体(呼吸)と祈り

http://sadhana.jp/karada/1100.html  より

【7】体の各部の感覚を感じ取るー1

 今まで、呼吸を活かす祈りの方法を幾つか説明してきました。

 これから、しばらく「呼吸」を離れて、体を活かした冥想(祈り)の別の方法を説明します。

 今までの流れからすると、ヴィパッサナ冥想(注)を取り上げるのが相応しいでしょう。ヴィパッサナ冥想では、体の各部を「感覚する」ことに徹します。具体的には、以下のような仕方となります。

 体の各部分の感覚を一つ一つ受け止めます。

 すでに説明した体の構え方の場合に、目立っている感覚の例を挙げてみましょう。「お尻がクッション(台)に触れている感覚」「両手が膝の上に乗せられて手の甲と膝とが触れ合っている感覚」「手のひらが温かい感覚」「両肩に服が触れている感覚」「背中に服が触れている感覚」などが、目だって感じられるでしょう。これらは代表的なものですが、その他自分の体について、すべての個々の感覚を、くまなく感じ取って行きます。この冥想法を、ヴィパッサナ冥想と言います。

 この冥想では、思考や思いに走ることなく頭をカラ(空白)にして、体の各部の感じ取りだけを続けます。一つの部位について、5秒を超えないくらいで、感じ取りをし、それを、体のすべての部分について行ってゆきます。体の表面感覚を余すところ無く感じ取れることを目指します。

 上部から始めます。…頭の天辺…額…目…鼻…頬…唇…顎…耳…後頭部…首…右肩…右腕…右手…指…左肩…左腕…左手…指…喉…胸…腹…背中…腰…右腿…右膝…右脛…右足…爪先…左腿…左膝…左脛…左足…爪先などというように辿ります。

 以上の感じ取りに努める間、頭の中では何も考えません。頭の中に、雑念が湧いて来ると、それと気付くや、ただちに感覚に戻ります。

 「注意深く、忍耐強く、平静に」努めて、初めは、15分くらいから挑戦しましょう。そして、徐々に、20分~30分と伸ばし、できれば1時間を単位にしましょう。(なお、上の方から順に辿ることで、足の爪先まで済んだら、今度は逆方向に昇って行くようにし、往復の動きを繰り返しましょう。)

 人によっては、体の部位の感覚があまりにも薄くて、感じ取れないところが多い、という方もあります。そのような方も、どうか諦めないで、自分にとって、よく感じられる部位の感覚を感じることを繰り返しながら、だんだん他のうっすらとした感覚にも集中して行きましょう。そうすることで、日数とともに、自分の体の感じ取りの範囲が拡大して行きます。どうか、「注意深く、忍耐強く、平静に」続けてください。

 この冥想法によって、心が鎮まり、今現在に意識を集中することが出来、そして本来あるべき自分を取り戻すこととなる、喜びを感じることが出来るでしょう。

(注)ヴィパッサナ冥想

 ヴィパッサナ冥想(ヴィパッサナとは「ものごとをありのまま見る」の意味)は、その起源が直接にシャカに由来します。シャカの方法が、ミャンマーの地の仏教寺院で伝承されていましたが、前世紀の後半に、インド人、S.N.ゴエンカ氏が一般社会にも普及させる活動を開始したことで、世に知られるようになりました。デメロ師も、この冥想法を重視しました。ヴィパッサナ協会の本部は、インド、ムンバイの北東100キロほどの所のイガップリにあります。また、日本ヴィパッサナ協会は、京都府船井郡に、修行所を営んでいます。(そのホームページには、http://www.jp.dhamma.org/index.php?id=940&L=12でアクセスできます。)

《ヴィパッサナ冥想についての参考文献》

 『呼吸による癒し――実践ヴィパッサナ冥想――』ラリー・ローゼンバーク著(2001年 春秋社)

 『ゴエンカ氏のヴィパッサナ入門――豊かな人生の技法――』ウィリアム・ハート著(1999年 春秋社)

【8】体の各部の感覚を感じ取るー2

 ヴィパッサナ冥想を、いま一息深めましょう。

 体の部分について、できるだけ細かく感じ取ることを目指して行きます。

 頭の天辺については、前の方…中間…後ろの方というように感じ分けましょう。額についても、右半分と左半分。鼻については鼻の先端と鼻全体。腕については、上腕部の上半分と、ひじ側の半分を感じ分けましょう。手のひらを感じたら、手の甲も、指の1本1本も、別個に感じ取りましょう。

