性(免疫の元となる抗体としての性質)が変わってしまっていることもあるんですよ」

当然、より効果的なワクチンを製造するためには、流行型に対して使用するウイルスの抗原性がマッチしていることが重要だ。しかし、思いどおりにいかないのが、インフルエンザワクチンだと小田切氏は続ける。

「遺伝子の中でも、人体の細胞が持つのはDNA(デオキシリボ核酸)ですが、インフルエンザウイルスはRNA(リボ核酸)です。DNAは、進化がものすごく遅く、間違った進化をしても元に戻すメカニズムがあります。対してRNAは、間違った進化を遂げてもお構いなし。ものすごいスピードで間違ったまま進化していくのです。

他のウイルス性の病気に比べて、ワクチンが効きにくいのもこれが原因の一つなのですよ。本来、同じウイルスが5年、10年はやり続けたとすれば、人間の体内には免疫ができてくる。しかし、インフルエンザウイルスは変化が速いため、体の免疫機構が追いつかないのです。

昨年、ワクチン不足が問題となりましたが、『有効性が高い』と考えていたウイルスがうまく増殖せず、前シーズンに使用したワクチン株に軌道修正したために、製造開始が例年より2カ月出遅れてしまったのが原因でした。私たち研究者からすれば、効果の高いワクチンを供給したい思いが強いのですが、毎年約2600万本分のワクチンを作る必要がありますから、国からの要請で、時にワクチン株を変更する妥協をしなければならないこともあります」

昨年は結局、H3N2亜型(俗称は香港型)ワクチンを製造し直したそうだが、ことしはどうなるのか。ことしのワクチン株は、

・A/Singapore(A型シンガポール)/GP1908/2015(IVR-180)(H1N1)pdm09

・A/Singapore(A型シンガポール)/INFIMH-16-0019/2016(IVR-186)(H3N2)

・B/Phuket(B型プーケット)/3073/2013(山形系統)

・B/Maryland(B型メリーランド)/15/2016(NYMC BX-69A)(ビクトリア系統)

と、どのウイルスがはやっても対応できるようにA型2種類、B型2種類の4種混合で製造されている。予防接種シーズンの半年前にその冬の流行型を見極めるのがいかに至難の技であるかは、お分かりいただけたのではないだろうか。

インフルエンザウイルス(A/H1N1pdm)の電子顕微鏡像画像協力:国立感染症研究所

どんな薬でもいずれ耐性を持ったウイルスが出現してくる?

ここまで、インフルエンザウイルスの脅威をお伝えしてきたが、一方で、今話題となっている新薬がある。「抗インフルエンザウイルス薬バロキサビル マルボキシル」、通称「ゾフルーザ」だ。

インフルエンザウイルスは、感染した細胞内で自身の遺伝子を複製し、増殖・放出することで同体内の他の細胞に感染を拡大すると言われているが、この新薬は、細胞内でのウイルス遺伝子複製に必須となる酵素(RNAポリメラーゼ)の働きを抑えることで、その増殖を防ぐことができるという。

「タミフル」や「イナビル」などの従来薬(右上の灰色枠)は外に出ていったウイルスの広がりを抑えていたのに対し、「ゾフルーザ」(下の赤色枠)の作用は、細胞に入ったウイルスが中で増えるプロセスを抑えるという

引用)塩野義製薬2015年度第2四半期(上期)決算説明会資料(34ページ)より

「ゾフルーザが酵素部分に直接作用することで、ウイルスは子孫を残せなくなる。つまりそれ以上伝染できなくなるわけです。もちろん、“予防”のためのワクチンと違い、あくまで発症してからの“治療”。空気中に浮遊するウイルス自体をなくすこともできません。それでも、体内で発症してからウイルスを根絶できるのは画期的だと思います」

