インド美術

https://www.karakusamon.com/india/india_index.html  【インド美術】より

インド美術 (岩波世界の美術)』 (ヴィディヤ・デへージア著 宮治昭・平岡美保子訳2002年刊)であるが、*宮治昭(1945-)仏教美術史  平沼美保子(1958-)

meインド美術といっても、仏教の生まれたインド、仏像の造られ始めたインド、ということがメインで・・・それ以外をよくみたことはなかった。上記の本の「訳者のことば」でもそういったことが取り上げられていた。つまり、そういうインド美術に対する一般的見方は「 仏教美術の源流という伝統的な考え」による、偏りを持ったものであるということ。

インド美術へのアプローチには以下の2つがある。

1.仏教美術とヒンドゥー教美術を中心に様式的な変遷を通史的に描く

2.ヒンドゥー教美術にインド美術の特質が最もよく表れているとして、美学的・芸術的、宗教的・哲学的な考察を行う(民族的特質を明らかにする)

著者のデへージア(女性)は第2のアプローチに重きを置くが、第1のアプローチでその欠点を正している。

インドの仏教石窟、仏教説話、ヒンドゥー女神、ラージプート細密画等の幅広い各個研究を踏まえ、重要な細部の問題と、巨視的なパースペクティヴとを調和させている。そして、 今まで誰もなしえなかったインド美術史の全体像を新しい視点で描き出している、という。

me仏教美術は、ヒンドゥー教の土壌の中で育ってきたが、汎アジア的性格を持つ、ということは、今まで見てきた。

ここで、この本に従って、もう少し、インドの歴史はじめに帰って、全体を俯瞰したいと思う。なにしろ仏陀が生まれるのは紀元前5世紀・・ インドの文明はそれより2000年は遡ることができる・・

もちろん人類の歴史はインダス河においてももっともっと遥かに遡ることはできるわけだが。(ソアン文化)

インダス文明の工芸品

前2600年~前1900年ごろ

meまずインダス文明の工芸品として、前2600年~前1900年ごろの彩文土器の図に興味が惹かれた。(高さ13~50㎝ハラッパ-出土)

陶器の多くに赤色スリップと黒色の装飾文様

円輪が交差するような幾何学的なモティーフや鳥、魚、動物、植物が好まれた。 特にピッバラの葉は好まれ、その樹木はのちにインドの聖樹となり、「菩提樹」と呼ばれるようになった(p29)→*菩提樹(西洋、インド)

インダス文明の陶器の画像検索

me説明にマッチする類似画像を検索したが、よくわからない。

図14より:中央部に魚文様、下部は網目

Pot depicting horned figure. Burzahom (Kashmir), 2700 BC. National Museum, New Delhi. Noticed in the museum : the pot depicts horned motifs, which suggests extra territorial links with sites like Kot-Diji, in Sindh.

wikimediaにあった、 逆方向だが円弧をずらして重ねたものを束ねて連ねるデザインが図14に似ている

meこの本の説明にはなかったが、

wikimedia の 以下の文様も興味深い・・早くも七宝つなぎ文様ではないか。上は、葉(ピッバラの葉)のようだ。その下は中心に点を持つ二重円、大きな×と中心点付きの小さな○。その○は七宝つなぎの間にもある。

Southern Pakistan, Indus Valley Civilization, Harappan, circa 2600-2450 B.C.

解説:http://collections.lacma.org/node/174070

Los Angeles County Museum of Art収蔵 

meこれに似ている、「インド・東南アジアの文様」(小学館)の図211の彩文土器の説明は  七宝つなぎ、菩提樹、孔雀文様 前2000年頃、パキスタン モヘンジョダロ出土

bowl from harrapan time in the National Museum

me「インド・東南アジアの文様」に上の土器は出てこないが、.同じニューデリー国立博物館蔵の彩文土器壺(図304)は階段文様。前2000年代、パキスタン、ナール出土、

National Museum, New Delhi the Harappan Gallery

「インド・東南アジアの文様」の図104の彩文土器コブレットは  カブール美術館蔵の菩提樹文様で前2500年頃、アフガニスタン ムンディガク出土

meこれが菩提樹文様!!??