 細部を感じ分けられることは、集中の力が増したことと、感覚が鋭敏になったことの証拠です。

 そして、各感覚に名前を付けてみましょう。それを、次のような心構えで行ってください。つまり、意識の90パーセントは、引き続き感覚の感じ取りに打ち込みます。そうしながら、残りの10パーセントの意識を名前付けに向けます。その程度の意識の向け方で、一つ一つの感覚に、簡潔に「ひんやり」「むずむず」「あったか」「痛み」「うずき」などと命名するのです。

 通常人間は、刺激を受けると、意識がそれに反応し過ぎます。“反応し過ぎる”という程度どころか、それを超えて、しばしば“とりこ”になってしまいます。このように「刺激に反応し過ぎたり」「とりこになったり」しては、自分のバランスを失います。感じの良い調和的な自分がくずれ、“乱れた自分””偏った自分””不調な自分””奇妙な自分”などという状態に堕ちてしまいます。

 このヴィパッサナを積み重ねることによって、刺激への同一化から来る「反応し過ぎ」や「とりこになる」傾向から抜け出ることができます。自分自身において、良いまとまりを乱されることなく、日々の務めを果たしやすくなります。また、自分の言動が、目指す目標にたがわず直結できる度合いを増します。このことは、とりもなおさず、ミスの減少とか能率の良さとかの獲得を意味します。

 さらに、ヴィパッサナの積み重ねは、暮らしの中で、「いのち」に関する新鮮な驚きや感動が、得やすくなります。宇宙的・自然的なすべての命とつながり合って生きていることを、喜びながら、生活の質も高めていただける「行(ぎょう)」が、このヴィパッサナなのです。

【9】体の各部の感覚を感じ取るー3

 ヴィパッサナ冥想のいっそうの深みをめざしましょう。

初めは、各部の感覚を感じ取る-2で説明したとおり、細部を感じ取ることに努めます。

 ひとしきり、そのことに努めた後、次のようなところに進みましょう。同時に、3つほどの箇所を感じ取ることをしてみましょう。

 それができたら、今度は5~6箇所同時に、感じ取ってみましょう。

 さらに、次には体全体を一つのかたまりのように感じ取りましょう。

 さらには、体の或るエリアで、感覚が流れているように感じられるかどうか、感覚を集中してみましょう。

 ヴィパッサナ冥想を、ゴエンカ氏は、1日10時間ずつ10日間続けるプログラムに招いておられます。この「行(ぎょう)」にもし挑戦なさるなら、その終盤において、人は、体の神秘に触れます。体の「溶解」という感覚と変化にまで招かれることでしょう。(体の「溶解」のおりに、当人は、自分の体が感覚的に「綿」のように柔らかくなり、全細胞が「生まれ立ての生気」に満ちるのを感じます。)

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 ヴィパッサナ冥想は、人を、執着・気がかり・心配・怖れなどから解放しますから、まずここから、キリスト者に大きな益をもたらします。

 そして、この冥想に深まって行くにあたって、重要なご注意を一つ申し上げます。ヴィパッサナ冥想では、どのような思念も持ちません。神様という意識も、また神様からのお恵みという意識も持たないのです。

 神様の意識を持たない「行(ぎょう)」の利益をいただいた後は、しっかりと、神様(のお恵み)を意識しての祈りを十分に行いましょう。人格的な存在でいらっしゃる神様に、自分の人格をとことん打ち込んでの祈りをしましょう。キリスト者は、この方向からの祈りにおいて、どこまでも伸びて行く必要があります。そして、キリスト者は、ヴィパッサナ冥想の方法と、伝統的なキリスト者の方法とを、混ぜてしまわないようにしてください。決して、混ぜないでください。それぞれからの恩恵をいただくために、時間をしっかり区別して、別の時間枠を充てることとしてください。

 ヴィパッサナ冥想は、「自分」という農園において、栄養剤のように働いて土地を肥沃にしてくれます。別の言い方をすれば、自分の霊的営みが、頭脳方面に偏重になるよりも、心も体も含めた自分全体に広がって営まれるのを助けると言えます。

 キリスト者は、このキリスト教伝統外のヴィパッサナの実りが、キリスト教的祈りの際に、祈りを蔭から活性化してくれるのを体験できることでしょう。

コズミックホリステック医療・教育企画