ゾフルーザがあればインフルエンザも怖くない! ……と、思いきや、小田切氏は「油断はできない」という。

「先にお話したとおり、インフルエンザウイルスは、進化がとても速いのです。どんな新薬にも一定の割合で自発的に抵抗性を示す『耐性ウイルス』が出現します。つまり、ゾフルーザにもいずれ、抵抗性を示すウイルスが出てくるかもしれないのですよ」

人体と同じく、自らを攻撃してくる物質に対して耐性をつくる。特集第1回の中屋敷均教授の話にもあったとおり、やはりウイルスは“生きている”のかもしれない。

「ただ、面白いのは、薬が効かないインフルエンザウイルスは、薬が効くウイルスよりも早く死んでしまうのです。やっぱりどこか“生きるために”ちょっと無理をしているのですよね。耐性を作るために負荷がかかっている分、短命になる。命を削って、彼らも薬と戦っているわけです」

いたちごっこ状態となっているインフルエンザウイルスとワクチンや薬の研究だが、今後、ウイルスの突然変異によるパンデミック(爆発的な流行)が起こり、まったく歯が立たなくなる……なんてことも、起こり得るのだろうか。

「20世紀には3度、大きなパンデミックがありました。1度目は1918年『H1N1亜型』でいわゆる『スペインかぜ』、2度目は1957年『H2N2亜型』でいわゆる『アジアかぜ』、3度目は1968年『H3N2亜型』でいわゆる『香港かぜ』と呼ばれるものです。いずれも鳥から由来したウイルスによるもので、『香港かぜ』は50年たった今でも季節性インフルエンザウイルスとして主流の一つとなっています。そして21世紀に入って最初のパンデミックは2009年に流行したブタ由来の『H1N1pdm09』です。全て人間社会にはなかったウイルスが突然流行したため、大きな問題となりました。

今後、トリやブタ以外から新たなウイルスが流入することは考えにくいのですが、これらのインフルエンザの動向は注意深く監視していくことが非常に大切になります。それに、実は2017/2018シーズンのインフルエンザは、諸外国でも大流行したうえ、1999年の感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)によるサーベイランスが始まって以来の大流行だったのですが、それほど大騒ぎになりませんでしたよね? 一年中調査・研究を続け、対策は強化されていますから、きちんと予防接種をして、うがい手洗いを心掛けてもらえれば、インフルエンザには負けません」

最も身近であろうウイルスの脅威克服のために、人間は多くの予防線を張ってきた。それでもまだ、世界的な視野で「人類に残された最大級の疫病」の監視を怠ってはならないようだ。

次回は、その予防医療を実現し、われわれの盾となっているワクチン研究の今を見ていく。


【アルツハイマー病や肥満の予防にも!ワクチンが秘める可能性とは】

ウイルス退治はワクチンだけの仕事じゃない?進むアジュバント研究の今

特集第2回でも触れたとおり、インフルエンザウイルスは間違いなくことしもやって来る。そして、予防のためのワクチンを人々は接種する。この「ウイルス」と「ワクチン」は、そもそもどのようにせめぎ合っているのか? ワクチンとその効用に大きく関わる因子「アジュバント」の研究開発を専門とする、国立研究開発法人 医薬基盤・健康・栄養研究所 ワクチン・アジュバント研究センター センター長の石井健氏に、抗ウイルスの現在、そしてこれからを聞いた。

ワクチンはウイルスからつくられる

「例えばインフルエンザのワクチンは何からできているかというと、“無害化した”インフルエンザウイルスからできています。ウイルスを一度バラバラにして、そこから熱の原因などになるものを取り除き、人の免疫システムが認識できるHA(ヘマグルチニン)というタンパク質にしているのです」

まずそう教えてくれたのは、ワクチン・アジュバント研究センターでセンター長を務める石井健氏だ。

ウイルスによる感染症にはいろいろあるが、多くの場合、一度かかるとそのウイルスに対して体が強くなり、二度はかからないと言われている。それと原理はほぼ同じで、ワクチンとは簡単に言うと、体にウイルスを覚えさせるためのもの。ワクチンを体に入れることで、ウイルスに“感染するマネ”を体に認識させる。するとそのワクチンのもとになったウイルスに対して免疫ができるため、病気になる原因を持ったウイルスが体に入ってきても、やっつけたり、弱めたりできるというわけだ。