こちら( 魔王マーラの来襲と成道)で、 ツタのようだと思ったものである。

「インド・東南アジアの文様」図205 山羊文様 彩文土器壺

前2000年ごろ パキスタン モヘンジョダロ出土

me「インド・東南アジアの文様」に取り上げられたインダス文明の陶器はこれだけであったが、この文様をみると、オリエントと交流があったというのがよくわかるが、→[オリエントの文様(紀元前3200年頃)]それはさておき。

インダス文明の印章

meニューデリー国立博物館所蔵の印章であるが、この図19が非常に興味深かった。

2600–1900 BCE  seal discovered during excavation of the Mohenjodaro archaeological site in the Indus Valley has drawn attention as a possible representation of a "yogi" or "proto-siva" figur This "Pashupati" (Lord of Animals, Sanskrit paśupati) seal shows a seated figure, possibly ithyphallic, surrounded by animals.

足を組んでヨーガの瞑想のポーズをとり、おそらく3面の人物を表した印章・・その人物の座の下に2頭の鹿・・ 頭上に曲がった角を持つ宝飾をつけ、さまざまな動物に囲まれていることから、獣主(パシュパティ)とみて、後世のヒンドゥー教のシヴァ神の原型であると考えられている。(p29)

meこの図には驚きました! 「後世のヒンドゥー教のシヴァ神の原型」‥ヨーガのポーズも角と鹿というのもまた、インドの宗教の核心的な神像であるようだ‥(→ケルトのケルヌンノス)、マウリヤ朝のコスモポリタン的環境

マウリヤ朝(紀元前317年頃 - 紀元前180年頃)は、古代インドで栄えたマガダ国に興った王朝。 紀元前317年頃、チャンドラグプタによって建国された。 アショーカ王の時に全盛期を迎え、南端部分を除くインド亜大陸全域を統一した。(wikipedia 閲覧20160328)

図30  Ashoka Pillar  アショカ王柱  牡牛柱頭 

出土 前250年 砂岩高さ203cm ニューデリー大統領官邸

マウリア朝の統治者たちはアレクサンドロス大王の支配下に置かれたインドの地域を取り戻すや、彼らは西方世界と友好関係を保ち、定期的に使節を交換した。アショカ王柱だけでなくその後のインド美術にもみられるパルメットやロゼットの文様といった、地中海世界になじみのモティーフはこのようなコスモポリタン的な環境の中にもたらされたモティーフに触れたのであろう。(p45)

meインド・東南アジアの文様」の図104に、文様部分のみ出ている。瘤牛というのは実物を見たことがないが・・・学名: Bos taurus indicus

浮彫彫刻による物語表現

初期仏教美術の展開

サーンチー第一塔(「紀元前3世紀頃の仏塔を紀元前後に増拡したもので、もっとも完全な形を保っている」wikipedia 閲覧20160329)

物語浮彫は、大小の一連の王国に分裂した前100年ごろの時代になって制作が始められるようになった。

樹木と女性が結び付いたモティーフ・・古代インドの信仰に基づく

女性の足で触れられると反応するアショーカ樹  女性の歌声に反応するピヤーラ樹

口づけで赤く色を染めるケーサラ樹   女性の笑い声で花が咲くマンゴー樹

ヤクシー=聖樹に住む聖霊的な神(p67)

アマラーヴァティー大塔(2世紀中期)

アマラーヴァティー大塔の欄楯はどの部分にも華やかで豊かな装飾が施されている。蓮華は清浄なものの汎インド的な象徴であった。(p71)

