生きるために学び 生き残るために考えよ

Facebook・船木 威徳さん投稿記事【 この素晴らしい世界について ~私のとらえ方 】

新型感染症の世界的流行(らしい)が、おそらく2020年の人類最大の関心事だったと振り返る日が来るでしょう。

そして、今年は、いわゆる「陰謀論」が、ごくごく一部のいわばマニア同士だけの共通言語の枠を超え徐々に市民権を得つつあるように感じるのは、私だけではないでしょう。

特にTwitterやFacebookなどのSNSを見ていてこのところ強く感じます。

すべてを信用しているわけではないですが「陰謀論または陰謀説とは、あるできごとについて、広く人々に事実として認められている公の情報やその解説とは別に、特定の組織や人物にとっての利益に繋がった策謀や事実の存在を指摘する呼称とされる。」

つまりは、「強い権力をもつ個人ないし団体が、一定の意図を持って一般人の見えないところで事象を操作している(していた)とする主張」のことで例えば、
・アポロ計画では実際は、月に到達しておらず映像は映画スタジオ内で撮影された

・大きな人的・経済的損失をともなう台風や地震も、人工的に起こすことができる

・各国の中央銀行は、特定の集団に支配されており通貨発行益はすべて集団に強奪されている

・ジョン・F・ケネディ元大統領やダイアナ妃も公に言われている犯人や殺害動機は全く異なる

など、いくらでも挙げられるとされます。

今なら、「新型感染症」は、○○の国がウイルスを撒いたことで発生した。それも、とっくに収束しつつあるのに国家権力が個人の自由・権利を制限するための仕組みを強固なものとし、個人の行動を管理・支配するためのワクチン接種を推進するために利用しようとしている、というものでしょう。

私は、頻繁に、直接面識のない人たちからSNSでメッセージをいただきますが、その多くは上記のような「陰謀論」を前提としているように、つまりは「あなたも信じているでしょ」的な質問であったり、自己紹介であったりするように感じます。

結論から言うと、私は、いわゆる「陰謀論」は、客観的な事実を自分で集め納得のいくものについてだけ、受け入れています。

つまり情報のかけらのひとつひとつを「信じる」か、「確認待ち」に分けていて、信じる・信じない、黒か白か、というような判断を意識して、簡単にくださないようにしています。

なぜか?

陰謀論にせよ、マスコミ報道にせよ、あるひとつのできごとについて考えようにも私たちは「事実」を、なかなか知り得ないからです。

そして、なにが「事実」か、を検証する上で、私たちはあまりにも先入観や、感情、さらにはその時点での体調にまで影響を受けてしまい、フラットな状態で「事実」だけを羅列してゆくことができません。簡単に言うと、無意識のうちに、情報を取捨選択し、自分だけの「事実」を作り出してしまいます。

そのように作り上げた自分だけの「事実」。

これを評価する際に、かならず、自分の感情や主義、個人的経験、思い込みなどの影響を受けてしまいます。

簡単に言えば、「陰謀論」そのものを信じるなら世の中で起きるすべてのできごとが、すべて「陰謀」で起きているように見えてしまいます。

有名人の家が、実際は寝たばこで家事になっても「有名人だから」きっと、これは陰謀だ、反対勢力の放火によるものだ、とされかねないのです。

このように、私たちは、自分の心のありようや普段、信じているもの、主義などの影響を受けて「陰謀論」に限らず、例えば「政府の発表は、間違っているわけがない」「テレビに出ているような偉い研究者の話はすべて事実だ」というように、自分だけの「思い込み」、よく言えば「信念」ができあがってゆきます。

その「思い込み」や「信念」のもとにもっとまずいことが起きてしまいます。

それは、人が、なんらかの対象を「いい人・悪い人」、「いい国・悪い国」のように、良いか悪いかに、2つに分けるという「単純」な思考に走ること。

人間の脳は面倒な作業を避けるために、ものごとを善・悪、白・黒とできるかぎり単純化し自分にとっての意味づけを固定しようとします。

「~首相は悪いけれど、~大統領は英雄だ」「~人は劣っているが、~人はすばらしい」

「~業界は腐っているが、~の業界は良いことしかしない」・・・。

そんなわけ、ないですよね。

話を元に戻しましょう。

私は、いわゆる「陰謀論」らしい話、すなわち「強い権力をもつ個人ないし団体が、一定の意図を持って一般人の見えないところで事象を操作している(していた)とする主張」を聞くたびに、その「一定の意図」があるとするなら、それがなんなのかを常に考えます。

「意図」があるから、その「意図」を達成するための「手段」があるはずで、私たち一般人は、その「手段」として起きている事実しか見えません。

しかし、「一定の」意図があるなら、本当に陰謀論に基づく、「手段」としてのできごとにはその目指しているらしいところに、一定の共通点が見られるはずです。

冷静に、事実(私は、公的な機関のHP、公表されている公文書、権威者の発言の動画、参考としている文献を細かく明らかにしている書籍などを参考にしています)をつなげてゆき、そこに影響を与えている共通の人物や期間があるかどうか、あまりにも当たり前すぎる歴史的なできごとが意外につながることも多いのであるできごとの発生した時期の世界の動きをくらべてみています。

