ウイルスと共に生きる ウイルス学者・山内一也さんに聞く

https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/375/ 【ウイルスと共に生きる ウイルス学者・山内一也さんに聞く(前編)】  より

半世紀以上にわたりウイルス研究と感染症対策にたずさわってきた山内一也さん。ウイルスは「人生のパートナー」だと語ります。コロナ禍の今、日本を代表するウイルス学の権威は何を思うのでしょうか。天然痘の根絶にも貢献した山内さんの言葉から、未知なる生命体とどう向き合えばいいのかを探ります。

ウイルスは人生のパートナー

東京大学名誉教授の山内一也さんは現在88歳。半世紀以上にわたりウイルス研究と感染症対策に取り組んできた、日本を代表するウイルス学者です。山内さんは、天然痘と、牛の急性伝染病である牛疫の根絶プロジェクトに参加したことで知られています。

人類が根絶に成功したウイルス感染症は、天然痘と牛疫の2つしかありません。とくに、数千年の歴史をもつ天然痘は、世界中で恐れられてきました。致死率は20%~30%にも及び、感染力も極めて高く、ひとつの家に患者が出ると家族の80%以上が感染したといいます。

画像(天然痘ウイルスの電子顕微鏡画像)

当時、山内さんが取り組んだのが、種痘ワクチンの改良です。ワクチン接種の徹底によって、有史以来、人々を苦しめ続けてきた天然痘の歴史にピリオドが打たれました。

ウイルス学の偉大な成果と言われる、天然痘の根絶から40年。山内さんはウイルス研究の第一線に身を置きながら、本の執筆や講演活動などを通して、独自の視点でとらえたイルスの世界について発信を続けています。

「ウイルスは私にとって、研究人生を通してのパートナーだったと思っています。好奇心を満たしてくれるパートナーで、恐怖の存在ではありません。そして、非常に多用な性質を持った存在である。ウイルスは見えないということもあって、非常に面白い。そして、年と共にどんどんウイルスの本体が分かってきた。ですからいつまでたっても好奇心が絶えない。そういう対象としてウイルスをとらえています」(山内さん)

コロナウイルスの感染拡大は不思議ではない

日本を代表するウイルス学者の山内さんは、コロナウイルスについてどのように見ているのでしょうか。

「免疫のない状態の所に入ってきた新しいウイルスですから、広がること自体は不思議ではないと思います。インフルエンザウイルスは、もともと鴨が持っている鳥類のウイルスです。コロナウイルスはこうもりで、哺乳類です。哺乳類が持っているウイルスが入ってきた。しかもコロナウイルスというのは、非常に大きなサイズのRNA(リボ核酸)ウイルス。インフルエンザウイルスも同じRNAウイルスですが、その2倍くらい大きい」(山内さん)

インフルエンザウイルスに比較して2倍の大きさがあるというコロナウイルスには、次のような特徴があると言います。 「RNAは数珠につながった1本の鎖のようなものと考えていただければいいです。1つの数珠を1つの文字とすると、インフルエンザは1万5千字の文章になる。コロナウイルスは3万字の文章になってしまう。ということは、コピーする時にそれだけミスが起こりやすくなるのです。そういう意味では、どんどん変異していくウイルスです」

そして、コロナウイルスは昔から存在していたと指摘します。

「コロナウイルスは、こうもりと恐らく1万年くらいは共存してきていると思います。そういうウイルスがたまたま人の世界の方に入り込んできたというのが現状です。我々は遭遇したことのないものが入ってきた場合には、免疫がないわけです。脅威と言えば脅威です」(山内さん)

ウイルスは不思議な生命体である

山内さんは2005年放送の番組で、ウイルスを「究極の寄生生命体」と呼んでいます。

ウイルスは核酸を持っていますが、代謝機構もエネルギー機構も持っていません。すべて、ほかの生物の細胞の代謝機構を借りて子孫のウイルスをつくっています。究極の寄生性の生命体であって、外界に置かれたウイルスは、まったく増えることができません。数分から数時間の後には死滅してしまいます。

(2005年放送NHK人間講座「ウイルス 究極の寄生生命体」より)

「普通の生物は細胞が2つに分裂して増えていきます。ところがウイルスは、たんぱく質の殻に核酸が包まれている粒子で、それは単なる物質。たんぱく質や核酸からできている物質に過ぎない。でもそれがひとたび細胞の中に入れば、これは完全に生き物。生きていると考えるべきだと思っています」(山内さん)

