https://blog.goo.ne.jp/goo3360_february/e/44e66ad18cca50de618d0f0dd85cfe20 【松尾芭蕉は、なぜ「芭蕉」を俳号にしたのか】 より
松尾芭蕉は、なぜ「芭蕉」なのだろう?調べてみたが、俳号の由来は不明だった。
では「芭蕉」にはどういう意味があるのか?
そもそも「バショウ」は、バナナと同じ「バショウ科」の植物。
大きな葉を持ち、花や果実はバナナとよく似ているが、実(み)は食用に適さない。中国原産だが、英名を「ジャパニーズ・バナナ」と言うから、日本の植物として固有のものらしい。琉球諸島では、葉鞘の繊維で「芭蕉布」を織り、衣服に利用していた。
伊藤若冲の絵も有名だが、日本的情景には馴染まない植物だ。
能の「芭蕉」は世阿弥の娘婿、金春善竹の作。善竹は一休のもとに参禅し、その影響を強く受けていた。しかし、一休は禅宗だが、能楽師は浄土宗、時宗である。観阿弥、世阿弥は、
「阿弥陀信仰」の阿弥号なのだ。
能「芭蕉」の内容は、「芭蕉」という植物の精が現れ、人間同様、植物でも「成仏」したいと願い出るというもの。
「万物悉皆有仏性」。人や動物だけでなく、植物にも石にももの皆仏性を有するという「法華経」の思想を説いたものだ。
こうした植物の精が登場する能は他に、梅、藤、桜(西行桜)、柳(遊行柳)。この四つは、いかにも日本的な風景に合う植物だが、芭蕉だけは異質だ。
中国では「芭蕉の精が人間に化けて出る」という怪異譚があるそうな。(中国の『湖海新聞夷堅続志』)
今川義元は、駿府を発つ際、謡曲「芭蕉」の一節を口ずさみ出陣し、桶狭間で非業の最期を遂げた。
それから数十年後、駿府は徳川二代将軍秀忠の三男忠長の所領となった。忠長は兄家光と折り合いが悪く、自死に追い込まれる。駿府から甲府への改易の知らせが来た時、忠長は駿府城で「芭蕉」の能を催していたという。
というわけで「芭蕉」は縁起が悪い植物ともされた。
「芭蕉」は、ひときわ大きい葉が人影にも見え、精霊や妖怪のイメージと結びつけられていた感がある。その大きな葉の影に隠れるという意味で「隠密」の意味も含まれていたようだ。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%8A%AD%E8%95%89 【松尾芭蕉】より抜粋
由来
俳号「芭蕉」の由来は、江戸深川に構えた庵の号を、当初は「草庵」といったが、そこに植えた芭蕉の木が立派に生長して名物となったことから弟子達がこの庵を「芭蕉庵」と呼ぶようになると、これを受けて、天和2年(1682年)、師匠は戯れに自らを「芭蕉」と号するようにもなった。
このように、「芭蕉」は戯号(戯れに使う号)であるがゆえ、改まった場面で使われることはなく、そのような場面で使う主たる俳号は「桃青」であった。つまり、元来は桃青が主たる俳号で、芭蕉は別号の一つであった。
桃青は、憧れの詩人であった唐の「李白(wp)」を元にした俳号であり、「梨」と「白」で「李白」と号すなら、(未熟な)自分は「桃」と「青」で「桃青」と号す、というもじりである。
https://nomurakakejiku.jp/lesson_lineup/%E4%BE%98%E3%81%B3%E5%AF%82%E3%81%B3 【侘び寂び】
侘び
わび・さび(侘・寂)は、日本の美意識の1つ。一般的に、質素で静かなものを指す。本来は、侘(わび)と寂(さび)は別の概念である。侘び・寂びというのは禅の影響で生まれた美意識であり、悟りを得るために理解すべき必要な要素である。禅宗における悟りとは「生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付く」ことをいう。 仏性というのは「成仏するための基礎である神聖な性質」である。禅の哲学には侘び寂びを理解するために下記の七つの美の原則がある。
01: 不均整 (非対称、不規則、不完全)
禅では対称、規則的、完全などには終わりがあると考えられ、非対称、不規則、不完全などには終わりがないと考えられる。禅は満足を嫌うので不均整に価値を置く。
02: 簡素
禅は生活の表面に存する複雜さを好まない。生命そのものははなはだ単純なものであるが、これを概念的に定義しようとすれば、分析的な眼には比類なき複雑な姿となって映る。それゆえ禅は簡素に価値を置く。