現在、特殊な配列のDNAを用いたアジュバント開発を手掛けているワクチン・アジュバント研究センター センター長の石井氏

「現在ワクチンで予防できる疾患というのは世界中で27種類あり、インフルエンザ、天然痘、破傷風などがそこに含まれます。新しいワクチンもどんどん登場していて、帯状疱疹(たいじょうほうしん)のワクチンもことし日本で認可されたので、来年には世の中に登場するのではないでしょうか」

帯状発疹とは、ヘルペスウイルスの一種、水痘(すいとう)・帯状疱疹ウイルスによって発症する。子供のころに水疱瘡(みずぼうそう)にかかった場合、大人になって免疫力が低下してくることで、体内に残っていた水痘・帯状疱疹ウイルスが再び活発化してしまうのだ。「大人の水疱瘡」として話題になった帯状疱疹だが、このワクチンにより、水痘・帯状疱疹ウイルスの再始動を予防することができるという。

ちなみにワクチンには、ウイルスの毒性を弱めた生ワクチン、不活性化および消毒した不活化ワクチン、毒性をなくしたトキソイドがある。生ワクチンはウイルスが弱いものの生きていて、体内で増えながら免疫力を高めていくため、免疫ができるまでに時間がかかるが、接種は1回で済む。不活化ワクチンとトキソイドはウイルスの能力をなくしているので、免疫ができても力は強くなく、複数回接種することで免疫力を維持する。

これらワクチンの開発には実に20年近い歳月を要するそう。数え切れない実験を行い、人間の体に入れても安全だというお墨付きが得られて初めて認可される。だから世界中で日々研究・実証が行われているが、何がいつ認可されるかはその進捗(しんちょく)次第。ただし、常に進化しているということは言えそうだ。

日本で接種できるワクチンの種類一覧(2018年9月1日現在)出典:国立感染症研究所

ワクチンの効果を高めるアジュバントの存在

ところで、実はワクチンだけを投与しても、その効果は持続しない。ワクチンの効果を高め、持続性をよくするために、ほとんどのワクチンには「アジュバント」と呼ばれるものが含まれている。

「アジュバントとは、ひと言で言うと“ワクチンの効き目を高めるもの”です。特定の物質名ではなく、効果を増強する因子の総称。一般的には耳慣れない言葉ですが、開発の歴史は80年以上もあるんですよ。アルミニウム塩をベースにつくられるものが現在は主ですが、他に人間の体内にもともと存在する核酸などでもアジュバントはつくられています。アジュバントを含んだワクチンを投与すると、含んでいない場合に比べて免疫反応は早く起き、その効果も高く、しかも免疫力が長く持続する。そして現在の研究は、この免疫力をどこまで長くできるかという点に重点を置いています」

アジュバントの有無によってワクチンの効果は大きく変わる 画像協力:石井健

先述したワクチンの種類のうち、生ワクチン以外は全てアジュバントを含んでいる。具体的な病名で言うと、ジフテリア毒素や破傷風、百日咳、B型肝炎、肺炎球菌など、よく知られる感染症のワクチンのほとんどに含まれているのだ。つまり効果があると言われているワクチンには必ずと言っていいほどアジュバントが含まれており、逆にアジュバントなしのワクチンは効き目が低い、と言えるそうだ。

また、アジュバントには効き目を高める以外にも、メリットがある。

「アジュバントはワクチンの効き目を高めるものなので、ワクチンの中にある不活性化・無毒化したウイルスなどの抗原(免疫反応を発生させる物質)の効き目を高めた上で、そもそもの含有量を減らすことも可能になります。例えばインフルエンザが大流行し、より多くのワクチンが必要になったときには、アジュバントを含むことによってワクチン1つあたりに使う抗原量を減らすことができるので、より多くのワクチンを作り出せることになります。それに、効き目が高ければ、ワクチン摂取量を減らすこともできるでしょう」

