聖ベネディクトの祈り

http://sadhana.jp/inori/01.html  より

聖ベネディクト(注)は、聖書を用いる、三段構成ながら簡潔な祈り方を大切にしていました。弟子たちが祈りの仕方について尋ねると、「祈りは、簡潔で純粋なのが良い」と言いながら、その祈り方を、以下のように手ほどきしていました。

 第一の段階はレクチオ、読書です。聖書から好きな箇所を取り上げます。その箇所を読んで心引かれるところを選びます。

 第二段階はメディタチオ、黙想です。それは知性で考えるのではなく、唇を動かして心で味わいます。例えば、「生きる水の川」・・・「生きる水の川」・・・唇で繰り返しながら心で味わいます。        

 第三段階はオラチオ、観想の祈りです。味わった言葉をもっと深く味わうため、神様の前で話します。例えば、「私の日常生活の中で、生きる水の川はどう生かされるでしょうか」。

 満足したとき、この祈りを終えます。気が散ったときは止めて、新しく聖書の別の箇所を選んで行います。具体的にやってみましょう。

 ここでは、ヨハネ7章37-39を取り上げます。まずは、その箇所を読みます。

 読んだ後、どんなところが自分の心に響くか見ます。

 「渇いた人は私のもとに来て飲むがよい」が生き生きと心に響くとします。それなら、これを繰り返し繰り返し味わいます。「渇いている人…」「渇いている人…」「私のもとに来て…」「私のもとに来て…」。繰り返すうちに喜びを感じます。

 「私のもとに来て飲みなさい」「私のもとに来て飲みなさい」「渇いている人は…飲みなさい」「渇いている人は…飲みなさい」。繰り返しながら私が渇いていることを感じます。心で味わいながら感じることは、「私は渇いていますから、あなたのもとに行きます」という気持です。

 「渇いている人」「渇いている人」「渇いている人」私は渇いていると感じます。この黙想は唇と心を合わせます。ですからやりやすいのです。「渇いている」「渇いている」「渇いている」私だけてはなく多くの人が渇いていると感じます。「渇いている」「渇いている」心で味わいながら続けます。だんだん声は小さくなります。

 第三段階に入ります。最初は静けさを感じます。神様は私が渇いていることを見つめておられます。私はそれを意識します。神様は私を大切にされます。愛しておられます。私は神様の前にいます。私は話しかけます。「私は渇いています。私の心はあなたに開いております。私はあなたをもっと知りたいのです。この渇きをどうすればよいのでしょうか」・・・神様の答えを待ちます。

 「渇くことはいいことだ、満足しないことはいいことだ」私は安心します。うれしいことです。神様から沢山いただくことができます。ありがとうございます。神様が私の中に入ってこられます。私の中に永遠の命があります。満足しますと、この祈りを終ります。

 ふだん、この祈りをするときは、聖書の自分の好きな箇所を取り上げて下さい。

【注】聖ベネディクト

 聖ベネディクトは6世紀の聖人で、ローマ近郊の村で生れました。17才の時から山あいの洞穴で、若者と共に祈っていました。彼の祈りは6~12世紀によく使われ、教会の祈りはこの祈りから発展しました。「ベネディクト会」と呼ばれる修道生活共同体の創始者です。