フラワー・オブ・ライフ・「人生の賞味」

http://souzounotane.com/article/454092860.html?seesaa_related=category  より

3.人生の賞味

 今回は、「人生の賞味」というお話をしましょう。

 食品には、賞味期限が定められていることはご存知でしょう。食べ物は古くなると風味も落ちますし、生ものなどは特に腐りやすく賞味期間も短くなります。

 また、保存の仕方によっても賞味期限が変わったりします。たいがい冷暗所に保存して、あまり高温多湿なところに食品を置かないというような工夫も必要でしょう。

 「人生」にも賞味期限があることをご存知でしょうか。

 考えるまでもなく、人はいつまでも生きられるわけではないので、「賞味期限」があるのは当たり前なのですが、「人生の賞味」、特に賞味の方法について普段からあまり考えることはありません。

 おそらく明日は生きているだろう、一週間後も生きているだろうし、半年後も多分大丈夫、でも、1年後、3年後、5年?、10年後となってくると、どうなっているのか、予測が付きにくいと思います。

 ここでは、将来性をもって色々考えていくことも大切なのですが、むしろ「今、ここ」が「どこ」なのか、私が存在している、現在とは「どのような」場所なのかを知ることも大切だと思います。

 「人生」は、大概うまくいかないことの方が多いので、将来を見通し対策を練ることも大事ですが、現状を把握することで今いる場所の見取り図を手にし、自らが進むべき方向性を確認できるようにする、そのような人生の羅針盤の見方を習得しておくと、これから先も、ずっと使えるスキルになると思います。

 これら羅針盤の使用方法については、第二部以降でお話をすることにしますので、本日は、「人生の賞味」という人生を究極に味わう方法に焦点を当て、前回の「人生の趣味」と合わせてご一緒にお考えいただくと良いでしょう。

 当然ですが、味わい方は人それぞれ異なります。ですから、より豊かにそして楽しく生活をする方法は、人が居る分だけあるといっても良いでしょう。

 今回お話するのは、私の考える味わい方であり、それを強要するものではありません。

 よろしければ少し参考にしていただける程度でよいと思いますし、聞き耳半分で興味を持っていただけれは幸いです。

 そして、今回のお話だけで「人生の賞味」を言い尽くすことは当然困難なので、要点を少しだけ申し上げることに致します。それでは、お話を始めましょう。

Ⅰ.味わうべき人生

 私たちが考える一般的な「生活」のイメージとは、どのようなものでしょうか。

 独身の方、結婚されている方、ご家族と一緒に暮らしている方、老後ご夫婦で暮らしている方、あるいは病気で入退院を繰り返したり、重病を患い入院生活を余儀なくされている方、施設でお暮しの方など、さまざまな生活スタイルがあると思います。

 そして、どんな人でも、社会人として「生活」をはじめるためにすることは、まず「収入」を得るということだと思います。

 そして、実際には会社に就職してお給料をいただいて「生活費」を賄うというスタイルがほとんどでしょう。

 はじめは、従業員、あるいは社員として会社のために働くという「生活」スタイルです。しかし、これは会社のためというより、先に申し上げたように自らの「生活」のため、といったほうが良い場合もあります。

 むしろ「生活」のために会社で働く。それが一般的な姿ではないでしょうか。

 しかし、同時に、仕事にやりがいをもち会社のために働くことがその人にとってとても充実した生活であったとするならば、大変幸せなことだろうと思います。

 終身雇用でその労を労(ねぎら)い、退職後の生活も生き々としたものであればなおのこと素晴らしい人生でしょう。

 ところが最近の会社における雇用形態は変貌を遂げ、終身雇用は影を潜め、年功序列の昇進昇給も保証されるものではなくなりました。

 最近の労働者の雇用環境は、バブルの崩壊、リーマンショックなどの経済破綻によって激変したといえます。

 しかも、終身雇用を終えて退職した一家の主(あるじ)が一日中家にいることになり、夫婦関係が悪化するケースも目にします。

 趣味もなく時間を持て余し、一日中テレビを見ているような夫だったら、家に居ないで外で仕事をしてくれたほうがまし、と世のご婦人方が「亭主元気で留守がいい」と揶揄しました。

 これが時代の要請であるかはわかりませんが、「生活」をどのように味わいのあるものにするのか、俯瞰的な視点や多角的な考え方が不足しているのではないかと思うのです。

 そういう意味では、「生活」だけではなく「人生」も問題でしょう。ワーカーホリック(仕事中毒)となって、一家を顧みないでいる「生活」、妻に「仕事をとるの、私をとるの」と迫られ答えに窮する夫、そんな「人生」。