仮に「抗原15マイクログラム:アジュバントなし」のワクチンがあったとしよう。ワクチンの効きをよくするアジュバントを入れれば、同種のワクチンが大量に必要となった場合、理論上では抗原を半分から10分の1にしても、効果がさほど変わらないワクチンをつくることができるという。

ちなみに、アルミニウム塩をもとにつくられているアジュバントは、約90年前に偶然その効果が発見された。製造方法が確立して保存性も優れているため、1932年にジフテリアワクチンに用いられてからというもの、現在世界で最も普及しているアジュバントだ。

「ただ、現在のアジュバントにも限界点はあります」

ワクチンとアジュバント研究が未来の医療を変える!?

現在主流のアルミニウム塩アジュバントが抱える問題、それは「ワクチンの効き目を高めてウイルスの活動を抑えることはできたが、ウイルスが感染している細胞をやっつけるような免疫力までは引き出せていない」ということ。また、発熱やアレルギー反応を起こす可能性もあるそうだ。そのため、“次世代アジュバント”の研究開発が急ピッチで進んでいる。

「ワクチンは万能ではありません。他のどのような物質からアジュバントをつくり出せば、より多くのウイルスに効果を発揮できるのか研究していかなければならないのです。それで、核酸や脂質の分子からアジュバント開発が進められていて、私は『CpGDNA』という、ウイルスや細菌のDNAに多くある配列(CpG配列)を組み込んだDNA断片をアジュバントとして研究開発しています」

ヒトで臨床試験中の新しいアジュバント「CpGDNA(コードネーム:K3)」

画像協力:石井健

ワクチンにアルミニウム塩からつくり出したアジュバントを加えていくという従来の方法から一歩進んで、今後は対象となる疾患に合わせたワクチン+アジュバントをつくることが求められていくという。

では、その研究開発は、これからどうなっていくのだろう?

「日本ではすでに、ミネラルオイルと植物由来界面活性剤をもとにしたアジュバントの臨床研究が行われるなど、さまざまな種類のアジュバント開発が進んでいます。今後は予防医学の観点から、アルツハイマー病をはじめ、高血圧や動脈硬化、肥満などの生活習慣病を予防するためのワクチン開発も期待されています。といってもすぐに完成するわけではなく、まだ開発段階なので、実現するのは近未来ですね」

アジュバントの種類と開発の状況 画像協力:石井健

他にも、世界では熱帯地域における寄生虫が原因のウイルス性疾患など、緊急の対策が必要な感染症をはじめとする病気が50近くあるそう。「これらはワクチン開発、実用化を急がなければなりません」

感染症への対応でいえば、ワクチンができたことで、例えば天然痘ウイルスは1980年にWHOが世界根絶宣言を行っていて、以後の患者の発生はないと発表されているし、ポリオウイルスも近い将来根絶できると言われているそうだ。そうなれば、先述の50近い病気の原因を含むいろいろなウイルスを根絶できる時代が来るのかと考えてしまうが、「ワクチンはウイルスを消し去るものではない」と石井氏は続ける。

「ワクチンによって一つのウイルスをやっつけるというのは、体内からウイルスを排除することではありません。私たちの体は、ウイルスとバランスよく共生していて、その中の一つが悪さをしたときに、ワクチンで抑えるのです。仮に、ある特定のウイルスを排除してしまうと、その際に良いウイルスまで排除してしまう可能性もありますし、そのことが原因で他のウイルスが悪さをしてしまうことだって考えられます」

これを大前提の出発点として、ワクチン開発は進む。いずれワクチン、そしてアジュバントが医療を大きく変える日が来るのだろう。