それらが「一定の」意図につながるものかどうか?じっくり考えることしかないのです。

この際、非常に重要なことは、やはり自分の感情を入れないで「事実」を直視し、ただただ冷静に「事実」をつなげてゆくこと。

例えば、「世界には闇の支配者がいて、彼らは、世界の人口を大幅に減らそうとしている」という「陰謀論」があります。

ワクチンが、国際資本の製薬メーカーの薬が食品添加物が、農薬が・・・そもそも医療そのものが「病気を増やし、人を早死にさせようとしている」というものです。

薬の内容や、これまでの薬害問題を細かく見てゆくと、確かにそうかも知れないと感じることもありますが、実際、人口は減っているのでしょうか?日本人の寿命は?ガンなどの悪い病気は確かに増えたでしょう。しかし、その大部分は再生産(子作り)を終えたのちに発症しています。

そうすると、未婚率の増加の原因は?不妊症がどれくらい増えたら、人口は減るのか?若い人たちの経済的不安と出生率の関連は?と、事実をつなげてゆけるはずです。私が、繰り返し、「冷静に」と言っているのはここに「かわいそう、許せない、ひどい、なんてことだ・・・」などという個人的な感情を入れるとやはり「事実」が自分の中で曲げられていってしまうからです。

と、私が、普段、社会で、また世界で起こるできごとをどのように見て、どのように受け入れ、どうやって解釈しているか、についての一部をお話ししましたが、最後に、結局のところ、私がこの世界をどんな大枠で捉えているかだけを書いておきます。

●「強い権力をもつ個人ないし団体が、一定の意図を持って一般人の見えないところで事象を操作している(していた)」のは事実です。

しかもその「権力」は、私たちの想像を超えたものであって、一般に「~家」「~一族」などと呼ばれている人たちのレベルのものではありません。

そもそも、私たち一般人のまえに、彼らが姿を現すことはないと考えます。

●そのとてつもない権力をもつ個人、団体に一定の意図、それも、何千年の期間、ほとんど変わらずに引き継がれている強固な「意志」に基づく「計画」があります。

●その「計画」の実現のために、私たちが、テレビやネットで目にしているクラスの権力者(政治家、有名人)は、駒のように扱われており、その私たちが知りうる権力者を扱うためのシナリオは何パターンもあります。

大統領が誰になろうが、戦争でどちらの国が勝とうが負けようが、長い時間で見返すなら

「計画」が実現するために、確実に世界が意図された方向に動いていっています。

私は世界を、そしてその世界を動かす力を持つ者たちについては、以上のように捉えています。

「では、どうしたらいいのか?」そのように、たびたび尋ねられます。

私には、個人的に、基本方針として常時、意識していることがあります。

それは、最重要と考えられるタイミングで、徹底して「ずる賢くふるまう」ことであり、そのために常に「考える」ことです。

そのすべての目的は、なにがなんでも「生き残り、生き延びる」ことにあります。

マスクがどうの、ワクチンが・・・などと、毎日のわずらわしい問題に白黒をつけたい気持ちは、もちろんわたしにも充分わかります。

ただ、結局のところ、そこに生まれるのは、人々の分断であり、争いであり、混乱です。

相も変わらず、「ワクチンは是か非か?」といった完全には答えが出ない論争が繰り返されるのも永遠に、人々をバラバラにするため、そして、人々の注目が、本当の権力者に向けられることがないようにするためだと私は考えます。

その先に、何が生まれるのか?

歴史上何度も繰り返されるように、人間が、論争しながらにみんなが納得できる答えや方針が出ないときに持ってしまう感情は「無力感」です。

「自分たちでは、解決できない」「こうした争いを一気に解決してくれる強いリーダーがほしい」「世界のすべての人を救ってくれるヒーローが現れてくれないだろうか」

そんな想いが、共通の世論となり、やがて、現実に「世界の救世主」とあがめられる人を担ぎ出そうとする力を生み出してしまうのです。

歴史上、同じようなことを繰り返しながら実際に完全なヒーローが世界を救ったことがあったでしょうか。

先に話したように、(どちらが多少は「まし」というレベルの違いはあるのせよ)為政者が、誰になろうが、世界が向かうところは大差はないと私は考えています。

失望を繰り返す私たちに待っているのは、ますます大きくなる「無力感」です。だったら、どうするのか?

まず、自分ひとりでも、「生き延び、生き残る」ために事実を冷静に解釈し、自分の責任で、自分の生存戦略を立ててゆくべきです。

「~先生の言うとおりにしていれば」「○○大統領が選挙に勝てば」すばらしい未来が待っているなどという夢は実現しないと考えておいた方が得策です。

それよりも、この世で起きているように見えるできごとのシナリオを作っている権力者は、どんな思想のもと、どんな世界を目指しているか

そこで「生き延びる」ためには、私たちは、どう振る舞えばいいのか?

つまりは、権力者の意図に沿うようになにも考えていない「ふり」をし、「無知」を装いつつ、ずる賢く「生きてゆく」ために、学び続けることと、考えを同じくする本当の意味での仲間を確保しておくことでしょう。

「正義はきっと勝つ」「話せばわかり合える」そう思いたい気持ちは、私にも分かります。しかし、そんな日は来ないでしょう。

言いたいことを言えないままで、ずる賢く生きるなど、自分には無理だ。そういう考えも、私には充分にわかります。

ただ、私たちは、なにがなんでも「生きなければならない。生き残り、生き延びねばならない」のです。

そんな当たり前のことを、(わかってくれる人たちがいればいいのですが)あらためて口に出さねばならない、そんな時代を、私たちは生きている。

私はそう考えています。

私が、自分でメモに書き出し、たびたび自分で読み返していることばは以下の通りです。

『 生きるために学び 生き残るために考えよ 』

~王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり

コズミックホリステック医療・教育企画