観音院。春日部市小渕にある本山修験宗寺院
役行者南無神変大菩薩
https://tesshow.jp/saitama/kasukabe/temple_kovchi_kannon.html 【観音院。春日部市小渕にある本山修験宗寺院】 より
観音院の概要
本山修験宗寺院の観音院は、小渕山と号します。観音院の創建年代等は不詳ながら、応安2年(1369)に当寺住職玄通が書した観音像に関する縁起が、江戸時代後期に残されたいたといい、安永2年(1773)には本山修験宗の行事職を許されていたといいます。当寺所蔵の円空仏は平安時代作と推定されている他、楼門は春日部市有形文化財に指定されています。
境内掲示による観音院の縁起
小渕山観音院
小渕山観音院は、新編武蔵風土記稿の小渕村、観音院の項に「本山派修験、京都聖護院末、安永二年(一七七三)正月行事職を許さる。小渕山正賢寺と号す。本尊正観音、応安二年(一三六九)住持玄通が書し縁起有に拠ば、古き像なるべし。中興開山は尊慶と云、年代を知らず。」と記されている由緒ある古刹である。
この寺は、この地方の観音信仰の霊場としても有名で、家内安全、商売繁盛のほか、いぼ、こぶ、あざにご利益があるといわれれている。毎年八月十日には、この日産廃すると四萬六千日分のご利益が授けられると言われる四萬六千日祭があり、県内の山伏が参集して護摩修行を行い、近隣の善男善女が枝豆を奉納し産廃する祭礼がある。
また、三月には、かって馬寄祭があり、農耕に住持した牛馬がいろいろな飾をして安全を祈願する祭りがあった。本堂内には、木像の白馬が安置されている。
本尊「正観音像」には、その昔、洪水でこの地に流れ着き、一度はもとの寺へ戻したが、その後洪水でまたもこの寺に漂着したのでお堂を建てて安置したものといわれる伝説がある。
本堂の格天井には花鳥の彩色が施され、格縁ごとに大勢の粕壁宿の商店主の名が記されており、外壁には、多数の絵馬のほか、八丁目の和算士栗原伝三郎が奉納した算額が掲げられている。
また、寺には、「毛のいへば 唇さむし 秋の風」と詠まれた芭蕉の句碑、市内唯一の楼門(仁王門)、七体の円空仏などがある。楼門は昭和四十七年に春日部市指定の有形文化財に指定されている。(春日部市掲示より)
ameblo.jp/wamioda70/entry-12472500489.html 【春日部市小渕観音、円空仏の観音院】より
小淵山・観音院、本山修験宗 .本尊 聖観音菩薩 宗派 本山修験宗(天台密教系)
山号 小淵山・正賢寺・観音院 創建 正嘉2年(1258年)こぶちざん・しょうけんじ・
開山 不詳、中興・尊慶 納経料 @300 寺宝 円空仏7点 拝観時間9:30-17:00
駐車場 あり、無料 〒344-0007 埼玉県春日部市小渕1634 Tel048-752-3870
聖護院門跡末寺と案内板に書かれ、天台密教系の修験道のお寺として栄えていた事がわかる明治の神仏分離令以降衰退したが寺宝の円空仏が評価されて今日に至っている
イボとり観音ともよばれ、イボやコブ、アザをとるご利益があるとして親しまれている修験寺院で円空仏7躯が県の有形文化財、仁王門が市の有形文化財になっている
境内には松尾芭蕉の「毛のいへば 唇寒し 秋の風」の句碑があり、『奥の細道』の第1日目の宿泊寺と云われています
5/3-5/6まで 円空仏祭が開催されていた
円空仏は、たてに割った丸木を鉈(なた)1本で制作したという木彫仏で、素朴さ、力強さ、優しさに特徴があり、「円空彫り」、「鉈彫り(なたぼり)」とも呼ばれています
市内最多の7躯の円空仏が伝わる小渕の観音院には、修行僧・円空が長期滞在して彫った可能性があります
特に194cmを測る聖観音菩薩立像は作品のうちで最大級です
さらに蔵王権現立像は全国でも観音院のみで確認されている作品です
円空仏は聖観音菩薩立像、不動明王立像、毘沙門天立像、役行者倚像、 蔵王権現立像、徳夜叉明神像、護法大善神像の7躯があり県博物館で管理しています
里帰りでの円空仏祭、全国的にも珍しいと云う蔵王権現立像円空さんは修験僧だから修験道のご本尊である蔵王権現を敬っていたと思うのでここにしかないと云うのも意外でした
観音院のご本尊が聖観音と云うので彫られたようですが、2m弱あります
これらを含めて7躯ですから長い滞在ではないかと云う事です下は不動明王立像、密教の世界では大日如来の化身と云われています
毘沙門天立像、中世の戦国時代に福の神として人気があり、かの上杉謙信も崇めていました
北方の守り神、多聞天として四天門に配置されています
下のふくよかな顔に彫られたのは役ノ行者像です。奈良時代の山岳修行者で修験道の祖と云われています
円空・1632 – 1695、江戸時代前期の修験僧(廻国僧)で12万躯もの仏像を刻んだと云われています
松尾芭蕉・1644 -1694、江戸時代前期の俳諧師で有名な紀行
文、奥の細道を残しています。年代が同じ修験僧、俳人なので奥州路のどこかで逢っていた
のではないかとのロマンもあります
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