Amaravati:サータヴァーハナ朝の後期に栄えた都市; 東海岸の港に近い

http://www.mobypicture.com/user/makamakay/view/18054581

サーンチーの仏教遺跡http://www.kamit.jp/02_unesco/01_sanchi/sanchi.htm

アレクサンドロス大王以後

インド・ギリシア美術と仏像

インド美術 図47 クシャーン(クシャーナ)朝Kushan Empireの金貨 直径約2センチ 大英博物館蔵 仏立像

図48シヴァと牡牛

 図52 海人を表すレリーフ ガンダーラ出土 2~3世紀 16.5cm×42.2cm@大英博物館

図48シヴァと牡牛

 図52 海人を表すレリーフ ガンダーラ出土 2~3世紀 16.5cm×42.2cm@大英博物館

 図53坐仏を表したコリント式柱頭 ガンダーラ出土 2~3世紀 10.8cm×42cm@大英博物館

meこの後の個別詳細研究は、当方のテーマを離れるので、以下は目次読書としたい。しかし、気になる画像はピックアップしておきます・・・

 目次

序 山と河川と人々

1.美的体験  観者・美術作品・美術家

2.レンガ・印章・石  文字の歴史へ

3.浮彫彫刻による物語表現  初期仏教美術の展開

4.アレクサンドロス大王以後 インド・ギリシア美術と仏像

5.山の内部へ  石窟寺院

6.神の顕現  神像と寺院

7.聖と俗 ナーガラ(北インド)様式の寺院

8.石に秘められた謎 パッラヴァ朝のマーマッラプラム

9.聖なる大地 チョーラ朝のドラヴィダ様式寺院

10.人々の中心にある神  寺院と死と儀式用ブロンズ像

11.線的な抽象美術 インドのスルタンとその美術

12.国際都市の栄光 ヴィジャヤナガル王国の都

13.楽園幻想  華麗なるムガル芸術

14.宮殿と館  ラージプートのメーワール王国の都

15.熱帯のローマ  ポルトガル領ゴアの聖堂

16.王観音化の宝石 イギリス統治の美術

結び 芸術と近代

マウリア朝 インド最古の帝国(前326~ - 紀元前180年頃)

アショカ王(前272-前231頃)

石造による最初の記念建造物を残した( アショカ王柱)

シュンガ朝(前185-前75)

続くカーンヴィア朝(前25年まで)とともに、マウリア朝崩壊後の中インドを支配した短命な、ヒンドゥー王朝

バールフットヤサーンチー等の仏教美術が栄えた。

サータヴァーハナ朝(紀元前1世紀から後3世紀)

「100のモノが語る世界の歴史 大英博物館展」2015年

アマラーヴァティー(Amaravati)(インド南東部)の仏塔彫刻 200-240 

クシャーン朝(1世紀中ごろ~3世紀)

カニシカ王の舎利容器、インド、クシャーナ朝、2世紀 @大英博物館(複製)→ペシャワール博物館蔵

グプタ朝 (320~647)

この王朝のもとで、文学、数学、天文学、造形美術が黄金期を迎えるグプタ様式の仏像は広く仏教世界において規範となった。グプタ様式 例:アジャンタ石窟寺院

特に薄い衣がぴったりとはり付いて肉体の起伏を露わにする表現を好んだサールナート派の仏像(wikipedia 閲覧20160328)

パッラヴァ朝のマーマッラプラム Pallava(南インド)550-728?

CC BY-SA 1.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1027309

マーマッラプラムMahabalipuram(インド南部) (fi.wikipedia.org/wiki/)

me『アルジュナの苦行』:「世界最大のレリーフ」 幅約29m、高さ約13mという!こういうものがあるのだ・・

中央の人頭)蛇身・・・ナーガ・・

ナーガラ様式の寺院(北インド)

ジャイナ教の寺院群 カジュラーホ遺蹟

ヴィマラ寺院 アーブ-山1032年完成 1300年ごろ修復

http://www.kamit.jp/15_kosho/23_lebon/xabu_1.htm

meジャイナ教の装飾(浮き彫り)これもまた驚きであった

ニューデリー国立博物館National Museum, New Delhi(wikipedia)

マドラス州立博物館http://1st.geocities.jp/kawai5155/suba49.html

大英博物館 British Museum(wikipedia)

下;「大英博物館に残る仏教美術の秘宝アマラバティー、

ガンダーラ出土の釈迦像等の収蔵品の中から、

ストゥーパ(仏塔)の紀源と変遷を見ていく」

東京国立博物館

「コルカタ・インド博物館所蔵インドの仏仏教美術の源流」展

(2015年)平岡三保子

http://www.mithila-museum.com/indiajapan14_15/exhibit_buddhist.html#hiraoka

Dhamekh Stupa

サールナート ダーメク・ストゥーパの鼓胴部 装飾文様(6世紀 アショカ王)

→wikimedia

me宮治昭著「インド美術史」( 吉川弘文館)p120

華麗な蓮華唐草文と幾何学文を浮き彫りする、とある・・・

卍文も見える