https://blog.goo.ne.jp/angura_1967/e/9bdf1c40b96985e9e283323b0f5c7219 【百日紅が落花した(杉浦日向子さんの死)】 より
『ガロ』系のマンガ家のひとりと言っていいだろう杉浦日向子さんが、22日下咽頭がんで亡くなっていた。享年46歳だった。
一般的にはNHKの『お江戸でござる』で江戸文化研究家として登場して、着物姿でそのふくよかな丸顔を見せていたが、1年8ケ月前から闘病生活をしていた。
京橋の呉服屋さんのお嬢さんで、日大芸術学部にはいるも江戸考証をまなぶため中退、1980年11月号に初めて描いたマンガ「通信室乃梅」が入選掲載されマンガ家としてデビューした。文春漫画賞などを受賞。私生活では荒俣宏氏さんと結婚するも、離婚。代表作『百日紅』、『百物語』など。
93年に「隠居宣言」でマンガから引退。文筆家、江戸考証研究家としてTVなどに出演していた。
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百日紅 江戸小紋の えびす顔
博物家 和とじの書庫で 交わえり
怪談を にこやかな顔 怖さ増し
(3首ともじゅん)
https://plaza.rakuten.co.jp/kamomeza/diary/201308290000/ 【友人の孤独死】より
友人孤独死!百日紅死はいちまひの畳かな 齋藤愼爾/死に顔といつすれ違う百日紅 松田ひろむ
8月29日 (木) 33℃(晴)。
今日も暑いだったが、15時(午後3時)からの1本の電話から大変な日となった。それは約30年の知人の高島平団地に住むY氏の部屋から異臭がするというUR(都市再生機構)管理人からの電話だった。
Y氏の緊急連絡先が私であった。急遽、タクシーで高島平2丁目の現場に駆けつけた。確かに部屋の外からでもわかる、異様な腐った臭いであった。
警察、消防、鍵屋が順次詰めかけてくる。私も彼の携帯電話、固定電話にかけてみるが出ない。消防署が声を掛けるものの応答なし。ついに鍵屋さんが鍵を破壊、消防署がまず入ってゆく。すぐに彼の死亡を確認して退出、つづいて警察が入ってゆく。警察も交番の婦人警官から、高島平署などと順次、人数が増えていった。結局15名にもなっただろうか。その間、ずっと廊下で私は管理人とともに推移を見守っていたが、とうとう青いビニール袋に包まれたY氏の遺体が目前を通り過ぎていってしまった。衝撃的な一日。警察によると事件性はないとのこと、とすれば突然死であろうが、彼から電話があり、彼とわが家の玄関で会ったのは8月14日か15日の夜であった。そんなこともすべて事情聴取されたが、それにしても49歳という若さでの孤独死はショックであった。家族は広島に母親と妹がいるとのことだった。
帰宅して彼といつもいっていた蓮根駅前の三景園で妻と二人での「通夜」となった。
今日の1句 百日紅死はいちまひの畳かな 齋藤愼爾 『夏への扉』
立って半畳、寝て一畳である(太田玄斎「諺苑」1797年)
松田ひろむ千日千句
3801 死に顔といつすれ違う百日紅 季語 (百日紅)
友人の孤独死に、なにを手向けるか。それは俳句しかない。赤いサルスベリが今日のイメージと重なる。
https://kojima-tetsuo328.blog.jp/archives/17829911.html 【百日紅生きるが為に死を思ふ 荒井千佐代】 より
「死を思え」、確か「メメント・モリ」というのだとずいぶん前に藤原新也のエッセイで知った。生まれ変わりというのは、夢物語としては、大変面白い。人間は誰も(一部の例外をのぞいては)あの世から生還した人はいないから、死は自我の消滅ということになっている。それにたいし宗教は、そうではないという。あの世で幸せに暮らしたかったら、この世で良いことをたくさんしなさいという。盗みをしてはいけない、人を殺してはいけないなどのモラリスティックなタブーがいわれるようになる。まあ、宗教の話は置くとして、この句、作者も死を思う年代になって考えることがあるのであろう。そんなとき、百日紅が見えたのだ。筆者は、もう数十年前のことだが、大学の卒論で連歌師の宗祇をテーマにし、まずは墓参りをと、富士の裾野の墓に詣でたが、墓石の脇に立つ百日紅の花が咲いていたのが印象的であった。花びらの赤はけっして華やかな赤でなく、慰めるような淡い赤だとその時知った。
新詩歌句年鑑2018*小島てつを評
https://shizukesan.exblog.jp/31326306/ 【百日紅とお休み中の主人作の夕ご飯】より
散れば咲き散れば咲きして百日紅 加賀千代女
日毎に斜めになっていく日差しをうけ、サルスベリの花が次々と咲きます。
夏を代表する花木のひとつサルスベリ この花は、寿命が長く、咲けば散り 散っては咲きして冷たい秋雨に濡れるまでの約百日咲き続けることから「百日紅」の漢名があります。
ひゃくじつこうとも読みます。
幹肌が滑らかで屈曲しているので猿も落ちるといわれ和名に「さるすべり」の読みが与えられました。「猿滑」とも書きます。また、この花は、南から北へ咲き進む最後の花で、次の花、ススキや萩は、北国から南下し始めます。
百日紅と萩は、ちょうど今頃(八月二十日頃)、仙台付近ですれ違うといわれます。
大陸の神話時代、百日後に再会を誓った王子と乙女が乙女の死によって会うことが叶わなかったため乙女を弔った地から二本の樹が生え紅白の花が百日咲き続けたという悲しい恋の伝説があります。
この伝説から百日紅のイメージが変わりました。
今回のおやすみ中、どういった風の吹き回しか主人は、よく食事を作ってくれました。
普段は、仕事で忙しくあまり無いことですので、記念に写真を撮るねというと、はりきっていました。
夏休み中のある日、主人と百日紅の花を見た日の夕食です。
主人作の夕ご飯 牛肉と野菜の炒めもの 茄子のしぎ焼き 海老のチリソース もずく酢
スマホを見ながら楽しそうに作っていました。笑
唯一、私が作ったのは、H子さんが作られていたゴーヤ、玉ねぎ、ツナの和えもの 美味しそうで真似させていただきました。
これが、とっても美味しくてリピート決定です!H子さん、ありがとうございます!
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