高松宮殿下御手植柘榴昭和25年5月17日 生福寺
昭和25年から育ち続けた柘榴。昭和49年に再建された本堂より古い 生福寺にとって 柘榴は どんな意味を持つのでしょう?
https://www.kanto88.net/24 【第二十四番霊場 宮應山 生福寺】 より
【 真言宗智山派 】
本 尊:大日如来
真 言:おんばざらだとばん
御詠歌:のちのよを ねがえばまいれ しょうふくじ だいしのひかり いまもとうとき
寺院紹介
当寺は宇都宮のほぼ中心部に位置しているが、大通りから一筋北へ入った道路沿いのため比較的静かである。永享10年(1438)、宇都宮等綱の開基。清原高盛の祈願所として創建された。以来、醍醐光台院末の中本寺として末寺十七ヵ寺を有していた。
古文書によると、江戸時代、城主転封の際は当寺の客殿において城郭領地の引き渡し、大明神の造営等事務引継ぎが行われたという。文化11年の火災、戊辰の戦火、第二次世界大戦の空襲等により何度も堂宇を焼失し、現在の本堂は昭和49年に再建されたものである。
境内には宇都宮の鋳物師・戸室元蕃作の市指定文化財の宝篋印塔、勤皇の志士、菊池教中の墓がある。参道の与謝蕪村の句碑は平成19年に蕪村顕彰会により建立されたものであるが、蕪村は28歳の時、芭蕉の足跡を尋ね奥州の旅に出た際、寺町の佐藤露鳩宅に寄寓していた。
その折に「宇都宮歳旦帳」を編集、これまでは宰鳥と名乗っていたがここで初めて蕪村を号し、世に出て行ったと言われている。蕪村号誕生の地でもある。
http://www.wakaizumi-farm.com/yomoyama-zakuro.html 【ペルシャからザクロの実】
より
写真は、遠い昔むかし砂漠のペルシャからシルクロードを旅しながら海を越えて日本にやってきた果物。それはザクロ。
写真のザクロの樹齢は、ほぼ百年以上過ぎていて根元からはひこばえを沢山伸ばしている。
自分が子供の頃と比べると幹の太さはほとんど変わっていない。
数代前からいるザクロの木だが、その頃は東京でも純農村地帯。
数キロ先で手を振っているいる人が屋根に上ってみると肉眼で見られる時代、常磐線を走る汽車の煙も見られた。
夏は稲穂が緑に揺れアブラゼミはけたたましく夕暮れを告げて鳴く。
家の近くに龍慶禅寺という曹洞宗の禅寺がある。
家は真言宗だがその頃の龍慶禅寺は住職が近在の子供たちに習字を教えていて、自分も正座して半紙に筆を載せていた。
4月8日。50年ほど前まではお釈迦様の誕生日、灌仏会を祝って釈迦像に甘茶かけをした。4月8日には龍慶禅寺で毎年縁日が開かれ楽しみも少ない時代かなり賑わっていたのを覚えている。
近在の農家や商家は,野菜や米、花木、そして酒や甘酒などを寺の縁日で売るのが習わしだった。たぶんザクロがやってきたいわれは祖父から聞きはぐったが、当時珍しかったザクロの木を入手するのはその縁日くらいしか当時はなかったようだ。
たぶん川口安行あたりの植木屋が縁日に出していたのを買い求めて庭に植えたのかと思うのだが。
そのザクロだが、毎年秋に入ると庭師に枝をばっさばっさと無情にも切られてしまうため、秋に実を見られるのは10個程度。
それが今年は豊作。何も夏の猛暑の加減ではない。
簡単に言うと秋に庭師が入らず枝を切られなかったため、たっぷりと赤い花を咲かせ実をならせてくれただけ。
このザクロ、昔から不気味な話も伝わっている。
「昔々、インドの国に他人の赤子を何人も食らう女がいたそうだ。
その女に赤子を食われてしまった母親は嘆き悲しみ釈迦に訴えてみると、その赤子を食っている女の一番大切にしている子供を釈迦は隠してしまった。
女は子供を失った悲しみを悟り以後子供のかわりに釈迦からザクロを食うよういわれ、そして釈迦に帰依し安産と子供の守り神となり仏に仕えるようになったとさ」
ザクロは法華経の守護神とされ法華宗や日蓮宗で大切にされていて、東京では恐れ入谷の鬼子母神、雑司が谷の鬼子母神が有名だ。
ザクロにまつわる寺だから縁日ではザクロの苗木も売っているかもしれない。
子供の頃、寝物語に祖母から聞いた昔話、この年になっても以外とまだ覚えている。
何となく、昔話のようになってしまったがこの秋は割れた皮から見える赤い果肉を今年も食らってみようと思う。
ついでだが2000年頃、ザクロの果肉や果汁にはエストロゲンという成分が含まれていて顔のシミやたるみの解決、美容に良いとか言われていたが市場に流通していたザクロジュースなどにはそのエストロゲンは含まれていなかったとのオチもある。
