体(呼吸)と祈り

http://sadhana.jp/karada/1100.html  より

【16】舌の感覚の喜びから神様に賛美と感謝

 舌で感じる感覚、つまり味覚の楽しみは、人生における大きな喜びです。

 自然のままの美味――果物も、野菜も、魚類も。

 調理された食べ物の数々。

 さらには、酒類や菓子類など、食事に直接つながらないで、生活に潤いや喜びを与えてくれる嗜好品類も奥が深いです。

 このような喜び・慰めの源である神様をまず、単純に賛美しましょう。続いて、そのように人生に楽しみを届けてくださっている神様に感謝しましょう。

 この祈りの仕方は、もっとも祈り易いものの一つです。(ふだんも、神様のことは自然に思い起こし、賛美と感謝をしています。)

 この度、提案したいことは、その賛美と感謝をいつもよりずっと入念に行うことです。

 神様の近さ、寛大さに包まれながら、入念に賛美と感謝を捧げましょう。

【17】“神様を吸い神様に委ねる”呼吸の祈り

 「体(呼吸)と祈り」のコーナーでは、【3】~【6】において、呼吸法による冥想や祈りを紹介しました。ここで、再び呼吸法での祈り方に目を向けることとしましょう。そのはじめに、次の方法をご紹介します。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 この方法でも、最初の5分の間、いつものとおり準備の呼吸(アナパナ)をします。

準備が済むと、信仰の心を込めて呼吸をすることへと転じましょう。

 呼吸とは、いうまでもなく、はかり知れない尊い営みです。呼吸が持続することがあって、はじめて、人の命が保たれます。呼吸の停止は、この世での生命の終了を意味します。

 この命の源は、神様です。そして、一息ごとに、私は神様の命を吸い込んでいると言って過言ではありません。神様の命どころか、神様そのものを吸っています。

以上のことに思いを致しつつ、呼吸そのものによって祈りましょう。

 息を吸うとき、神様を吸っているように意識しましょう。一息一息、神様をいただいていると意識しながら、大切に吸いましょう。

 吐くときについても、尊さを感じましょう。

 はじめは、吐くときに自分の中の否定的な要素を吐き出していると意識しましょう。「汚れ」「悲しみ」「怒り」「ねたみ」などを吐き出していると意識しながら、何度も繰り返しましょう。

 さらに、吐くときいっそう信仰的になって吐きましょう。神様にお任せする心になりましょう。

 こうして、呼吸は、「神様を吸う」意識で吸い、「神様に委ねる」意識で吐くという、信仰の深まりの営みとすることができます。

 さらに、祈りは、純粋になれば、“考え”で営むよりも、“心全体”がその思いになるようになります。こうして、意識が単純化されるわけですが、その単純化に即して、言葉も「いただきます」と「お任せします」というようにすると良いでしょう。

【18】呼吸を信仰心の動きに合致させるー1(吸う場合)

 尊い営みである呼吸を、信仰の心の動きに合わせて行うなら、信仰の心を、いっそう濃密なものとすることができます。

 神様を待望する信仰の心は、「神様来てください」あるいは「どうぞおいでください」というような言葉になります。この言葉を用いながら、息を吸ってみます。どのような息遣いが合致するでしょうか?

 深く大きく吸うのがいいでしょうか?

 小さく丁寧に吸うのがいいでしょうか?

 力強くしっかり吸うのがいいでしょうか?

 吸い方の、大きさ、深さ、強さ、長さ、速さなどを、自分に合う仕方になるよう探してみましょう。

 神様を待望する心は、神様を自分の方にお招きするのですから、吸う時に「神様来てください」というのが、合致することは、確かなことです。

 待望する心での吸い方を体得できたら、「吸う」時に唱えるべき他の信仰の心は、どうい心か探してみましょう。

 感謝の心でしょうか? 賛美の心でしょうか? (「感謝」の場合、言葉は「ありがとうございます」に、「賛美」の場合、言葉は「すばらしい!」とすればよいでしょう。)

もし上の2つの心も「吸う場合」に合致するとお感じになれば、「待望する心」の場合と同じように、吸い方の、大きさ、深さ、強さ、長さ、速さを、工夫してみましょう。そして、自分にとって、もっとも合致する吸い方を身に付けるようにしましょう。

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