高松宮殿下

https://www.praemiumimperiale.org/ja/aboutus/princetakamatsu 【高松宮殿下】より

1905年(明治38年)大正天皇の第三皇男子としてご誕生。昭和天皇の弟宮。

1929年、財団法人日本美術協会の総裁にご就任。1987年にお亡くなりになるまで58年間、協会の指導にあたられた。芸術、スポーツの振興には特にご熱意を注がれ、若い芸術家の育成については本人に気づかれないようにと、画廊でひそかに作品をお買い求めになるなど、その支援にもお心を配られた。

第二次世界大戦の時代、殿下は日米開戦の回避に努力され、戦争末期には徹底抗戦を叫ぶ軍部に対して早期終結の強いご意志をお示しになって行動された。このことは「高松宮日記」全8巻に詳しい。戦後の混乱期からやがて経済成長をとげた日本の中で、殿下は常に「国際理解は文化、芸術を通じて」とお説きになった。そのお心を継いで「高松宮殿下記念世界文化賞」が生まれ、「若手芸術家奨励制度」の発足にまでつながっている。

喜久子妃殿下は、徳川幕府最期の将軍慶喜公の孫にあたられる。2004年12月18日にお亡くなりになるまで、高松宮殿下が活動されてきた社会事業を引き継がれると共に、「高松宮妃癌研究基金」を設立されて、がん撲滅への支援に力をそそがれました。

「高松宮殿下記念世界文化賞」の設立を大変喜ばれ、1996年までは授賞式典にご出席、また91年から98年までは、式典の翌日、受賞者や国際顧問を東京・高輪の宮邸に招いて、午餐会を主催された。午餐会では「殿下のお名前がついた賞が育ってきて、とてもうれしく思います」と、心のこもったおもてなしをされ、参会者に深い印象を残されました。

世界文化賞とは

高松宮殿下記念世界文化賞は、日本美術協会が前総裁 高松宮殿下の「世界の文化芸術の普及向上に広く寄与したい」というご遺志を継ぎ、協会設立100年を記念して創設されました。

国際理解の礎となる文化芸術の発展に貢献した芸術家に感謝と敬意を捧げ、その業績を称えるもので、世界の芸術家を対象に毎年、絵画、彫刻、建築、音楽、演劇・映像の5部門の受賞者に感謝状、メダル、賞金1500万円をお贈りしています。

受賞者の選考は、国際顧問のランベルト・ディーニ(元伊首相)、クリストファー・パッテン(英・オックスフォード大学名誉総長)、クラウス=ディーター・レーマン(独・ゲーテ・インスティトゥート総裁)、ジャン=ピエール・ラファラン(元仏首相)、キャロライン・ケネディ(米・元駐日大使)の各氏が中心となり、広く世界に目を向けて候補者の推薦にあたります。その推薦リストに基づいて、日本の選考委員会が受賞候補者を選び、日本美術協会理事会で最終決定します。

受賞者の発表は国際顧問が主宰して自国の都市で行い、授賞式典は毎年10月、総裁の常陸宮殿下、同妃殿下ご臨席のもと、東京・明治記念館で行われます。

また、次代を担う若手芸術家の育成を目的に、1997年、「若手芸術家奨励制度」が創設されました。毎年、世界文化賞受賞者発表と同時に対象者が発表されます。選考は国際顧問が順次担当し、選ばれた個人または団体に奨励金500万円が贈られます。


https://www.saiseikai.or.jp/about/takamatsunomiya/  【高松宮記念基金】 より

高松宮記念基金

恵まれない人々やお年寄りの医療・福祉をより推進させるために

これからの時代に対応した保健・医療・福祉の総合的な事業にこそ済生会の使命があります。

「高松宮記念基金」は、済生会の第3代総裁高松宮宣仁親王殿下の「恵まれない人々への医療・福祉活動をさらに充実させたい」とのご遺志を実現するためにつくられました。「高松宮記念基金」の理想の灯を時代の流れに合わせながら、未来へと灯しつづけたいと存じます。

 恩賜財団済生会は、明治天皇から「済生勅語」を賜って明治44年に設立されました。それからおよそ100年、幾多の変遷を経ながらも「済生の道を弘めるように」という勅語の精神を引き継いで保健・医療・福祉の諸事業に取り組んでまいりました。21世紀になっても無料低額診療、へき地診療、救急医療、老人福祉等の事業を充実・発展させるためには、多くの活動資金が必要となります。(参考: 高松宮記念基金規程)

 このため、済生会の趣旨にご賛同願える会員を募集し、会員となっていただいた方からの会費を基金として積み立て、この資金を済生会事業の推進に役立たせていただこうというのが「高松宮記念基金」です。

 皆さま方のご理解により、善意の輪を広げ済生会の特色ある活動を支えていただくために「高松宮記念基金」へのご理解とご協力を切にお願い申し上げます。

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