遣唐使ゆかりの地・五島市三井楽町

https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4520100/  【ZIPANG-2 TOKIO 2020~始まりは辞本涯『五島』から~「慈覚大師円仁の故郷『杤木』そして比叡山へ」】 より

慈覚大師円仁(794-864)は、下野国に生まれて出家した後、最澄の弟子として比叡山延暦寺で修行し、後に入唐して多くの経論図像などを請来、天台教学の基礎を築きあげた。

慈覚大師円仁誕生の地(栃木市岩舟町)

慈覚大師円仁はここで生まれ、産湯を使ったと伝えられる古井戸があります。

また、ライシャワー元アメリカ大使が「世界的偉人慈覚大師」と偉業を讃えた記念碑建立。

慈覚大師が開創 天長2年(825)、比叡山延暦寺の天台座主慈覚大師の開創で、もとは太平山の別当寺、現在の太平山神社境内にありました。 江戸前期の寛永18年(1641)に、東叡山寛永寺の直末に補された天台宗の大寺で、三光院、報恩院、多門院、安楽院の四寺を支配していた。 ご本尊は、慈覚大師作と伝えられ、県内で最も古い木造彫刻の虚空蔵菩薩で、平成2年(1990)県指定有形文化財(彫刻)となりました。 その後、明治元年(1868)の神仏分離令により、太平山の旭岳(現在の太平少年自然の家敷地)に仮堂を建て移転しました。 この仮堂は、明治35年(1902)の暴風雨の際、堂宇が崩壊し、同年信徒有志の浄財により、現在地に京都頂法寺の六角堂を模し堂宇を建立したため、通称六角堂とよばれ、平成6年(1994)市指定有形文化財(建造物)となりました。

所在地 栃木県栃木市平井町430

太山寺

樹齢約400年の大きなしだれ桜は必見 太平山ふもとにある寺で、慈覚大師の創建といわれています。 十一面千手観音は県の指定有形文化財です。 また、前庭にあるシダレザクラは、3代将軍家光の側室で4代将軍家綱の生母お楽の方がこの寺で養生中に植えたものといわれており、樹齢約400年になります。 現在では時季になると、このシダレザクラを目当てに多くの見物客が訪れています。

所在地 栃木県栃木市平井町714

太平山神社

古くより太平山の頂上から栃木市を見守る 約1,000段に及ぶ長い表参道の石段を登ったところにある神社です。 827年、慈覚大師(円仁)により創建されたといわれ、武門をはじめ多くの人から信仰を集め、特に徳川将軍家の信仰が極めてあつかったことから、社運は隆盛し、今日に及んでいます。 神社拝殿の傍らにはたくさんの境内社があり、交通安全、安産、豊作などたくさんの神様がまつられています。所在地 栃木県栃木市平井町659

大慈寺

平安時代随一の学僧といわれる慈覚大師円仁が9才から6年間修行したこの寺には、聖観音菩薩坐像をはじめ、相輪橖や華鬘など、多くの文化財が保存されています。

所在地 栃木県栃木市岩舟町小野寺2247

高平寺

真言宗豊山派。 総本山は奈良県初瀬の長谷寺で、大本山として東京都文京区の護国寺があります。 当寺はみかも山東麓に位置し、面積はおよそ6ha余。

天台宗三世座主慈覚大師円仁が9歳まで養育、修行された寺です。当寺は元、末寺十八カ寺を従え、元和元年(1600年)天台宗から真言宗に転派、 文政9年(1826年)に建立された現本堂内には狩野派の絵師、狩野秀益筆の格天井、 彫刻、客殿内には襖絵が保存されています。

