http://sadhana.jp/karada/1100.html より
体(呼吸)と祈り
【1】はじめに
皆さんは、「祈り」という言葉に、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
祈りの世界、それは、実にバラエティーが豊かで幅広いものです。
私たちは生きている間、社会や、他者と関わりを持ちながら、考えたり悩んだり、笑ったり怒ったり、他人に願ったり、食べたり働いたり、とさまざまな姿を見せます。いかにも人間らしく活き活きと生きている人にとって、祈りは、言葉を頭で綴る(受け止める)道ばかりではありません。言葉に頼るよりもむしろ、敬虔な思いを体で表して祈りに向かおうとする時(注1)があります。そうして、言語的な営みを頭で続けても発展性が感じられないと気付くこともあります。
また、幅広い営みをする人生では、言葉以外の身体的な契機、つまり体の感覚や呼吸を祈りと結び付けることは大いに助けになります。サダナでは、積極的に体の感覚や呼吸を活かすことから、豊かな祈りの世界に歩みを進めていきます。
(注1) 敬虔な思いを体で表して祈りに向かう
近しい方の死や病気、人生の苦難に遭遇した時、または、壮大な自然に感激した時など、人の祈りは、おのずと身体の動きにまで及びます。両手を広げたり、ひれ伏したり、などと。また、人生には、言葉にはならない思いを、体に響かせて祈る時もあります。両手の指をぎゅっと握りしめたり、思わずひざまずいたりなどと。
【2】体を構えます
サダナでは、腰と上半身の構えこそが大切です。
無理に美しく均整がとれた外形を作ろうとせず、上半身の力を抜いて、体重だけが腰骨の中央にかかる座り方が理想的です。 心底から落ち着くことができ、冥想内容が充実することをめざすために、正しく構えます。
具体的には、まず座布やふさわしい台(注1)を用意して、腰(お尻)を適当な高さに保つことができるようにします。
次に、腰の筋肉をキュッとしぼって、腰骨を立てます。
肩の力もその他の余分な力も(注2)まったく抜き、まるで頭の天返から腰まで一本の棒が貫いているような感じにします。つまり、余分な力が全く抜けて、しかもまっすぐになっている状態です。
また、左の肩から右の肩まで一直線になる感じにもします。ここでも力は全く抜けるようにつとめます。
足の構えは、意識しすぎず、気楽にします。座禅の結伽や半伽がたやすくできる人はそれに越したことはありません。しかし、その構えでは苦しくなるという人は、ゆったりとあぐら風に自分の前に並べて置くことで構いません。
手の位置についても同様です。ひざ頭の上に、自然に置いておくのが良いでしょう。
〔この姿勢での利点に後に気付かれる(注3)ことがあると思います。〕
サダナでは、冥想によって、単なるリラクゼーションを目ざしたり、健康の回復を目ざしたりするのではなく、冥想内容の質が高まることを目ざして姿勢を作ります。
力を完全に抜いていながら、真っ直ぐであり、揺れることがなく、均整がとれた坐り方-この域まで、辿り着きたいものです。
(注1)座布やふさわしい台
市販のものもありますが、自分で工夫してみましょう。
座布団の枚数や、土台となる何かひらたい台になるものを工夫するのもよいでしょう。短時間だけ使用できるものではなく、長い時間にも、多くの日々にも変わらずやり続けられるようなものを、丁寧に用意しましょう。
(注2) 肩の力もその他の余分な力も
あたかも自分があやつり人形になったように、人形師がぐっと引き上げて(まっ直ぐになり)、糸がゆるんでストンと下におろされた、とイメージしてみましょう。
(注3) 利点に後に気付かれる
長い時間冥想していると、両腕の重ささえも気になってくることがあります。手が、もともとひざに置かれている場合は、重さが気にならずにすみます。瞑想の途中で動くことは避けたいですから、これは気の利いた準備となります。
【3】呼吸を活かして霊的な意識を鋭くする
アナパーナ〔サンスクリット語で「呼吸」の意〕は、鼻の先端を通る空気の流れを感じ続ける呼吸法です。
アナパーナをしている最中、頭脳は、その活動を止めます。つまり、考えること、想像すること、感情を抱くことを止め、ひたすら空気の流れを感じ取ることだけに集中します。
鼻の粘膜に触れる空気・・・
上唇のところに触れる空気・・・
さらには、鼻の先端の内側の粘膜と上唇から鼻に続いていく皮膚の辺りという二等辺三角形の部分の感覚・・・ただひたすら感じ続けます。
息を吸うとき、吐くとき(注1)、空気はどう感じられるでしょうか?
細かく鋭く感じてみましょう。
アナパーナの呼吸法で、霊的な意識を鋭くすることを目ざしましょう。
具体的には、次の3点を目指すと良いでしょう。
一つ目、心を静め平安を得ること。
二つ目、今現在の自分を感じること。過去でも未来でもない「今」を感じ続けること。
そして三つ目に、自分というものが、刻々と変わっていくのだという深い認識に至ること。
(注1)息を吸うとき、吐くとき
この行は、健康術として行うものではありません。ですから、呼吸の大きさやリズムは自然のまま行ないます。ただし、吐く息については、段差をつけないで、静かに吐ききることをお勧めします。
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