https://gakuen.koka.ac.jp/archives/715 【かんじんなことは目に見えないんだよ (サン=テグジュペリ)】より
このことばは、フランスの作家・飛行士 サン=テグジュペリ作『星の王子さま』の一節にあることばです。この小説は、児童文学でありますが、大人向けのメッセージに満ちあふれていて、人間にとって大切な事柄、真実の教えが随所にちりばめられています。
小説の中で王子は「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」と教えられました。
ただ目に映るものが必ずしも真実とは言えないこと、心の目で見ること、子供のように心の 曇りがなく、純真な目でものごとを見ることが大切であることをこの小説は伝えています。
人は、正しくものを見ているつもりでも、自分にとって損か得かという自己中心的で自分 勝手な見方でしかものごとを見ていないため、何が本当で何が偽りなのかを見極めることができません。
現代社会に生きる私達は、目に見えるものばかりに心を奪われて、数値ばかりを追い求めてきました。その典型が経済至上主義の考え方であると言えるでしょう。その結果、私達は、大切なものを見失い、目に見えない多くのものに支えられていることに気付かなくなってしまったのではないでしょうか。
今こそ、物質の豊かさではなく、心の豊かさ、心の糧を大切にすべき時だと思います。そして、一人ひとりが、ものごとの本質、真実の姿、本当に大切なものを見つけていかなければならないと思います。そのためには、純真な子供の心と真実を見定める智慧の眼が必要であります。
仏教の教えをいただく私達は、大いなる仏の慈悲によって、生かされていることに気付き、その慈悲の中に目に見えないけれども確かにある大きなはたらきに気付くことができるはずです。その見えないけれども確かにあるはたらき(慈悲の光)に照らされて、自分自身とまわりのすべてのものを見ることにより、ものごとの本質・真実を見定めていくことが最も大切なことだと思います。
皆さんにとってかんじんなこと、本当に大切なことは何でしょうか。心の目でしっかりと見つけてください。(宗)
Facebook・清水 友邦さん 投稿記事「絶望こそが希望である」
暗く重い鉛のような固まりが身体にのしかかってきます。
絶望と無力感が心から離れません。
悲惨な状況を見れば見るほど悲観的になり、絶望感に苛まされます。
そんな苦悩の日々が続きます。
過酷な状況から眼を背けたり、逃れようとしても、苦悩から逃れる事は出来ません。
現実から逃避しても先に進む事は出来ません。
地球全体の生態系がものすごいスピードで破局に向かっています。
地球規模のターニング・ポイントに近づいています。
環境活動家のアンニャ・ライトはかつてこんなことを言っていました。
「2、3年前までは差し迫った感じがずっと強くあって、『今、ここで伐採を止めなくては』『もう時間がない』『森を守るためには命さえ惜しくない。何でも私を使ってください』というような焦りがありました。
でも、ある時、たとえ私が首相官邸の前で焼身自殺をはかろうと現実は変わらない、と悟ったのです。
それより、もっと長期的なコミット、決意と実践が必要なのだと。それには〝早急に結果を求める〟という態度を手放さなければなりません。
それで、『自分の努力と仕事の結果を、自分が生きている間に確かめることはないだろう』という事実を、私は受け入れたのです。
これは私にとって深い気づきでした。〝結果を求める〟という執着を手放すことができて、私はさらに深い自由を得たのです。」
社会は私達の恐れや無知や欲望が構造化された独自の力学で動いています。
自己と社会は相互に関係し依存して生起しています。
政治家や官僚たちの心の中にも抑圧された感情があります。
もし、世界を敵味方に分けて心に境界線を引いて分離してしまえば生命エネルギーは流れず疲弊します。
社会的問題を解決しようと行動する市民も既得権益を守ろうとする保守体制の人間と同じ様に無意識の力に自我が飲み込まれてしまいます。
ジョアンナ・メイシーは「絶望こそが希望である」と絶望を通して見えてくるものがあると言いました。
孤独、無力感、あきらめ、絶望、不安、恐怖、悲しみ、などのストレスに長くさらされ、それに、うまく対処できないでいると、免疫システムは低下して、肉体の病気となって現れます。
最大の障害は恐怖です。失うことの恐怖、引き裂かれる事の恐怖、死ぬことの恐怖、過去に何度も下位の身体で死の恐怖を経験してきているので湧き上がる衝動に自我が呑み込まれて「耐えきれない」と叫んでしまいます。
あらゆる出来事を否定せずにあるがままに受け止めると
思考や感情が泡のように浮かんでは流れの中に消えています。
それを観照しているのが本当の自分です。
そのことに気がつくと深い目覚めが起きます。
観察的自己を育て、その恐怖、絶望を深く味わう必要があります。
絶望的であることから目をそらすことが絶望そのもの、
そこから眼を背けないで、
この絶望を健全な反応として受けとめると
不思議に力が湧いてきて希望と勇気を見いだしていけるようになります。
自分がいまこの瞬間に存在していること
時間と空間を超えて今ここにいるということ
絶望や恐怖は心が創ったマーヤである事を見抜くことができれば、
その人は状況を変えていく勇気を持つ事ができます。
そして同じ気持ちを共有する仲間がいるとわかったとき
万物とのつながりの中で存在していることに人は目覚めます。
新しい意識が育ってきています。
かつてない危機が幅広い運動のネットワークを生みそれが広がって来ています。
新しい持続可能な文明を産み出そうと陣痛がすでに始まっています。
それを可能にする技術と手段はすでに持っています。
それが生きている間実現しそうもないと
絶望が湧いてきても、あるがままに自分と向き合い
結果を求めようとするマインドから脱同一化して
そのヴィジョンの実現に向けて
自分が今出来る事を粛々と進めていきます。
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