体(呼吸)と祈り

http://sadhana.jp/karada/1100.html  より

【21】歩く冥想(歩行冥想)(1)

 「歩行」は、暮らしの中の至るところで行われます。この歩行と冥想とを一つにすることを目指します。

 あらかじめ、この冥想がたどり着く地点の様相を、おおよそとらえておきます。

雑念が消えて、直立の姿勢で足が運ばれ、ゆっくり前進しています。腰のところだけに引き締める力を加えていますが、あとはまったくリラックスしています。足の律動的な(一定リズムの)動きは、心に素晴らしい作用を及ぼし、ひざまずいたり座したりして沈潜しているときと、まったく遜色ない沈潜が達成されます。

 それでは、以上のようなところに到達することを遠い目標に据え、希望を持って取り組みましょう。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 直立の良い姿勢で、しかもリラックスしつつ歩くことが出来るための基本作りが必要です。 

 直立して、腰のところの筋肉をキュッと絞り、お尻が引き上げられる感じにします。頭での考え事や緊張を抜きます。両肩の力も抜きます。前進は、おへそが先頭に出る感じにします。(頭の中で、活動方針を吟味することや、肩で、事態に抜け目なく対処しようと身構えることを、いったん打ち切って、意識がおへそのあたりに降りるようにします。)

 自分の中心がおへその所にある感じが出来上がるために、最初は両腕もだらんと、2本の棒のように垂らしましょう。腰のあたりにしっかり力が入っているわけですが、他方、別のすべてのところは、くつろぎのうちに、まったく力を抜きます。

 頭はまっすぐに立て、顔を正面に向け、眼は半眼にします。(この際、首まわりや顔もくつろぎのうちにゆったりします。)

 上半身が以上のように構えられたら、今度は、両脚の動かし方です。 

 脚は少々上げるようにします。ですから脚の運ばせ方は、小さな自転車こぎのような感じになります。前に踏み出す歩幅は、やや小さく、スムースに自転車こぎの回転のようにして滑らかな脚の運ばせ方を体得しましょう。

 以上の歩行をする際に、頭の中を空にします。ただ、おへそあたりの感覚と、両脚の滑らかな動きの感覚だけを感じ取って、雑念をきっぱりと拒みます。

 このように歩くことを4~5分でも続ければ、もう、心が安らかに静かになり始めます。歩行冥想の入り口をくぐったのです。(「歩行冥想」については、三段階で表現し終えるようにします。次回に次の段階を示します。)

【22】歩く冥想(歩行冥想)(2)

  良い歩き方の第一段階が達成されたでしょうか?

 第一の段階のマスターをめざしつつ、次の段階に進み入ってみましょう。

 歩行冥想で、体の律動をともなう身体感覚を的確に十分に感じるために、前の段階に加えて、足首から先の感覚を感じることを目指しましょう。

 足の裏の感覚に注目します。

 右または左のどちらか一方の足を選びます。

 歩行速度をきわめて遅くして、この足で、歩行にともなって現われる主な4つの感覚を感じ取ります

第一は、足裏が床(地面)に着く感覚。第二は、その足に全体重がかかるようになって、床(地面)に圧力を及ぼす感覚。第三は、その足で前進力を得ようとして床(地面)を蹴る感覚。第四は、その足が床(地面)を離れて、まったく軽くなる感覚です。

上の四つの感覚をどれも見過ごさないで感じ取れるように練習せねばなりません。ゆっくりと、順番に「着(ちゃく)」「圧(あつ)」「蹴(しゅう)」「離(り)」と小さく呼びながら、繰り返しましょう。ゆっくりと、何度も何度も、繰り返します。この際に、「着(ちゃく)」「圧(あつ)」「蹴(しゅう)」「離(り)」と感覚に名付けする意識は、意識全体の10パーセントだけを当て、残りの90パーセントは相変わらず足裏の感覚の感じ取りに向かうようにします。ゆっくりと、皆感じ取れるようになり、それがリズムを持つようになれば、大きな前進です。

おへそ辺りに感覚の中心が下がって、足裏の感覚もしっかり感じて、動きのリズムが得られるようにします。

半眼の目は、自分の周囲の光景を、ただの壁紙模様程度と見ます。こうして、頭の中は無念無想になることを目指します。

さらに次のことも加えましょう。体の感覚として、なるべく多くを感じるようにします。 顔の感覚・肩の柔らかな感覚・両手の温かみを帯びた感覚・背中に服がかすめて触れる感覚・太ももやふくらはぎにズボンやスカートが触れる感覚なども同時に感じましょう。

こうして、自分の今現在の場にあって、安らかに動揺なく、まったく穏やかに落ち着いて存在できるようになります。

さらには、「着(ちゃく)」「圧(あつ)」「蹴(しゅう)」「離(り)」が丁寧に感じ取られれば、自分が大地と関わり合う様、地球と関わり合う様を、感じ取ることとなります。 地味なことですが、この大地(地球)の上に生を受けたものの、本来の生存感覚の一部分を感じ取っているのですから、尊いことです。

【23】歩く冥想(歩行冥想)(3)

 歩行冥想の境地をさらに、深め(高め)ます。

 意識がおへその辺りに降りて、無念無想でまったくくつろぎ、リズムを得られるまでになったでしょうか? そして、地面(床)に対する足裏の継続的な感覚変化も、体の多くの部分の感覚も感じ取れているでしょうか?

 ここから、心の深みを目指しましょう。

 今までだらんと棒のように下げていた両腕は、胸の前で両手を組むようにします。具体的には、右手を軽く握り、それを左手で柔らかく包むように組みます。この際、肩に力がいささかも入らないように努めます。(だらんと下げていれば力が抜けるのに対して、両腕がこのように上がると、じきに肩に力が入る傾向になりますから、注意しましょう。)

 この段階で、呼吸を歩行のリズムに合わせることを取り込みましょう。きわめてゆっくりした足の運びですが、それに合わせて呼吸の一往復も、足の一往復と合致させましょう。ゆっくり長く吸って、その間に片側の足の「着」「圧」「蹴」「離」が遂行されます。引き続きゆっくり長く吐いて、その間に別の足の「着」「圧」「蹴」「離」を遂行します。

 以上の間、頭の中の思いや考えはまったく排除されています。ただ呼吸と足の動きを関連づけるため、また体の諸部分を感じ取るために、意識の10パーセントほどが使われています。残りの90パーセントほどは、呼吸や体の諸部分の感覚の感じ取りに向けられます。

 こうして、目に入る情景は、心の中に反応を生じさせません。心は、外界と全くつながらないあり方になります。

 以上のあり方で、歩行をずっと繰り返して行きましょう。

静かな安らぎのうちに、すばらしく深まった心が恵まれます。

 こうして、内心の尊い静まりと深まりを恵まれたなら、頭に、信仰の思念を徐々に取り入れることが可能になります。信仰の思念と神様との対話を、営むことができ、聖なる思いを、保ち続けることができます。座して静止し、観想する際に恵まれる深みと豊かさにひけを取らない、心の深みと豊かさを持ち続けることができるのです。 (腰を低い台に下ろして座る形から、腰部だけに力を入れて立つ形へ変化――。また、身動きなしに静止するあり方から、脚部の筋肉をリズムを持たせて動かすあり方へ変化――。こういうあり方において、静止して座す冥想の仕方に決してひけをとらない聖なる境地が恵まれます。)

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