何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く

https://motivation-up.com/word/041_1.html  【何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く】 より

もともと誰の言葉なのかは不明ですが、落選した議員や教育者などが好んで使う言葉として有名です。マラソンの高橋尚子さん(シドニーオリンピック金メダリスト)も座右の銘にしていたといいます。

努力しても何の成果も得られないと感じる時、うまくいかなくて投げ出してまいたくなる時などに思い出したい言葉です。

たとえ今は辛くとも「やがて大きな花が咲く」ことを信じて踏ん張ろう ── この言葉はそんな気持ちにさせてくれます。

落選した議員がこの言葉を好んで使う理由が分かりますね(苦笑)

誰もが必ず逆境を経験します。

いつも順風満帆というわけにはいきません。

うまくいかない時に頑張れるかどうかで、その後の人生が変わるのです。

うまくいかない時こそ、足元に目を向けて地道な努力を積み重ねていく時です。それは、やがて大きな花を咲かせるための準備期間です。

むしろ、この期間にしっかりと根を伸ばすことができなければ、いざチャンスが訪れてもそれを活かすことなどできないでしょう。

寒い冬を乗り越えたものだけが、春に大きな花を咲かせることができるのです。

この言葉を信じて地道な努力を続けましょう。きっと報われる時が来るでしょう。


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高校時代の恩師の言葉が女子マラソン金メダルの原点

日本女子陸上界初のオリンピック金メダルに導いた精神。高校時代の陸上部の恩師、中澤正仁監督からの言葉を胸に高橋尚子は結果が出ないときも走り続けた。

「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」(元三洋電機副社長、後藤清一氏著書『リーダーズノート』より)

高橋尚子の愛称、“Qちゃん”フィーバーに沸いた2000年。シドニーオリンピック女子マラソンのレースで多くの人の記憶に刻まれているのは34km付近のシーンだろう。シドニーまで応援に駆け付けた沿道の家族を確認すると高橋はサングラスをサッと放り投げた。それが合図のようにここから一気にラストスパートをかけ、ルーマニアのリディア・シモンを振り切り笑顔でゴール。2時間23分14秒のオリンピックレコードを叩き出し、日本女子陸上界に史上初となるオリンピック金メダルをもたらした。真夏のフルマラソンは最も過酷な競技ともいわれるが、高橋はレース前に「あとたった42.195km」と言っている。そしてレース後には「短く、楽しい42.195kmでした!」と愛嬌のある笑顔を爆発させた。

高橋の練習量はマラソン選手の中でも群を抜いていることで有名だ。1本のマラソンを走る前に40kmを15本、30kmを35本程度走り、追い込み期は酸素の薄い3500mの高地で月間1200km以上走り込む。オリンピックで金メダルを獲るという強い思いで、これだけの距離を走ってきたからこそ「たったの42.195km」と言い切れたのだろう。高橋はシドニーオリンピックの翌年にはベルリンマラソンで2時間19分46秒の世界記録を塗り替えた。圧倒的な練習量から湧き起こる自信が大記録を生み出している。

28才でオリンピック金メダルを獲得し、世界のトップランナーにまでに成長したが、もちろん調子の良いときばかりではなかった。岐阜商業高校時代まで遡ると、全国都道府県対抗女子駅伝の岐阜県代表に選ばれるのがやっとの選手で、全国大会の本番では9人に抜かれ、区間順位は全国で下から3番目の45位だった。

そんな高橋の原動力になったのが、高校時代の陸上部監督、中澤正仁から送られた言葉だった。「何も咲かない寒い日は下へ下への根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」。これは元三洋電機副社長、後藤清一氏の言葉で著書の『リーダーズノート』にも収められている名言だが、山梨学院大学の2期生として箱根駅伝を2度走った中澤自身も大学時代に上田誠仁監督からこの言葉を送られ、心の支えにしてきた。長距離ランナーの苦しみや喜びを知っている者たちが駅伝のたすきのごとく、この名言を教え子たちに語り継いでいる。高橋はテレビ番組やインタビューで座右の銘を聞かれると、必ずこの言葉を返している。社会人になってからマラソンに転向し、3年間は芽が出なかったがこの言葉を胸に1歩1歩走り続けてきたのだった。

