https://karapaia.com/archives/52243303.html 【目に見えているものは真実ではない?3つの錯視が明かす脳の仕組み】より
錯視は我々が現実を直接見ていないことの証左だ。また我々に世界を見える形で体験させようとする心が、視覚情報を処理する過程を垣間見せてもくれる。
その処理を担うのが脳であり、これが錯視の原因である。カメラのように目に映った情報をそのまま届けるのではなく、脳はそこにある形状や物体について解釈しようとする。
ところが目から入ってきた情報が曖昧だったりすると、経験に基づいて推測しなければならなくなる。以下で紹介する3つの錯視はこのことを実感させてくれる。
性別の錯視(男性?女性?)
リチャード・ラッセルが考案したこの画像では、左は女性、右は男性に見える。だが、どちらも同じ顔で、色の明暗だけが違う。
原因は皮膚の明暗が顔のコントラストを変化させる、すなわち最も暗い部分(唇と目)と最も明るい部分(皮膚)の違いの度合いに影響を与えることだ。
顔のコントラストで性別が違って見えるとは意外だろう。だがそれはご覧の通りである。平均すると、男性より女性の方がコントラストが高い。
このことを分かっていたとしても、脳はコントラストの性差に引きずられて解釈してしまう。特にほかの手がかりがない場合は決め手となる。
面白いことに、コントラストは単純に顔の性別を解読する手がかりとなるのではなく、男性か女性の顔を”見る”という体験をもたらす。
これは無意識の作用である。心の目が持つイメージには、我々がすでに持っている情報が組み込まれている。そして、それを用いて目の前の映像の曖昧さを解釈しようとするのである。
格間の錯視(円が浮かび上がる)
アンソニー・ノーシア(Anthony Norcia)が考案したもの。長方形の模様が並んだドアパネルのように見える。が、しばらくすると16個の円が浮かび上がってくるかもしれない。
格間の錯視は、脳に物体を特定しようとする強い傾向があることを示している。”画素”はグループとなり、境界や輪郭を浮かび上がらせ、最終的に物体となって像を結ぶ。しかし、この図形ではきちんとしたグループ分けができず、曖昧だ。
それでも横線の集合について2種類のグループ分けが考えられる。
円か、2つの長方形の間を横切る境界であるかのいずれかだ。
ほとんどの人では、最初に長方形の一部としてグループ化が起こりやすい。それは我々を取り巻く日常的な環境には、円よりも長方形のほうが多いからだ。このために、脳はまず長方形が見えやすいようにグループ化するのだ。
愛のマスク(1人に見える?2人に見える?)
ジャンニ・サルコーネの愛のマスクの中には1人の人物、あるいはキスを交わす2人の人物が浮かび上がる。格間の錯視と同じように、画像の輪郭は2種のグループ分けが可能であり、脳はどちらを選べばいいか確信を持てなくなる。
違うのは、少なくとも一部の人にとっては、いずれの解釈も優先的にならないことだろう。眺めていると、どちらのパターンも繰り返し現れる。
このような見え方の変化は、イメージに関する一貫した情報を提供するうえで利点があり、世界に働きかける方法を知るうえで便利なのかもしれない。
ここで紹介した3点の錯視はいずれも、我々の視覚処理には物体を特定しようとする強い傾向があるいことを示している。
我々の心の目の中にある表象は、役立つものであるように作られている。ゆえに我々にもたらされるのは乱雑な点などではなく、円・長方形・顔・性別といったきちんとした視覚体験なのである。
10の有名な錯視
0コメント