元型と日本絵画

https://www.amorc.jp/blog/202009251735_2732.html?tc=melma200911  【元型と日本絵画】 より

とても不思議なことだと私には思えるのですが、世界中のさまざまな時代の神話や説話には、同じモチーフが繰り返し現れます。たとえば、年老いた賢者、龍、太母(グレートマザー、地母神)、いたずらな子供、永遠の若さを保つ青年、乙女などです。

スイスの心理学者ユングによれば、このことは、現代人の夢にもあてはまるそうです。皆さんは、龍の夢を見たことがありませんでしょうか。

ユングは、人間の心はその奥底ではひとつになっていて、そこに先ほどのようなモチーフを生み出す働きがあると考えました。

集団に共通するこの心は集合的無意識と呼ばれ、繰り返し同じモチーフを生み出す集合的無意識の働きは元型(archetype)と呼ばれています。

集合的無意識という考え方は、バラ十字会に伝えられている人間の意識の構造と、とても良く一致しています。

当会の通信講座の初期に学習する内容ですが、通常の意識の奥には下意識(subconscious:潜在意識)があり、ここまでは個々の人に属している心なのですが、さらにその奥には宇宙意識(Cosmic Consciousness)があり、宇宙意識はすべての人(おそらく宇宙のすべての生きもの)に共通しています。

人の心が、下意識を経由して宇宙意識に接続しているということは、実は、瞑想が有益であることの根本の理由です。

参考記事:『瞑想のやり方』(人気記事です)

元型は私たちの行動に大きな影響を与えます。たとえばアニマという元型は、物語では船乗りの命を奪う魔女セイレーンや美しい人魚として登場します。アニマは男性の心の中にある女性的な側面だと考えることができます。

ある男性が自分の女性的な側面を認めることを拒むと、自己のその部分は無意識の中に隠れて「シャドウ」と呼ばれる要素になります。そしてアニマは、シャドウにエネルギーを与えます。

人間は、自分の否定した部分が、他人にあると考えがちです。このことを「投影」と呼びます。

もし抑圧(否定)されたシャドウをある女性に投影してしまうと、突然にその男性はその女性に強い恋愛感情をいだくようになり、時としてその感情が激しすぎるために、破滅的な行動につながったりします。

女性の心の中にある男性的な側面は、アニムスと呼ばれます。女性が自身の男性的な側面を抑圧した場合、アニムスもアニマと同じようにシャドウにエネルギーを与え、恋愛に影響を与えたりします。

このように元型は、このブログで以前に話題にしたシャドウと深い関係があります。

参考記事:「シャドウとひとつになる」

先日、板橋区立美術館で開かれていた、『狩野派学習帳』という展覧会を見てきました。狩野派とは室町時代から江戸時代末期まで、400年にわたって続いてきた絵師の集団です。

この展覧会の展示品の多くは学習帳、つまり古画を模写して絵師たちが練習を行った記録でした。

興味深かったのは、絵画に取り上げられているモチーフの多くに、元型との深い関連が見られたことです。

館内は撮影が許されていたので、いくつかをご紹介させていただきたいと思います。

室内が暗くガラスケース越しでしたので、写りが多少悪いことにはご容赦ください。

★ 狩野常信筆『西王母図』(一部)

西王母は、中国の古代の神話に登場する桃の木の女神です。これは太母の元型の表れのひとつです。この絵では右手に花の咲いた桃の枝を手にしています。

西王母の持つ蟠桃園(ばんとうえん)には九千年に一度実るという桃の木が生えていて、この実を食べると不老不死になります。

『西遊記』には、孫悟空が蟠桃園の管理人を命じられ、桃の実を盗み食いするという逸話が書かれています。

狩野常信筆『西王母図』(一部)

★ 逸見一信筆『龍虎図屏風』(一部)