03: 枯高
禅は古いものの内側からにじみ出てくるような、外装などに関係しない美しさに価値を置く。
04: 自然
禅は自然の、あるいは自然の原理に基づいている性質と無邪気で純真な性質に価値を置く。
05: 幽玄 (ほのかで深遠な優雅、決して明白ではない)
詳細は「幽玄」を参照。
06: 脱俗 (一切の執着を離れて無心であること)
禅宗においては、そもそも「禅宗とは何か?」といった問いかけを嫌う傾向にある。そのような疑問の答えは、坐禅修行によって得た悟りを通して各々が自覚する事が最上であるとされ、もし人からこういうものだと教わり得る性質のものであるならば、それは既に意識が自身の内奥ではなく外へ向かっているため、内面の本性に立ち返るという禅宗の本意に反するとされるからである。もう一つの理由として、概念の固定化や分別を、勝手な解釈に基づく「とらわれ」「妄想」であるとして避けるためであり、坐禅修行によってとらわれを離れた自由な境地に達した後に、そこから改めて分別することをとらわれなき分別として奨励するからである。
07: 静寂
禅ではあらゆるものを受け入れる為に静かで受身の心が必要だと考えられている。
侘(わび、侘びとも)とは、動詞「わぶ」の名詞形で、その意味は、形容詞「わびしい」から容易に理解されるように「立派な状態に対する劣った状態」となる。転じては「粗末な様子」、あるいは「簡素な様子」を意味している。もっと端的にいえば「貧しい様子」「貧乏」ということになろうか。本来は良い概念ではなかったが、禅宗の影響などもあってこれが積極的に評価され美意識の中にとりこまれていった。
「わび」の真意は「貧困」、すなわち消極的にいえば「時流、はやりの社会にはいない」ということである。貧しいということ、すなわち世問的な事物―富・力・名に頼っていないこと、しかし、その人の心中には、なにか時代や社会的地位を超えた、最高の価値をもつものの存在を感じること―これが「わび」を本質的に組成するものである。
「侘び」は現在では「質素な単純性、鮮度、慎ましさ」あるいは「渋い上品さ」という意味を持ち、自然のもの・人工的なもの両方に用いられる。
寂び
寂は動詞「さぶ」の名詞形で、本来は時間の経過によって劣化した様子(経年変化)を意味している。転じて「寂れる」というように人がいなくなって静かな状態も表すようになった。本来は良い概念ではなかったが、『徒然草』などには古くなった冊子を味わい深いと見る記述があり、この頃には古びた様子に美を見出す意識が生まれていたことが確認される。室町時代には特に俳諧の世界で重要視されるようになり、能楽などにも取り入れられて理論化されてゆく。さらに松尾芭蕉以降の俳句では中心的な美意識となるが、松尾本人が寂について直接語ったり記した記録は非常に少ないとされる。俳諧での寂とは、特に、古いもの、老人などに共通する特徴のことで、古いものの内側からにじみ出てくるような、外装などに関係しない美しさのことだという。
具体的な例で挙げられるのは、コケの生えた石がある。誰も動かさない石は、日本の風土の中では表面にコケが生え、緑色になる。日本人はこれを、石の内部から出てくるものに見立てた。このように古びた様子に美を見出す態度であるため、骨董趣味と関連が深い。たとえば、イギリスなどの骨董(アンティーク)とは、異なる点もあるものの、共通する面もあるといえる。寂はより自然そのものの作用に重点がある一方で、西洋の骨董では歴史面に重点があると考えられる。
寂びの意味には静寂も含まれる。日本ではあらゆるものを受け入れる為に静かで受身の心が必要だと考えられている。それは「無念」や「無想」として知られる精神状態である。これは単に何も考えや創造、感情などがない状態を言うものではない。思想、反省あるいは、すべての愛着を断った意識によって、生来の能力を働かせるという意味である。この心境をまた「無我」といい、利己的思想を抱かず、自分の所得を意識せぬ状態である。この心境になれれば、我々は悟りを開けると考えられている。上述のように日本の美意識にある寂びにとって静寂はとても重要な要素なのである。
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