旧浄法寺邸

https://www.ohtawara.info/spot_detail.html?id=21  【旧浄法寺邸 】より

エリア:黒羽

種別:名所・旧跡

連絡先:0287-54-1111(大田原市黒羽支所管理課)

松尾芭蕉と曾良は元禄2年4月4日(陽暦5月22日、1689年)に浄法寺図書(俳号桃雪)に招かれた。「おくのほそ道」によれば、「黒羽の館代浄法寺何がしの方に音信る、思いがけぬあるじの悦び、日夜語つづけて云々」とある。一族をあげて歓待したのでずい分居心地がよかったのだろうか、黒羽で十三泊、あしかけ十四日の長逗留であった。とりわけ桃雪邸には八泊した。芭蕉句碑めぐり「山も庭も 動き入るるや 夏座敷」ダイナミックなタッチで、黒羽の山河と浄法寺家の庭園の美しさを絵画的に表した句です。現在残っている旧浄法寺邸は、芭蕉が逗留した建物ではありませんが、武家屋敷の趣を多分に残し、当時の雰囲気を味わうことができます。

https://www.inishie.tochigi.jp/route_detail.html?id=5  【下野の「おくのほそ道」】 より

芭蕉・曾良と歩く巡礼の旅

伊賀国上野(現・三重県伊賀市)出身で「俳聖」と言われた松尾芭蕉(1644〜94)は、46歳になる元禄2(1689)年旧暦3月27日、当時住んでいた江戸深川(現・東京都江東区)を弟子の曾良とともに出発。日光道中を通り、下野国(栃木県)をはじめ東北・北陸の各地を巡り、旧暦8月21日に美濃国大垣(現・岐阜県大垣市)に入り、旅を終えました。その距離およそ600里(2356km、より正確には450里)、約5カ月におよぶ長い旅でした。

芭蕉たちが「おくのほそ道」の旅に出たのは、東北・北陸のまだ見ぬ歌枕(古歌で詠み込まれ、親しまれた名所)を巡るためでした。下野国には22日間滞在。中でも「那須の黒羽」(現・大田原市黒羽地区)には14日間と全行程中もっとも長く滞在しました。

晩年、芭蕉はこの旅を『おくのほそ道』という紀行文にまとめます(出版は芭蕉の死後)。この作品は後世の人びとの風景観に大きな影響を与えました。

那須神社(金丸八幡宮)

4世紀末の創建とも、征夷大将軍・坂上田村麻呂が八幡宮にしたとも伝えられる。現在の楼門は寛永19(16...

日光二社一寺

平成11(1999)年、世界遺産に登録。芭蕉たちは旧暦4月1日の午後に東照宮を拝観。『おくのほそ道』...

含満ガ淵

男体山の溶岩によってできた渓谷で慈雲寺(じうんじ)跡にある。南岸には、何度数えても数が合わないという...

殺生石

硫黄(いおう)の香りが漂う「九尾の狐」伝説が残る史跡。旧暦4月19日午前、芭蕉たちは宿泊先の主人の案...

遊行柳

「清水流るゝ柳陰」と詠った西行ゆかりの柳。旧暦4月20日、芭蕉たちはこの地を立ち寄っている。芭蕉は『...

鹿子畑翠桃墓地

浄法寺高勝の弟で芭蕉の弟子だった鹿子畑豊明(とよあき/俳号・翠桃)の屋敷跡近くにある鹿子畑家の墓地。...

境の明神

下野国と陸奥国の境に祀られた神社。女神は内(国を守る)を、男神は外(外敵を防ぐ)を守るという信仰から...

東山雲巌寺

弘安6(1283)年、仏国国師により再建された臨済宗の寺院。二人は仏頂和尚が修行をした庵(いおり)跡...

室の八島

大神神社の境内の池にある8つの小島で、8つの神社が祀られている。芭蕉はこの地で次の句を詠んでいる。「...

裏見の滝

裏側から滝が見られたことに由来。旧暦4月2日の午前、芭蕉たちはこの地を訪れ、着想を得た芭蕉は次の句を...

旧浄法寺邸

黒羽藩城代家老で芭蕉の弟子だった浄法寺高勝(たかかつ/俳号・桃雪〈とうせつ〉)の屋敷跡に改修整備した...

古風山光太寺

元亀4・天正元(1573)年の創建と伝わる曹洞宗の寺院。境内には、芭蕉が残していった古い編み笠と草鞋...

修験光明寺跡

那須与一が文治2(1186)年に建立したという寺院跡。旧暦4月9日、芭蕉たちは招かれてこの寺を訪ねた...

玉藻稲荷神社

源実朝(みなもとのさねとも)の和歌で有名な歌枕「那須の篠原」に鎮座。芭蕉たちはこの神社に立ち寄ったか...

那須温泉神社

7世紀頃に谷に湧く温泉の発見から神社を建立。旧暦4月19日午前、芭蕉たちは参詣。その時芭蕉は次の句を...

芭蕉翁塚

旧暦4月16日、芭蕉たちは黒羽藩領高久の大庄屋(おおじょうや)の高久家に滞在したことを記念し、宝暦4...

芭蕉一宿之跡碑

元禄2(1689)年旧暦4月2日、芭蕉たちは「那須の黒羽」に向けて日光を出立するも、激しい雷雨に遭い...

養源院跡

寛永3(1626)年水戸藩主・徳川頼房(よりふさ)の養母である英勝院(えいしょういん)が妹の菩提を弔...

コラム

栃木県内の芭蕉句碑

江戸時代以降、全国各地で芭蕉句碑が連綿と建てられ、その数およそ2800基(沖縄県のぞく)。そのうち、栃木県内には74基あります(平成27年12月現在)。県内で最も古い芭蕉俳文碑は、那須町高久の宝暦4(1754)年8月のもので那須町史跡に指定されています(「ぶらり散策」参照)。句碑としては、宝暦6(1756)年10月建立のものが最古。こちらは県立佐野東高等学校の校庭にあり、「芭蕉のあやめ塚句碑」として佐野市史跡に指定されています。

その他、県内の芭蕉句碑についてもっと知りたい方は、蓮實淳夫・桑野正光『下野のおくのほそ道を歩く』(随想舎、2000年)と新井敦史『下野おくのほそ道』(下野新聞社、2015年)がおすすめ。