Facebook・Ayuka Mizoguchi さん投稿記事【心理セラピストのつぶやき】
一つ前の投稿にも書きましたが、また書きたい。
起きていることは一つでも、そこに無数の解釈ができますよね。
ちなみに、私が解釈というとき、“私は人間です”、“私は女です”も解釈(レッテル)です。(ここの詳しい説明はブログや講座でしていますが、ここでは省きます)
話を戻して、私たちは自分の視点こそ正しいと心の底から思うものです。心の底から思うため、それは自分の一部となり、守らなければいけない大切なものになります。
では、自分の見方をどこから守らなければいけないのか?といえば、当然、違う見方からです。なので、私たちは違う見方をする人を攻撃したくなるんですね。
違う考え(世界観)は間違っていないといけないし、自分の考え(世界観)を攻撃する脅威ともなります。
ですから、自分と真逆の見方をしている人がいると耐えられず、どうしても攻撃したくなります。そこで、相手が不快になるような言葉をわざと使ったり、上から見下ろすような書き方をしたり、自分が信じている情報を持ち込んだり、いろいろ。
人間という自我が長く繰り返してきた、この「攻撃と防衛」のサイクル。
しかし、攻撃と防衛は戦いしか生まず、そこには抵抗や憎しみばかりが増えて行きます。
もし、相手の心に変化を起こしたいのなら、一番の手は、相手を受容し理解することですよね。
サイコセラピーの父といわれているカール・ロジャースは、“どんな気違いじみたことでも受容すれば変化が起きる”と言っています。
なぜなら、受容は相手の中に抵抗を生まず、頑なさよりも、柔軟さを生み出すからです。
受容するとは、相手の考えに賛成するということではなく、その人がその考えを持つことを理解し、人として尊重するということです。
私は一貫してロックダウンには反対しているし、不必要なマスクは健康に良くないと思っています。
ですが、私たちにとって究極的に大切なことは何か?と考えると、分離ではなくつながり、攻撃ではなく理解、愛ベースの社会になっていくことかなと思うのです。
社会が愛ベースになれば、おのずと不自然なもの、真実でないもの、公平でないものは居場所を失っていくでしょう。
しかし、攻撃⇔防衛のサイクルという恐れベースは、不正や不実、コントロールが生息しやすくなります。
そうであれば、最も大切なことは、自分の見方がどんなに正しく思えても、そこに執着し、死守しようと頑張り、敵を作って分離することではなく、その人がその考え、見方に至っている背景を理解し、人として尊重することでしょう。
とはいえ、自分の見解、見方を変えさせようとする働き、貶めるような言葉、嫌味、攻撃的な言葉などを、すべて理解して受け入れるよ~ということもでもまったくありません。
それでは、ただのドアマットになってしまいます。(※ドアマットとは、いろいろな人に踏みつけらえるという意味)
理解も尊重も相互にあって成り立つものであって、一方にまったくそれがない場合は、自分のために(自己愛)それなりに対処します。
長々と書いてきましたが、もう一度まとめると、もし私たちが変化、変容を求めるなら、攻撃は不毛でくたびれもうけの結果しか生まず、受容が変化の鍵だということです。
ということで、自我がドボンドボン陥る分離の罠にはまらず、どこまで愛を実践できるのか?それが私が今私に望んでいることです。
ロックダウンが決まったときは、がっかりしすぎて悪態をついたりしましたが、そんな自分を許しながら、地道に歩いております♪ というか、悪態ぐらい良いかな。あはは。
Facebook・ごとう 孝二さん投稿記事「全ては鏡ということ」
私たちは、日々様々な人に出会い、様々な感情を味わいます。
その人たちは実はたくさんのことを教えてくれています。
怒りを感じる人は自分の中にある悲しみをうらやましいと感じる人は自分の中にある可能性を攻撃してくる人は自分の中の罪悪感をそして、楽しさを感じる人は自分の中にある無邪気さを 素敵だと感じる人は自分の中にある輝きを 共にいて落ち着く人は自分の中にある受容と平和を 美しいと感じる人は自分の中にある愛と調和を そんなものを表してくれています。
周囲の人は必ずしも 自分が感じたような気持ちで生きている訳ではなく 私たちは常に
自分の主観と感情を通して相手を見ています。
なので自分の周囲にいる人の気持ちは 本当の意味で全て理解できるということはありません。
私たちはただいつも その人を通して自分の輝きや影を見ているだけなのです。
でも、だれかを理解したいと思うことはとても大事なことで、その気持ちを通して人は愛し合うことを深めていきます。
そして、自分の愛と輝きを相手から見出していきます。
また、誰かの不快と感じる部分を克服できたということは 自分の中にある否定していたものを受け入れることができたと言うことになります。
私たちはいつも、周囲の人を通して 自分を愛したいとそう願っているだけなのかもしれません。
周囲にいるすべての人は鏡です。その鏡という世界を肯定できた分だけ あなたは自分を愛しているということになるのです。
どうかあなたの世界に愛と喜びがあふれますように…。佐藤友美スピリチュアルメッセージより。
0コメント