大師が修行をされた行之井(ぎょうのい)、 大師がその御顔を水面に写し、 自相を描いたとされた面相智水(めんそうちすい)も存在します。

所在地 栃木県栃木市岩舟町下津原1457

比叡山延暦寺

琵琶湖から見る比叡山

比叡山に広大な寺域を持つ、天台宗の総本山。平成6年に世界文化遺産に登録されています。奈良時代末期、19歳の最澄(さいちょう)(767-822)が、比叡山に登り草庵(そうあん)を結んだのが始まりです。最澄が中国に留学して天台宗を開立してからは、弘法大師(こうぼうだいし)の開いた高野山金剛峰寺(こうごうぶじ)とともに、約1200年もの間、日本の宗教界最高の地位に君臨し、この比叡山からのちに日本仏教をささえた円珍(えんちん)(814-891)、円仁(えんにん)(794-864)、慈円(じえん)(1155-1225)、源信(げんしん)(942-1017)、法然(ほうねん)(1133-1212)、親鷲(しんらん)(1173-1262)、一遍(いっぺん)(1239-89)、道元(どうげん)(1200-53)、日蓮(にちれん)(1222-82)などの傑僧(けっそう)を輩出しています。全盛を誇った平安時代末期には、三塔・十六谷・三千坊を数えていたといわれています。この時代に門下の対立が激しくなり、分立した三井寺(園城寺)の寺門に対して、山門と呼ばれています。

杉木立が深く生い茂っている比叡山中の境内は、天台宗修行道場としての威厳に満ちみちた雰囲気が漂い、訪れる者の心を引き締めます。延暦寺は比叡山の山上山下に大別されており、山上には、根本中堂を中心とした東塔、釈迦堂を中心とした西塔、円仁によって開かれた横川の3地区に分かれています。一方、山下になる坂本には、延暦寺の鎮守社(ちんじゅしゃ)だった日吉大社や本坊だった滋賀院などがあります。

戦国時代に織田信長(1534-82)によって、一山焼き討ちに遭いましたが、豊臣秀吉(1536-98)・徳川家康(1541-1616)の手によって復興された諸堂は、数多く国宝・重要文化財の指定を受けており、宝物類も目を見はる物ばかりです。

ドライブウェイ・ケーブル・各バスなどを利用して、山上まで比較的簡単に参詣することができます。根本道場であり、もっとも交通の便のよい東塔だけを拝観する人が多いですが、さらに厳粛な空気が漂う西塔・横川の方へ、東海自然歩道を歩いて参詣するのも深い趣が味わえます。

〈国宝〉根本中堂 宝相華蒔絵経箱 金銅経箱 七条刺納袈裟 刺納衣 伝教大師将来目録 羯磨金剛目録 天台法華宗年分縁起 六祖恵能伝 伝教大師入唐牒嵯峨天皇宸翰光定戒牒

〈重文〉根本中堂廻廊 転法輪堂 戒壇院 瑠璃堂相輪

横川中堂

横川中堂は横川の本堂にあたります。建築様式は、舞台造りと言って全体的に見て船が浮かんでいる姿に見えるのが特徴的です。ご本尊の慈覚大師作と伝えられる聖観音菩薩は、2メートル程下がっているお堂の中央部に祀られています。

現在の横川中堂が再興されたのは昭和46年になります。

横川は横川中堂を中心とする区域になり、 第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれた横川エリアの本堂は、西塔から北へ4キロメートルほどのところにあります。遣唐使船をモデルにしており、外観は大海原に浮かぶ船の様に見えます。他に往生要集著者の源信僧都が隠居していた恵心堂やおみくじ・魔除けの角大師で有名な元三慈恵大師良源を祀っている四季講堂(元三大師堂)などがあります。

横川中堂(本堂)

第16次遣唐使船「空海・最澄」・・・全てここから始まった!

五島市「五島遣唐使ふるさと館(三井楽町)」

三井楽は、遣唐使船の日本を出る前の最後の寄港地であり、遣唐使とのゆかりの深い場所です。展示コーナーでは、遣唐使についての資料や、万葉集に掲載されている、三井楽を詠んだ歌などの展示をおこなっています。

空海、最澄は同時期に遣唐使船にて唐に渡っています。その後、円仁も最後の遣唐使として入唐。

遣唐使にゆかりのある五島市三井楽町と、第16次遣唐使船(804)で唐に渡った僧空海と深くかかわりのあることを広く紹介し、その偉徳を顕彰するために建立。 姫島を背に「辞本涯」(日本のさいはてを去るの意)と刻まれています。この草原に立ち、東シナ海の大海原を眺めるとき、「日本のさいはての地よ、さようなら」の感慨にひたり、命をかけて唐に渡っていった人達の勇気と偉業を偲び、ただただ頭の下がる思いがします。

「辞本涯」は最初の日本遺産認定です。

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