ルパート・スパイラ

内容紹介

今、最も重要な「プレゼンス」(今ここにあること。覚醒)についての決定版!

ダイレクトパス(直接的に示す)の覚醒のティーチャーによる

「自己」と「幸福」についての深遠なる探求の書

とてもわかりやすく書かれています。

私たちの本質について、平安・幸福・愛について、分離した自己の源について

体、世界、体験について、順を追って説明しています。

私たちの自己が本来もっている性質が、体にも、心にも、そして世界にも浸透し始めます。それらは、すべての形態が終わることなく現存に溶けていくなかで、

ますます眩く光り輝き、開かれ、空で、透明で、安らかになっていきます。

すべては私たち自身の存在の光とともに輝き出します。

世界はこれ以上ないほど近くに感じられ、親密で、生き生きとし、明るく、友好的なものとして体験されるようになります。

世界をこれまでのように体験することはもはやありません。私たちが世界そのものです。気づきと体験はひとつであったことを理解するのです。

気づきそのものがあらわれ、自己探究は自然に終わりを迎えます。ここでは、気づきに限界を与え、

気づきを位置づけているように見えた大小さまざまな思考の塗り重ねから気づきは解放されています。

気づきはあるがままに佇み、それ自体を知り、それそのものであり、すべてのあらわれと親密で、完全にひとつです。

平安、幸福、愛は、私たちの存在に内にいつでもあって、いかなる状況の、いかなる体験の瞬間にも触れることができます。

これは私たちがたどり着くことのできる、最も重要な発見です。

(本文より)

内容(「BOOK」データベースより)

ダイレクトパスの覚醒のティーチャーによる「自己」と「幸福」についての深遠なる探求の書。今、最も重要な「プレゼンス」(今ここにあること。覚醒)についての決定版!

著者について

ルパート・スパイラ Rupert Spira

幼少の頃から現実の本質に多大な関心を寄せていた。20年以上にわたりピョートル・ウスペンスキー、

ジドゥ・クリシュナムルティ、ルーミー、シャンカラチャリヤ、ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジ、

ロバート・アダムスらの叡智を探求した後、1996年、彼の師となるフランシス・ルシールと出会う。

ルシールの導きにより、ジャン・クライン、アートマナンダ・クリシュナメノンらの教えに触れ、

さらには経験の真の性質を知るに至る。

現在はイギリスに暮らし、ヨーロッパおよびアメリカ各地で、ミーティングやリトリートを定期開催している。

HP:http://www.rupertspira.com/

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

スパイラ,ルパート

幼少の頃から現実の本質に多大な関心を寄せていた。1996年、彼の師となるフランシス・ルシールに出会う。ルシールの導きにより、経験の真の性質を知るに至る。現在はイギリスに暮らし、ヨーロッパおよびアメリカ各地で、ミーティングやリトリートを定期開催している

溝口/あゆか

早稲田大学第一文学部卒。留学で訪れたイギリスでセラピーの世界に触れ、現地でヒーリング、セラピー、カウンセリングなどを学ぶ。現在、心理カウンセラー、セラピストとしてイギリスと日本で心理学やEFT、マトリックス・リインプリンティングなどセラピーコースを開催。「インテグレイテッド心理学」を提唱し、非二元(悟り)の観点からの人間の心のしくみを教えている

みずさわ/すい

国際基督教大学卒。映画配給会社、レコード会社の宣伝を経て、現在は文筆に携わる。スピリチュアリティにまつわる作品の翻訳、宇宙と人間をつなぐメソッドとしての占星術を紐解くコラムの執筆などを展開中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


ルパート・スパイラ 【スピリチュアル名言集】 https://matome.naver.jp/odai/2146225713115366401  より

誰にも個人的な責任は無い

たいていの人は 私の思考、私の動きをコントロールしているといい、1つか2つはコントロールしているといいます。

しかし、数十億も起きている科学反応の中で、1つか2つはコントロール可能だなんて、

それは “自分をコントロールしている” といえるのでしょうか?