http://shinshizo.com/2018/08/%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%83%AD%E5%90%89%E7%A5%A5%E6%9E%9C%EF%BC%89%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A4%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%A5%9E/ 【ザクロ(吉祥果)を持つインドの女神】 より
ザクロ(吉祥果)を持つインドの女神・・・孔雀明王と鬼子母神
インドの女神で、梵名マハーマーユーリーと呼ばれる孔雀明王や、梵名ハーリティー=訶梨帝母(カリテイモ)とよばれる鬼子母(きしも)神は「吉祥果」と呼ばれる果物ザクロを持っています。吉祥果はザクロ(石榴)に比定されますが、ザクロはペルシャ・西アジア原産とされ、果実の中には、熟れると宝石のように美しいたくさんの小さな粒があり、その一つ一つに種子が入っています。このことから、ザクロはヒンズー教徒の聖木とされ、花や実は古くから子孫繁栄をあらわす縁起のよい果物、さらには魔を払う果実として、ヒンズーの神々への供物とされてきたとのことです。
胸元にザクロ(吉祥果)を持つ「孔雀明王像」
インドの国鳥でもある孔雀(クジャク)は、優美で気品がある姿に似合わず、サソリやコブラといった人間に有害な毒虫・毒蛇・毒蜘蛛などを好んで食べてくれるので益鳥とされています。このことから、孔雀を神格化した「孔雀明王」は、諸々の毒を取り除く神と信じられ、人々の災厄や苦痛を除き、さらには、人間の煩悩を取り祓う功徳をもつとされます。梵名はマハーマーユーリーですが、「偉大な孔雀」の意とのことです。また、孔雀明王を本尊として、魔を喰らうことから除魔法、雨を予知する能力があるとされることから祈雨法(雨乞い)もなされるとのことです。
孔雀明王像
顔には慈悲の微笑をたたえ、四本の腕(四臂)をもち、孔雀に載った姿で表現されています。明王の多くが怒りの表情(憤怒相)をしている中で、唯一、孔雀明王だけが慈悲をたたえた表情(慈悲相)をしています。女性神で「仏母大孔雀明王」などとも呼ばれます
四本の手(四臂)には持ち物を持っています。第一右手に蓮華、第二右手に倶縁果(ぐえんか)、第一左手(胸元)に吉祥果(きちじょうか)、第二左手に孔雀の尾羽を持っています。蓮花は仏の慈悲、倶縁果は気力増進(増益)、吉祥果は降魔、孔雀の尾羽は災難除去などを表すとされます。なお、吉祥果はザクロに比定されています。
ザクロ(吉祥果)で象徴される「鬼子母神」
鬼子母神には千人の子供がいるとして、子宝の神とされていますが、下記のような仏教説話があります。
鬼子母神(きしもじん)は、インドの夜叉神の娘でカリテイモ(訶梨帝母)と呼ばれ、その性質は暴虐で近隣の幼児をとって食らうので人々から恐れ憎まれていました。そこでお釈迦様は、カリテイモの千人の子の内、末の子を隠して子を失う親の悲嘆を味わせて戒めました。過ちを悟ったカリテイモはお釈迦様に帰依し、子宝・安産・子育(こやす)の神とされるようになりました。
ザクロは、人肉の味・子宝の象徴
カリテイモは幼児を食べることをやめると誓って仏に帰依したのですが、その時、お釈迦様は幼児を食べたくなったら、代わりに人肉の味に似ている「ざくろ」を食べるようにといわれたといいます。 (余談:でも・・・ザクロが人肉の味に似ていると判る人が身近に居たら怖いですね) また、吉祥果ともよばれる「ざくろ」の果実は、種子が多く、子宝・安産・子育・子孫繁栄・豊穣に通じるとして鬼子母神の象徴とされました。
雑司が谷・鬼子母(きしも)神
法明寺鬼子母神堂 東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-20
雑司ヶ谷・鬼子母神像は、鬼形ではなく、羽衣・瓔珞を着け、ざくろ(吉祥果)を持ち幼児を抱いた菩薩(天女)形の姿をしているとのことです。また、鬼子母神と書くにあたって、「鬼」の字の第一画目の点がない(角のない)鬼という字を用いています。
ザクロ(石榴)の絵馬と境内のざくろ(紋)
「ザクロ」は子宝・安産・子育ての鬼子母神の象徴として、本堂には「ザくろの絵馬」がたくさん奉納され、境内の様々な所に「堂紋」としてみられます。いずれの図もざくろの実の中の種子が強調されています。
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