一陽来福

https://www.houjou.or.jp/itiyouraihuku.html  【一陽来福】より

一陽来福當山で毎年多数の信徒に授与して居ります一陽来福のお札は、江戸天保年間より當山に伝わる秘法を厳修し一部の信徒に授与したのが始まりです。

その後時代の変遷により今日の様に多数の信徒に授与するようになりました。

そもそも、一陽来福は冬至を表す言葉「一陽来復」=陰極まって一陽が生ずると言う言葉に「来る」年も授与された方たち全てに沢山の「福」が来る様に、當山ご本尊を拝むときに唱えます観音経の結びの「福聚海無量」=福聚(あつ)むること海の如く無量なり と言う偈文より「福」の字を取り「一陽来福」と名付けられました。

當山本尊は古来より融通・虫封観世音と呼ばれ多数の信徒を集め現在に至っております。

中でも融通は=滞りなく通じると言うことでご商売をされている方は基より、近年では人間関係(融通円満)を願う方も多く居られます。

一家の居間若しくは、ご商売先の部屋に毎年定められた恵方に向けて冬至、大晦日、節分の何れかの深夜0時にお札を貼ります。


https://www.minyu-net.com/serial/yoji-jyukugo/yoji1222.html  【一陽来復(いちようらいふく)】より

辛い時期が過ぎ運が向く

冬が去って春が来る。転じて、辛(つら)い時期が過ぎて運が向いてくること。

『易経』の「復(ふく)」の卦けの解説に、冬の陰気が極まって冬至になると、陽気が初めて生ずる、それを「一陽来復」という、とある。「復」は、「かえる」という意味。

今日は冬至。平成18年は閏(うるう)7月が挟まったため、暦(こよみ)の上ではまだ陰暦の11月3日である。新年(2月18日が陰暦の正月元旦)には間があるが、季節の上ではもう春が近い。

「復」の卦は、陽気が復(かえ)るということから、何事もこれから良くなり発展していくというめでたい兆しとなっている。

中国では現在も、正月を迎える時期になると「一陽来復」という四字を赤い紙に書き、門口(かどぐち)に張って祝う。


http://www.michiyo-shinkyu.jp/staff_blog/ 【一陽来復】より

こんにちは!橋本伸浩です。

12月21日は冬至の日。一年で昼が一番短く、夜が一番長い日ですね。

東洋医学で冬至は陰気が最も盛んになる日とされています。(反対に夏至は陽気が最も盛ん)

つまり冬至を過ぎると月の満ち欠けのように陰気が減り、陽気が夏に向かって増えていくんです。(11月から3回シリーズで東洋医学ミニ講座、「陰陽ってなぁに?」を配信してます!)

よって冬至の日を一陽来復(いちようらいふく)といい、陰の気が極まって陽に転ずることから、『悪いことが続いた後で幸運に向かうこと』という意味もあります。

今年は人類の歴史に残る災いの年でした。(今年の漢字、一位は『密』で、2位は『禍』わざわい)

現在も全世界で大流行しており、まだまだ先は見通せないですが、一陽来復の言葉を希望として、新たな一年を開いていきたいと思います。

今年一年間大変な中来て頂いた患者さんやご家族、またお世話になった実千代先生やスタッフに感謝申し上げます。また来年もよろしくお願い致しますm(_ _)m


http://ca84573jc5.blog135.fc2.com/blog-entry-110.html 【冬至の呪術】 より

12月22日は「冬至」で、1年で最も陽の短い一日となっている。いわゆる夏至から少しづつ増えてきた陰の気が極まって、次の一陽を兆す瞬間であり陽気誕生の根源でもあります。

漢字では陰の気の増長の終わりの「了」と陽気の始まりの「一」をしめす「子」をあて冬の真ん中、一年の始まりをあらわしてもいる。

この日を祝って民俗的にはいろいろな祭りや風習も行われています。

皇室では新しく天皇霊を引き継いだことを祭る「大嘗祭」はこの月に行われ、民間でも「子祭り」というお日様待ちの祭りが行われました。陽気発動のはじめといっても、またその陽の気は微弱であり、季節は冬の真ん中であることから南瓜や柚子湯をとり、陽の気を助け健康を願う風習もおこなわれます。            

南瓜、柚子は黄色の果実で土気をあらわし、土気は陰陽を含んだ中央にあり陰から陽へ、冬から春への季節の循環を促す土気の用をもっていることから一陽に転じた陽気を助ける呪術であろう。

冬至は陽気生まれる混沌の一(はじめ)でありモノゴトの生成される太極の子をあらわすもので、太極とは「天地未だ分かれざる前、元気混じて一となる」としている。

一より陽気生じ昇って天となり、陰気生じて降って地となり、初めて天地が開かれるとされる陰陽の思想は我が国最古の歴史書である古事記の天地開闢の件もそのまま援用されています。

一般には陰の気が増長してきた天運が、はじめて転じて陽気に代わっていくことを「陽転」として祝いものごとを好転させる呪術としても念じられてきました。

易では「地来復」の卦であらわし、「一陽来復」としての陽気発動の縁起を寿いできたようです。

私たちは、秋の収穫を終え冬の支度のなかで次に来る春の種子が発芽の準備を堅い殻、冬の忌み籠もりの中で始めることを祈るような気持ちで「冬至」の儀礼に託してきたものだと考える。

「陽気発動せども未だ冬の中にあり」というのが冬至のしめす理であるということでしょう。