ウイルスが細胞の中に入ると何が起きるのでしょうか。

「細胞の中に入っていくと、殻を脱ぎ捨ててバラバラになるというか、核酸が裸になって出てくる。核酸に遺伝情報が含まれていますが、その遺伝情報に従って新しくたんぱく質が作られる。もちろん核酸も複製される。ウイルス自身バラバラになった状態で、感染性はない単にバラバラの物質です。その時点が『暗黒期』なのですね。それで新しく核酸が複製されてたんぱく質ができて、組み立てられるとまた感染力を持ったウイルス粒子となってくる。それが外に飛び出していくという形をとるわけです」(山内さん)

ウイルスが細胞の中に入ると起きる変化

山内さんは著書で、ウイルスの生と死について記述しています。

暗黒期は生物には見られないウイルス増殖に独特の過程である。

親ウイルスが一旦忍者のように姿を消したあとに子ウイルスが生まれるのである。

ウイルスを生命体として見た時、そこには独特な「生」と「死」が存在する。

(山内一也著「ウイルスの意味論」より)

一方で、ウイルスは生物ではないという議論もあります。これに対して山内さんは、議論は言葉遊びに過ぎないと考えています。

「私はウイルスは生きているとずっと思ってきました。生か死か、その境目というのは私には分かりません。ところが、ウイルスは細胞に寄生しなければ増えないから、生物ではないといった議論がありました。最初に生物学事典を見ると、『生命というのは生物の属性』といった表現をとっているのですね。では、生物は何かというと、『生物は生命活動を営むもの』という循環論法で、これが出てこない。生きているということ自身の定義というのは100以上出されて、言葉の遊びみたいになっている」(山内さん)

そこで、ウイルスに合わせて定義を作ればよいというのが山内さんの見解です。

「生物と無生物の定義そのものを見直すというか、また新しい定義を作っていけばいいと思うのです。生物か無生物かという議論をするよりは、生き物としてとらえていけば、定義はそういう分類があろうがなかろうが、問題ないことだと思っています」(山内さん)

山内さんは、著書でも述べています。「半世紀以上ウイルスと付き合ってきた私にとっても、ウイルスは興味がつきることのない不思議な生命体である」と。

細菌学・ウイルス学との出会い

目には見えない不思議な生命体であるウイルスの形態が初めて明らかになったのは1939年。タバコモザイクウイルスを電子顕微鏡でとらえた写真が発表された時です。

研究者たちがウイルスそのものを見ることに成功したころ、少年だった山内さんは生物学とも細菌学とも無縁の日々を送っていました。むしろ国語や歴史が好きで、それほど理科系への意識は持っていませんでした。

「旧制高校でドイツ語に初めて触れたわけです。教科書の中でカール・ブッセの『山のあなた』という詩をドイツ語で見たり読んだりして、素晴らしいと感激したことは覚えています。戦後間もない時期ですからね。昭和23年ですから、まだ終戦3年目。あの当時は、ロマンティックな世界に憧れていたのですよね。詩の持つ意味というのは、ものすごく深い感じがあった」(山内さん)

1949年に東京大学へ入学し、意外なきっかけでウイルス研究の道へ進むことになります。

「結核で1年休みました。軽い症状だったので家の中でブラブラして、片っ端からいろいろな本を読んだ。もっぱらドイツ文学。シュトルムとかヘッセとかゲーテを読んでいました。何をやりたいかということはあまりはっきり記憶していません。覚えているのは、牧場になんとなく憧れていたようで、これはドイツ文学の影響があったと思います。それで畜産を選んだわけです」(山内さん)

ドイツ文学に描かれる自然の暮らしぶりが、病気療養中の山内さんの心をとらえました。結核の治療を終え復学後は農学部獣医・畜産学科へ進学。これが細菌学・ウイルス学との出会いです。

私はあまり人というか、患者さんを相手にという気にはなれなかったのですね。結核になる前には理学部の人類学教室を選んでいたのです。なんとなく人とはつながって、それでいて生きた人ではない。もっと幅広い世界があると思ったのでしょう。そのつもりだったのですが、結核になってやめてしまって。それで、家畜細菌学教室ですが、そちらの世界に入った。あまり一貫性というか、何になろうと思っていたのかは分からないまま細菌学、ウイルス学の世界に入ったのですね」(山内さん)

