体(呼吸)と祈り

http://sadhana.jp/karada/1100.html  より

【24】習熟する(1)―体の構えと呼吸において―

 このホームページに示される歩みにおいては、各自が、時間を十分にとって冥想しています。

 そのようにして土台から積み重ねることは、自分を幸いな成長へと推し進めてくれます。

 このコーナーで最初の段階から努めた方法は、長い努力とともに、すぐれた在り方へと辿り着きます。長い努力とともに、辿り着く在り方をまとめることをしてみましょう。

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 体のよい構えを意図的に構えることから出発しました。

 座布なり台なりに腰をおろし、上半身をまっすぐに立て、胸も開いて、静止する――力の入れ所はただ一ケ所です。すなわち、腰骨をキュっと立てるために筋肉を使うところだけ力を入れています。この筋肉の用い方だけが、座っている間中絶やされることなく、続けられます。

 腰骨を立てるためにしっかり力を入れている以外は、体中の力がまったく抜けます。リラックスしています。体が伸ばされてまっすぐに立てられていますが、楽な感じです。時間が長くなれば、この構えの良さが際立って感じられてきます。長い時間続けていても、疲れにくいのです。他の姿勢よりも楽になっている自分を見出します。「形に入って」行くのですが、到達するところには、自由さがあります。

 呼吸としては、鼻の先端の内側および上唇のところで空気の流れを感じようとするところから始めました。その後、呼吸の仕方を幾つか変えて努めました。このように、呼吸を丁寧に扱うことを積み重ねましたので、呼吸が滑らかになりました。段差がつかない感じで、しかも、大きさや深さも自然に増しています(吐くことを重んじて、無理無いながらも吐き切るようにしています)。それらは、正しい体の構え方にも助けられています。

 丁寧な呼吸を目指す度に、体と意識に爽やかな感じが加わります。また、心の落ち着き・平和さ・伸びやかさも伴います。

 体と一体化することに長じましたし、呼吸と一体化することに長じましたので、雑念も少なくなります。

 まだ信仰心と直接結び付けていない段階で以上のように、自分の尊い面が伸びているのを見出せることでしょう。ですから、日々、「また十分な長さ坐りたい」と思うようになります。

 暮らしの中にあっても、いろいろな局面で、自分の整いと良さとが保持され易いです。さらには、心が騒ぐような場合や、心が乱れるような場合に、体の構えと呼吸を意識しなおすことで、あるべき自分を取り戻すことができます。

 長い間の鍛錬の実りです。


【26】習熟する(3)-感覚に意識を開き切ることからの広がりー

―呼吸するとき出入りする空気を触覚と嗅覚で感じ取る積み重ね。

―身体表面の各部を感じ取る積み重ね。

―それに、とくに、音の世界への感覚の開放。

 以上の積み重ねは、「私の住む領域(世界)」を広げます。今まで見落としていたことや、今まで拒んできたことをも感じ取るわけです。

 いま、とくに、音を聴くという冥想に注目してみましょう。聴覚に集中するうちに、次のことに、気付きます――聴こうとして来なかった分野・領域がとても広いのだと。「音をすべて聴こう」と心がけるところから、心の広さが拡大すると感じられるのです。

 生きて行く人生において自分は、感覚する可能性を広げようとする鍛錬を通しても、心の狭さを抜け出せるのだと知ります。「ありのまま」を突き詰め感じ取ろうとすることの貴重さです。

 自分が「判っていて」安心感を持っていた領域から抜け出ること――頭ではかなりそれに励むものですが、感覚領域についてはどうでしょう?――感覚領域においてさえ、未知なところへと自分を向かわせるわけです。

 知らず知らず狭小化させていた「世界への自分の意識」に対して、呼吸の営みにおいても広がりが。また、体を感じ取ることにおいても、広がりが。さらに、音声が織り成す“音世界”においても、広がりが得られてきます。

以前の他の項目においてもすでに述べたように、この広がりは、囚われの無さ、自由さ、清らかさ、爽やかさと、関わり合いながら、自分の中に成就するものです。

 このような広がり・開きは、貴重です。この広がり・開きは、そこから、かならずや“神様の広さ”の体験を自分に招いてくれることでしょう。

コズミックホリステック医療・教育企画