中国の龍は、雷雲、嵐、竜巻を呼ぶ伝説上の生きもので、中国の皇帝の象徴にもされています。

水源・水脈を司る神ともされ、皆さんもよく見かけることと思いますが、神社やお寺の手水を使う場所では、龍をかたどった蛇口がよく使われています。

この屏風には、左右に龍と虎が描かれていて、源平の戦いを暗示しているとも言われています。ユーモラスで、爽快な勢いを感じる龍ではないでしょうか。

逸見一信筆『龍虎図屏風』(一部)

★ 狩野周信筆『蛤(はまぐり)観音図』(一部)

中国の唐の皇帝であった文宗(文草)が蛤(はまぐり)を食べようとしたところ、蛤の中から小さな観音様が表れ、たちどころに悟りを得たという言い伝えがあります。

観音様もおそらく元型の現れなのではないかと私は思いますが、最初に挙げたどの元型に分類されるのかはよく分かりません。性別を超越したさらに普遍的な理想像なのかもしれません。

ちなみに、大きな蛤は蜃(しん)と呼ばれ、怪しい気を吐いて楼閣などの幻を見せるとされています。「蜃気楼」という言葉の語源になっています。

この絵では、大小2つの蛤が描かれ、大きい方の蛤が気を吐いてその気の中に観音像が描かれています。

狩野周信筆『蛤観音図』(一部)

★ 狩野惟信筆『菊慈童図』(きくじどうず)(一部)

菊慈童は、永遠の若さを保つ青年というモチーフの一例です。

菊慈童の逸話は、能の演目のひとつになっています。菊慈童は、中国の周の穆(ぼく)王に愛された美少年ですが、王の枕をまたいだという罪で流刑になります。

彼は流刑地で、渓流のそばに生えていた野菊の葉に経文を書き、その葉で草露を飲んだところ不老不死になったとされます。

何とも怪しさのただよう絵ではないでしょうか。

狩野惟信筆『菊慈童図』(一部)

さて、元型と深い関連のある日本絵画を見てきました。

ユングは、個人が心の中の意識と無意識という2つの領域を統合することを「個性化」と呼びました。人間は個性化を経て自身の無意識を浄化し、全体を備えた本来の自己になるとされています。

この視点から考えると、元型をモチーフに扱った絵画を鑑賞したり、神話や伝奇物語を読んだりすることは、単に楽しいだけでなく、心理学的に重要な意義があるように思われます。

今回は狩野派の絵画を取り上げましたが、多くの芸術が元型に関わるモチーフを扱っているのは、この意義を、芸術家が直観的に察知しているからかもしれません。

板橋区立美術館は、狩野派の絵画を特に重点的に収集している素晴らしい美術館です。『狩野派学習帳』の展示は終わってしまいましたが、今後も類似の館蔵品展が行われることと思います。

皆さんも訪れてみてはいかがでしょうか。


https://www.amorc.jp/blog/202008071738_2689.html  【瞑想のやり方】 より

グーグルやインテル、ゴールドマン・サックス、P&Gなどの多くの大企業が社員研修にマインドフルネスという瞑想を取り入れてから、もう数年が経ちます。

その狙いは、瞑想のリラックス効果によってストレスを緩和したり、仕事の効率を向上したりしようということでした。そして、実際に望ましい効果を上げているようです。

別に仕事中ではなく休日でも、瞑想に取り組むのは楽しいことですし、健康にとっても心にとっても望ましいことです。

今は、リゾート地に出かけてのんびりと過ごすなどということも、なかなか難しいかもしれません。次の手軽な方法で、瞑想のリラックス感を楽しんでみてはいかがでしょうか。

1.椅子に座って、背筋を軽く伸ばします。両手の手のひらは膝かふとももに置きます。

2.呼吸をコントロールしようとせず、自然にまかせます。そして、入ってくる息、出ていく息、喉を通る空気の感触、胸の動きなど、呼吸という体の働きの全体に、緊張することなく、ただただ注意を集中します。