※記事『ウイルスと共に生きる ウイルス学者・山内一也さんに聞く(後編)』に続きます。

※この記事は2020年6月14日放送 こころの時代「敵対と共生のはざまで」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/376/ 【ウイルスと共に生きる ウイルス学者・山内一也さんに聞く(後編)】 記事公開日:2020年07月03日

半世紀以上にわたりウイルス研究と感染症対策にたずさわってきた山内一也さん。ウイルスは「脅威ではあるが、敵対するものではない」と語ります。コロナ禍の今、日本を代表するウイルス学の権威は何を思うのでしょうか。天然痘の根絶にも貢献した山内さんの言葉から、コロナウイルスとの向き合い方を探ります。

ウイルスは「脅威」だが「敵対」するものではない

東京大学名誉教授の山内一也さんが研究者としての第一歩を踏み出したのは、日本のウイルス学が細菌学から独立し、学問として大きく進展し始めていた頃です。大学を卒業後、山内さんは「日本の細菌学の父」と呼ばれた北里柴三郎が設立した研究所に就職。ここで、その後の研究者人生を決定づける、「天然痘ワクチンの改良」というテーマに取り組むことになります。
「日本でも明治のはじめから、ワクチンを北里柴三郎のいた伝染病研究所などでも始めていたわけです。ちょうど終戦後に大陸からの帰還者が天然痘を持ち込んだ。それで大量のワクチンが必要になって、400kgくらいある大人の牛を使って、ワクチンを作ることになった。天然痘根絶もそのワクチンで達成されたのです。たまたま私が大学から北里研究所に入って、最初に天然痘ワクチンの製造と改良という仕事をやらされたということです」(山内さん)

天然痘の根絶を達成したあとも、麻疹ワクチンの国家検定、遺伝子工学を利用した遺伝子組み換えワクチンの開発など、山内さんはワクチン研究の最前線で活躍を続けます。山内さんのウイルス研究はその大半が、人類が感染症を克服するためのワクチン開発を目的としたものでした

「ウイルスは脅威であることは非常によく分かっています。ですから人間社会のために対策をほどこしておくということは、ずっと言ってきたつもりです。ウイルスが人間に来たら困る。対策として、ウイルスが発生するかどうか予測をして、その恐れがあったら防止する。実際に発生があった時は、どのウイルスかということまで確認して、それから対応していく」(山内さん)

ウイルスは脅威で根絶の対象ですが、山内さんは決して「敵対」する感覚はなかったと言います。

「今回の新型コロナの場合ですと、コウモリから発生する危険性というのは、2010年代からいくつも学術論文は出ています。ですから、ウイルスの脅威というのは常に認識しなければならない。ただ、研究対象として捉えた時に、自分が取り扱っているウイルスというのは別の話なのですね。ちょっと説明が難しいですが」(山内さん)

転換点になった“善玉ウイルス”というキーワード

ワクチンの研究開発を通して、山内さんはウイルスという不思議な生命体を独特のまなざしで捉えるようになっていきます。そして山内さんは63歳のとき、ウイルスの奥深い世界を広く一般の人たちにも知ってもらおうと、インターネット講座を開設。エボラ出血熱、BSE、口蹄疫(こうていえき)、SARSなど、当時世界的な関心を集めていた感染症について情報発信を始めました。

山内さんのウイルス解説は思わぬ反響を呼び、専門家だけでなく、一般の読者との間にも様々な意見や感想が交わされるようになっていきます。その中に、山内さんの価値観を激しく揺さぶる問いかけがありました。「細菌に善玉と悪玉があるように、善玉ウイルスはいないのか」というものです。

「目からうろこ、みたいな感じで受け止めました。2000年頃ですが、その頃は人間にとって役に立つウイルスの存在は分かりつつあった。私も知っていたのですが、『善玉ウイルス』というキーワードで見直すことはなかったのですね。ある意味では病気を離れたウイルスをもっと詳しく見ていくようになって、違った世界が見えてきた。それまでも見てはいましたが、頭の中で整理ができていなかった。これはかなり大きな転換点になったと思います」(山内さん)

やがて山内さんは、善玉・悪玉という区別をも超えて、ウイルスが存在するそもそもの意味を問い直すようになっていきます。

「『善玉ウイルス』というキーワードが出てきて、中立的な立場からウイルスの世界を眺めてみた。これまで私はウイルスの世界そのものを紹介していたけれど、ウイルスはどのような意味があるかということまで考えるようになった。ウイルスは人間を特別な動物とは受け止めていません。たまたまそこが居心地がいいか、悪いかというのは、全然分かりませんね。そういったことをウイルスが感じとるわけでもない。ウイルスそのものの中立的な立場に立てば、自分の子孫を残していくための適した場所、住みやすい場所を見つけていく存在なのです」(山内さん)