 そこまで極端ではなくとも、昇進によるストレスや親族に関するいざこざ、子供の進学や教育などの様々な問題によって、夫婦関係や人間関係のすれ違いが生じることがあります。

 このような多様な問題を整理するために、また、味わうべき人生を実践するために、私は「四つ肢(あし)テーブル理論」を推奨しています。

Ⅱ.「四つ肢テーブル」理論

 この考え方の基本は、すべては「自分」の意識の持ち様である、という概念が元になっています。理論についての詳細は第二部以降に解説しますが、人の意識の持ち方が人生を左右し、特にそれが「収入」形態にまで影響する考え方を示したものです。

 テーブルを「人生の舞台」と考えていただくと良いでしょう。テーブルを最も安定した状態に保つのが、「四つ肢テーブル理論」です。

 社会人としての第一歩は、何らかの方法で「収入」を得ることでした。初めにもお話しましたが、一般的に「収入」を得る方法を私たちは「雇用」される側としてとらえています。

 つまり 「就職」という形です。

 しかし「就職」という形だけではなく、本来「収入」を得る方法はいくつかあります。例えば、お店を開く、開業や「起業」するなどの方法です。

 ここで「人生」を思い出していただきたいのですが、「人生」とは、圧倒的な「あなた」への「興味」であり、「人生」は「あなた」に期待しているということです。

 ここに、究極の答えがあります。

 すなわち、最終的には「仕事」を「探す」立場から、「あなた」が仕事を「生みだす」立場へ、お金を「もらう」立場から、「あなた」がお金を「生みだす」立場へシフトしていくことです。

 中心である「あなた」の力で、新たな「仕事」を生みだす。最終的に「あなた」自身が「仕事」を生みだし「お金」を生みだすことが究極の興味であり、それを「賞味する」ことが「人生の醍醐味」なのです。

 「四つ肢テーブル理論」を簡単にご説明しましょう。

 

 会社の枠組みの中で、自分の資質を生かして働くことはとても「幸せ」なことです。それが、第一の肢(あし)となります。

 さらに会社という枠組み自体を「自分」が担うことで、多くの人に「福」をもたらすことができます。これが第二の肢になります。

 そして、さらにその仕組みやシステムを人に任せることで、『自分』の気持ちが「豊か」になります。これが第三の肢です。

 最終的に、このようなシステム全体をバックアップする社会貢献を目指すことで、『自分』の内なる「富」を築くことができます。これが第四の肢となります。

 これが、幸、福、豊、富の循環という「収入」をめぐる法則です。

 このことは、あまり学校では教えません。どういうわけか日本では、経済の資産の流れや、起業についての考え方、あるいは株や為替の仕組みなどについて義務教育ではほとんど触れないのが実情です。

 経済について冷静な視点で見つめる智慧が整えば、実は本当の「富」をどう使うのかが分かってきます。そうすると他人事で裕福とか資産家、富裕層などという言葉だけが独り歩きをしなくなります。

 それは、本来、自分自身に直結することだからです。

 教育がこのような重要な経済の仕組みについて、あまり触れないことに、何か意図があると思うのは私だけでしょうか。ここであまり詳しいことは申しませんが、あえてそうしているように思えてなりません。

 そして、たとえ収入を得ることでも、私の考えではワークが先にあるのではなく、すべてライフが先であると考えています。

 それは、ライフなくしてワークは無いからです。ライフが生活の土台であり、そこにワークが寄り添うようにある、それが自然の摂理であり、その姿が本来当たり前だからです。

 ライフをいかに充実させるのか、それは当然「仕事」にもかかわってきます。その一番の問題が、「やりがい」と「居(い)がい」そして「収入」の問題なのです。

 この三つの問題をクリアーすれば、自ずと人生をどう味わうかという答えが見えてきます。

Ⅲ.「人生」を味わうとは?

そもそも「人生」を

楽しんでいますか。

没頭できるような

趣味といえるものがありますか。

一人暮らしは寂しくないですか。

彼女(彼氏)と愛し合っていますか。

夫婦関係は円満ですか。

自分の好きなことを

仕事にしていますか。

時には自分を解放して

許してあげていますか。

本当はしたくないのに、

やらされ仕事をしていませんか。

仕事について愚痴を言っていませんか。

自分が本当はどんな仕事をしたいのか、

よく分かっていますか。

 このような様々な質問に、あなたは正直に率直に答えてみましょう。そうすることで、本来、あなたに課せられた人生の役割が見えてきます。

 そして、人生の意味を知ることになるでしょう。

 それは、他人と比較したり競い合ったりするものではありませんし、答えも、あなた自身しか知る術がないものです。

 次回は、そんな「人生の意味」についてお話ししてまいります。