http://sadhana.jp/kurashi/13001.html より
美しいお年寄りに出会うことがあります。
毎日安定したリズムで暮らしておられます。そのリズムが乱れることがありません。
ゆっくり静かに行動するのですが、働くことを続けています。現役世代が大枠を決め、大きな働き方をするはざまにあって、自分に出来る範囲を決めて、隙間を埋めます。自分が働いた労苦のこと、また、仕事の成果とか業績とかをアピールするようなことは、一切口に出しません。
現役世代によって世話されることがあると、美しく頭を下げて、礼を述べます。
親しい数人が食事の席に着くとか、お茶を囲んで団欒するような場では、静かに同席者の話すことに耳を傾けます。そして、たまに、自分の興味のある話題で、なお知りたい場合に、丁寧に質問します。
食事に関しても、自分の体と食べ物との間の、相性のいい悪いを十分に心得ていますから、体に合う限りのものを適量、上手に選んで食べます。
愚痴を言うことがありません。
若い世代が、争い合ったり、咎め合ったり、競い合ったりしていても、自分の方からはそこに介入しません。もし、若い世代の方(ほう)がご意見窺いのような質問をすることがあれば、ゆっくり、「人生というものは、○○○でうまく行くようですよ」とか、「人と人とは、□□□し合うものだと思いますね」といように、答えます。自分を入れ込んで、リキミをもってすることがありません。人生の普遍的真実に目を向けてもらうような、話の持って行き方です。
日々、穏やかにまた、時折、微笑みを浮かべて暮らします。
こういう美しいお年寄りは、心の中で、人の世の物事に関心の中心が無く、関心の中心は、人の世を超えたところにあると感じられてきます。こういうお年寄りの喜怒哀楽の基準は、人の世の物事には無いとわかります。どこか気高いところ、悠久のところに、価値の基準が置かれています。
こういうお年寄りは、神様と出会い、神様と対話する日々(刻々)を過ごしておられるように、見えます。こういうお年寄りの姿に接する度に、神様が人と共におられ、そして人を支えてくださっているのが見えるように思います。
0コメント