ウイルスと人間は“共犯者”

山内さんは著書に、チャールズ・ダーウィンのエピソードを記述しています。

チャールズ・ダーウィンは1860年、友人のエイザ・グレイ宛の手紙で自然のもっとも残酷な例として、ヒメバチの生態をあげ「私は慈悲深く万能の神が、生きたイモムシの身体の中身を餌にさせることをはっきり意図してヒメバチを創造されたことに納得できません」と書いた。

本来なら、異物であるハチの卵がイモムシの体内に入ってくると、イモムシの自己防衛機能により血液中の血球がハチの卵を取り囲んで殺すはずです。そこで山内さんは、ヒメバチの卵巣に寄生する「ポリドナウイルス」に注目しました。

「ヒメバチがイモムシに自分の卵を注入すると、そのとき一緒にポリドナウイルスも入っていく。そして、そのポリドナウイルスが非常に巧妙な手段を使って、子どもをかえしていくことも分かってきた」(山内さん)

ポリドナウイルスのDNAには免疫抑制遺伝子が含まれていて、イモムシの免疫細胞を麻痺させてしまい、ハチの卵を殺すのを阻止します。また、ポリドナウイルスはイモムシにハチの幼虫の餌となる糖を生産させ、さらにイモムシの内分泌系を乱して、イモムシがチョウやガに変態するのを阻止するのです。

孵化したハチの幼虫はイモムシの体内でまず脂肪体、ついでイモムシが生きるのに重要ではない器官を餌とし、十分に発達すると重要な器官を食べ、皮を食い破って外界に這い出ます。ポリドナウイルスはハチにとっては幼虫の生存を支える頼もしい共犯者なのです。

ハチが生存すればウイルスも存続でき、ハチとウイルスの双方にとって利益があります。一方で、イモムシにとっては恐ろしい病原体です。

山内さんは、ハチ、イモムシ、ウイルスという3者の関係を人間にも当てはめています。

「私にとっては人間がヒメバチであって、イモムシが自然生態系であると。ウイルスというのは科学技術、それが手助けをして、結果的に自然生態系を破壊していくという結果になっているように思えてならないのです」(山内さん)

21世紀はウイルスと共に生きる時代

人間はウイルスの根絶を目指してきましたが、ウイルスから見れば人間は取るに足りない存在だと山内さんは考えます。

「20世紀は根絶の時代というか、ウイルスの根絶を目指した時代。21世紀は共生の時代であると私は考えます。ウイルスは30億年前に地球上に現れて、現生人類のホモ・サピエンスが現れたのは20万年前です。生命の1年歴というものがあります。これは地球が46億年前にできて、そこから現代までを1年に例えると、ウイルスが出現したのは5月の始めです。人間が出現したのが12月31日の最後の数秒だった。ほんのひととき。ウイルス対人類と言っても、人間なんてウイルスにとっては取るに足りない存在だと思うのです。コロナウイルスに例えて言えば、コウモリという宿主でずっと1万年前からいる。

(ウイルスが)人間の方に来なければいいだけですが、来るように仕向けているのが人間社会なのですね。ウイルス対人類と考えてもいいですが、ただ敵というか、勝つとか負けるとかいう相手ではありません。全然違う存在だと思います。我々の遺伝子のヒトゲノムの4割くらいはウイルスです。ウイルスは私たち人間と一体化しているというか、完全に身の内なのです。腸内細菌が100兆個くらいあるわけですが、1つの細菌にウイルスが10以上いると言われています。すると1千兆ですね。それだけのウイルスが我々の体の中にいるということなのです」(山内さん)

20世紀は、ウイルスの根絶を目指した時代でした。しかし、21世紀はウイルスと共に生きる「共生の時代」であると山内さんは語ります。

「ウイルスと人との区別は、なかなかつけがたい。ウイルスと言っても病気を起こすウイルスだけではないわけですから。まさに我々はウイルスと一緒に生きているわけです。コロナみたいな野性のウイルスと共生するだけではなくて、我々の体の中のウイルスも一緒に生きているということは認識しておくべきだろうと思います」(山内さん)

※記事『ウイルスと共に生きる ウイルス学者・山内一也さんに聞く(前編)』はこちら。

※この記事は2020年6月14日放送 こころの時代「敵対と共生のはざまで」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。