“自分が 体と思考をコントロールしている” という考えは現代の生物学、科学、物理学も認めていないですね。

それは理にかなっていないのです。

その行動に責任のある存在はありません。

その行動は、思考や感情に条件付けられた反応です。

過去の出来事からの条件付け、そして遺伝的な条件付け、

そして他のなんであっても、単一な「状態」なのです。

そこには個人的な責任はないのです。

私が観照の崩壊と呼んでいるのは、主体と対象(客体)という工場が完全に解消することです。

見られているという感覚と、見ているという感覚が完全に消えてしまうこと、なにかが現われているという感覚が完全に落ちてしまうことです。

出典

ルパート・スパイラ 「観照の崩壊」|ゼロ意識共鳴・無・空を みつめて!

この探究は必ずしも必要であるわけではありません。

というのは、観照の崩壊はそれ自体で勝手に起こるからです。

ルパートスパイラ 死、そして肉体は物質であるという考え

私たちは一度も肉体を経験したことがありません。

そもそも、肉体を経験するには、思考の外側で何かを見つける必要があります


「瞑想」がエゴの「迷想」にならないように~ルパート・スパイラ

「気づき」として存在するためにマインドがすべきことはなにもありません。自分自身が「気づきそのもの」であると知るために、マインドで何かしているからとか、していないからということはまったく関係ないことです。

あなたは、ここでの会話、この環境・景色、自分の思考もちゃんとわかっています。今、自分の体が何を感じているかもちゃんとわかっています。すべてのものは変化し、動きがあり、流れゆくものですが、あなたは常に、その時々それらすべてに気づいている存在です。

ルパートスパイラ おとぎ話

皆さんは、「もの」を

死んだ不活性なものと思っているけれども、

そうではなく、全て生きていて

豊かな反応を返してくれるのです。

我々が世界をそのように

扱い始めた瞬間から

世界はありがとうと

私たちに言います。

世界は応えてくれるのです。


「今に生きるとは?」~誘導瞑想 by ルパート・スパイラ

あなたの経験は「今」起こっています。つまり「今」だけが直接体験できる確かなものです。「今」というのはどのくらい続くものでしょうか?私たちが朝食をとった時の「今」は、今この瞬間の「今」とは違うものなのでしょうか?

出典

「今に生きるとは?」誘導瞑想~ルパート・スパイラ • 地球人のためのスピリチュアルレッスン • VastStillness

たとえば、本屋さんで小説を買うとします。小説の一部始終は現存しています。しかし、マインドは一度に小説すべてを読むことは出来ません。思考が小説を読むためには時間が必要です。しかし、小説そのもの、小説のすべては、常に今現存しています。これは小説側の制限ではなく、思考が持つ制限によるものです。その制限のために、小説すべてを瞬時に捉えることはできないのです。それと同じで、私たちの体験すべては「今」起こっています。私たちが今まで体験してきたすべてのことは、この瞬間の「今」に起こっているのです。その「今」はひとつしかありません。過去に起こったことは何もなく、未来に起こることも何もないのです。

●プレゼンス―第1巻  ルパート・スパイラ著

これまでに体験されたのは、体験することの体験だけです。

体験を体験するのは何でしょう?

体験だけです。

それはそれ自体を体験し、知ります。

この純粋な体験こそ、私たちそのものです。

それは、私たちの存在(ビーイング)の親密さに満たされています。

出典

体験の中心へ( プレゼンス ルパート・スパイラ著 )|ゼロ意識共鳴・無・空を みつめて!

実際には視点(point of view)はありません。

そこには視界(view)があるだけで、

その視界のあらゆる部分は(現実においては、視界は部分からできていませんが、)

見ること、体験することに満たされています。

それは、見ること、体験することだけでできています。

他者性を知らず、

対象物を知らず、

自己、

実体、

他者、

世界を知らないその親密さこそが、

愛の体験です。