https://www.kankou-shimane.com/shinwa/butai/yomi/index.html 【黄泉国訪問】 より
イザナミは火の神さまを生んだのが原因で死んでしまいました。イザナキは妻の亡骸を出雲国と伯伎(伯耆)国の境にある比婆の山に葬りました。しかし愛しい妻に会いたい気持ち、死んだ人の住む黄泉国に行ったイザナキは、イザナミの変わり果てた姿を見て、黄泉国から逃げ出しました。怒ったイザナミはヨモツシコメをイザナキを追いかけさせました。イザナキが投げた髪飾りや櫛は、山ぶどうやタケノコに変わり、ヨモツシコメがそれを夢中になって食べている間に、黄泉比良坂までたどり着きました。その時に追いかけて来た黄泉の雷神たちを、そこに生えていた桃の実を投げて追い払ったイザナキは、黄泉国比良坂を大きな石で塞ぎました。最後に追いかけて来たイザナミは石の向こう側から言いました。「愛しい夫よ。あなたがそうするなら、わたしは一日に千人殺しましょう。」そこでイザナキは言いました。「愛しい妻よ。あなたがそうするならば、わたしは一日に千五百の産屋を立てよう。」こうして、人は一日に千人死に、千五百人生まれるのです。黄泉比良坂は、今の出雲国の伊賦夜坂のことです。
「黄泉国訪問」ゆかりの舞台
1. 比婆山(比婆山御陵古墳)
『古事記』には、火の神を生んだ時の火傷が原因で亡くなったイザナミの亡骸は、出雲国と伯伎(伯耆)国の境の比婆の山に葬られた、と記されており、このイザナミが葬られた「比婆の山」とする説の一つが、安来市伯太町にある比婆山である。山頂にある久米神社奥宮の後方には「比婆山御陵古墳 」がある。本居宣長は『古事記伝』で「イザナミは安来の比婆山に眠る」と、安来の比婆山をイザナミの埋葬地として有力視している。この山一帯は、古代から製鉄が行われており、「比婆」は、もとはたたら吹きを示す「火場」だとする説がある。『古事記』では火の神を生んで火傷をしたイザナミから金山毘古神と金山毘売神が誕生しており、鉱山や製鉄との関連も指摘されている。
住所:島根県安来市伯太町横屋844-1
2. 神納山(岩坂陵墓参考地)
『古事記』にはイザナミの亡骸は、出雲国と伯伎(伯耆)国の境の比婆の山に葬られた、と記されているが、このイザナミが葬られたとする伝承は各地にあり、その一つが神納山である。江戸時代に松江藩が編纂した『雲陽誌』には、神納山はイザナミが魂を自ら鎮めたことを由来としていると記されている。現在は、道路が整備され峠となっているが、伝承地は「岩坂陵墓参考地」として、宮内庁の管轄地となっている。
住所:島根県松江市八雲町日吉
3. 劔神社
『古事記』には、イザナキは亡き妻が恋しくなり、黄泉国まで会い行くが、イザナミの変わり果てた姿を見て、恐ろしくなり逃げ出すと、怒ったイザナミは、自分の体に帯びていた雷神に大勢の黄泉の軍勢を従わせてイザナキを追わせ、イザナキは十拳剣を抜いて、うしろ手に振りながら逃げた、と記されている。この剣を抜いた場所が剣山の山頂にある劔神社だと伝えられる。剣山の急な石段を上ると摂社の日吉社があり、開けた山頂に本殿と拝殿が鎮座する。本殿の屋根にかかる千木は前が垂直、後ろが水平に切られた大変珍しい大社造りである。
住所:島根県松江市八雲町日吉10
4. 日吉の切通し
剣山の近くを流れる意宇川は古来より氾濫を繰り返す川であった。かつて意宇川は劔神社の東側を大きく蛇行していたが、江戸時代に剣山を開削し、劔神社の西側を流れるよう川違えが行われた。これが「日吉の切通し」である。現在でも、切通しの荒々しい手彫りの川床を見ることができる。
住所:島根県松江市八雲町日吉
5. 揖夜神社
『古事記』には黄泉国より逃げたイザナキがたどり着き、大きな石で黄泉国に通じる黄泉国比良坂を塞いたことが記されている。この黄泉国比良坂は、今は出雲国の伊賦夜坂といわれる、と記されている。この「伊賦夜坂(いぶやざか)」は、『日本書紀』に記された「言屋社(いふやのやしろ)」『出雲国風土記』に記された「伊布夜社」の付近にあったと考えられており、この「いふやのやしろ」は現在の揖夜神社だと考えられている。揖夜神社の主祭神はイザナミノミコトで神座は左側にあり、右の方向を向いているという。
住所:島根県松江市東出雲町揖屋2229
6. 神魂神社
「大庭の大宮さん」と親しまれる神魂神社の主祭神はイザナミノミコトである。揖夜神社・熊野大社・眞名井神社・八重垣神社・六所神社とともに「意宇六社」と称され、この六社を巡拝する「六社まいり」いう行事が行われる神社の一つで古い由緒をもつが、『出雲国風土記』にも『延喜式』にも、この神社の記載がなく大きな謎とされている。出雲大社との関係が深く、出雲国造の就任には神火相続式(おひつぎしき)と古伝新嘗祭を執り行うために、現在でも出雲国造が神魂神社に参向している。社伝では、出雲国造の祖であるアメノホヒが高天原より大庭釜ケ谷に鉄釜に乗って降りて来たと伝えられ、神釜が祀られている。本殿は、国宝に指定される最古の大社造りで、天正11年(1583)の再建と推定されている。
住所:島根県松江市大庭町377
電話:0852-21-6379
7. 黄泉比良坂伝承地
『古事記』には黄泉国より逃げたイザナキがたどり着き、大きな石で黄泉国に通じる坂を塞いたことが記されている。この時イザナミは石の向こうから「かくなるうえは、あなたの国の人を1日に千人殺しましょう。」といい、イザナキは「あなたがそうするなら、わたしは1日に千五百の産屋を建てよう。」と言った。それゆえ、人は1日に千人死に、千五百人生まれるのである。そしてこの黄泉国比良坂は、今は出雲国の伊賦夜坂といわれる、と記されている。この「伊賦夜坂(いぶやざか)」は、現在の揖夜神社付近にあったと考えられており、昭和15年(1940)には揖夜神社の南方に石碑が建てられ、黄泉比良坂の伝説の地として顕彰した。
住所:島根県松江市東出雲町揖屋
8. 猪目洞窟
『古事記』では、黄泉国と現世の境である黄泉比良坂は、出雲国の伊賦夜坂だと記しているが、『出雲国風土記』には、出雲郡の宇賀郷に「宇賀の北の海辺に腦磯(なづきのいそ)と呼ばれる磯があり、その磯の西の方角に窟戸がある。その窟戸の辺に立つ夢を見た者は必ず死ぬと伝えられており、地元の人は黄泉の坂、黄泉の穴と呼んでいる」と記されている。その場所に比定されているのが、出雲市猪目町にある猪目洞窟である。昭和23年(1948)この洞窟を船置き場として改修しようとした際に、縄文時代から古墳時代にかけての遺物が発見され、調査の結果、埋葬された人骨と副葬品が発掘された。発掘された古墳時代の人骨は現在、出雲弥生の森博物館で展示されている。
住所:島根県出雲市猪目町1338
0コメント