オリンピック金メダルを手にした高橋はその後も連覇を目指し練習を重ねたが、2004年のアテネオリンピックの代表選考で落選してしまいスタートラインに立つことさえもできなかった。それでも心の炎は消えることなく、なおもアメリカで走り込んだが、練習中の転倒による怪我などから右足首を骨折してしまう。ようやく足首が完治すると今度は肉離れをくり返し、関係者はレースを休むことを薦めたがそれでも高橋は走り続けた。何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばし、大きな花を咲かせるために。度重なる怪我で高橋尚子の時代は終わったともささやかれたが、強行出場した復帰戦の2005年東京国際女子マラソンでは、オリンピックのときのようなラストスパートをかけ、見事に復活優勝を成し遂げた。

高橋のマラソン人生を振り返ってみてもわかるように、最初から花が咲くことも、花が絶えず咲き続けることも難しい。陽の光を浴び、水を吸収ししっかり根を張り成長してこそ、大きな美しい花が咲くのだ。マラソンや筋トレのように常に数字がつきまとうと結果が出ないと焦ったり、諦めたりしなくなりがちだが、苦しいときに踏ん張るからこそ、根が伸びるのだ。根を伸ばすことをやめなければ、やがて大きな花が咲くだろう。


http://www.jsh.kindai.ac.jp/jhs/news/2017/1125130000.php 【11月朝礼校長講話「何も咲かない冬の日は」】 より

「何も咲かない冬の日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く。」という言葉があります。2000年のシドニーオリンピック女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんの座右の銘としても有名ですが、多くの人がこの言葉を様々な場面で引用しています。

何をしてもうまくいかない時期がある。そんなときは今は花が咲く時期ではないのだと気持ちを切り替えて、コツコツと努力を重ねることが大切である。努力を続けていれば、きっと報われる。やがて大きな花を咲かせることにつながるという意味で紹介されます。

高橋選手もこの言葉を練習の支えとして、いくら練習をしても記録が伸びない時も、この言葉を自分に言い聞かせながら頑張ったそうです。

先日、目にした一冊の本があります。著者は京都にある臨済宗の大仙院というお寺の前住職である尾関宗園さんです。85歳を過ぎた今でも元気にお話をされる和尚さんで、テレビやマスコミでも名物和尚さんとして紹介されています。

『平常心』という本の中に、先程紹介した言葉があります。昔から臨済宗大徳寺に伝わる言葉だそうです。但し、最後の部分、「やがて大きな花が咲く。」は、後から誰かが付け加えたようです。

元々は「何も咲かない冬の日は、下へ下へと根を伸ばせ。」という言葉で、いつかとか、将来の為ではなく、今、この時の自分を最高に生き切るという意味で、宗派に伝わる大切な言葉であり、考え方だそうです。

目標を持ち、いつか努力は報われると信じて、今を頑張ることは素晴らしいことで、とても大切なことです。でもそれが行き過ぎれば、将来のために今の楽しみをすべて我慢し、時には今の苦しみから逃れることも遮られ、やがて息切れすることになるかも知れません。

あるいは先のことばかりに気をとられ、今やるべきことや大切にしなければならないことに、目を向けることができなくなるかも知れません。やがて来る春や夏のために、本当に大切なことは、冬には冬しかできないことに全力を尽くし、いつかのためではなく今を生き切ることの積み重ねだと思います。

きっと高橋選手も毎日、苦しい練習を続けること自体にやり甲斐を見つけて走り続け、そしてその結果として金メダルを手にしたのではないかと思います。

そんなふうに考えると、この言葉に込められている意味の深みや広がりが、まるで土の中に根を張るように感じられます。身の回りにある色々なことを少し視点を変えて捉えてみると、今まで気づかなかったことや時には全く逆のことが見えてくることがあります。 当たり前に縛られずに、新しいことを掘り出す力とそれを楽しむ心を持ってくれることを期待しています。最後にもう一つ、宗園和尚の言葉を紹介します。

 「わたくし自身の将来は いまこの瞬間にある いまここで頑張らずにいつ頑張る いまこそ出発点」

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