3.5分ほどが経ったら、体を少し揺すって、手を握ったり開いたりして、日常生活に戻ります。

ひとつも特別なところのない、とても簡単な行いです。しかし実際に行ってみると、ほとんどの方が、すぐに何か別のことを考えている自分に気づくことでしょう。

そのようなときは、別に自分を責めることなく、「雑念、雑念、もどります」と心の中で唱えて、呼吸へと注意を戻し、集中とリラックスとの両立を再び楽しんでください。

私たちの心には、あちこちに飛び回るように活動する性質があります。しかし時として、スムーズにひとつのことに集中かつリラックスすることができ、びっくりするような高いレベルや効率で何かがなし遂げられることがあります。

スポーツや楽器の演奏を熱心な趣味にしている方は、そのような状態になることがしばしばあり、「ゾーンに入る」と呼ばれています。

瞑想のひとつの効用は、「ゾーンに入る」ための練習になることです。

先ほど説明した方法の瞑想を何回か練習すると、人によって差はありますが、ゾーンに入る喜びが感じられてくることと思います。

ただここで、2点だけアドバイスさせていただきたいことがあります。

ひとつは、メリハリをつけるということです。瞑想はダラダラと取り組むのではなく、時間を決めて、「さあやるぞ」と始めて、きっぱりと終わって日常生活に戻ることをお勧めします。

もし瞑想が初めてでしたら、最初は1回5分程度にして、一日に2回以上は行わないようにします。馴れてきたとしても、1回40分以上の瞑想はお勧めしません。

長時間行うと、瞑想は妄想のようなものに変ってしまいがちになり、ろくなことは起こりませんし、そもそも貴重な時間の無駄です。

もうひとつのアドバイスは、すがすがしく貴い感じがするということを目安にするということです。

それは、瞑想とはある意味で、心を何かに同調させることだからです。心の世界には、同調することが望ましい対象もありますが、同調せずにやり過ごすべき対象もあります。

そして人間には、それを判別するための信頼に足る感覚が備わっています。それが、すがすがしく貴い感じがするということです。

この感覚を大切にしてください。

ですから極端な例ですが、あまり瞑想に慣れていない方が、たとえば、雑誌が乱雑に積まれ、食べ残しのカップラーメンが片付けられていないような机を前にして瞑想をするようなことは避けるべきです。

人間の心は、周囲の環境の影響を思いのほか受けがちだからです。

きちんと整理整頓された部屋とか、心地よい自然に囲まれた公園のベンチでも良いのですが、すがすがしい感じがする場所で瞑想するようにしてください。また、自分の部屋でしたら、何らかの小物を置いたりお香を焚いたりして貴い感じが演出できれば、瞑想にとってさらに望ましい環境になります。

さて、ゾーンに入ることはとても素晴らしい経験ですが、瞑想には別の効用もあります。

たとえば、あなたがお仕事や家庭で、なかなか解決できない難問を抱えているとします。

このような場合は呼吸に集中するのではなく、たとえば瞑想の時間を20分と決めたならば、前半の10分でその問題について徹底的に考えます。そして後半の10分は、考えることを止めて何かを待ち受けるようにします。

うまくいくと、思いも寄らなかったような解決策が、まるで天から降ってくるように思い浮かびます。

このテクニックは、芸術家の方が創作を行う準備にも用いられています。


Facebook・西尾仁さん投稿記事【時空間は、夢幻の世界である】

時空間は、夢幻の世界です。

肉体は、時空間を見聞するために用意された五感を備えた宇宙服なのです。

私達は、魂を成長させるために時空間に出てきました。

しかし、あまりにも時空間に慣れ親しんだために、本当にある世界のような錯覚に陥ってしまったのです。

生きる苦しみも、老いる苦しみも、病む苦しみも、死ぬ苦しみも、みな夢(3次元+時間の世界への投影)の中で五感を通して感じる出来事です。

学校で勉強することも、社会に出て働くことも、結婚して子供を設けることも、みな夢(3次元+時間の世界への投影)の中のできごとです。

私達は今、"人間だ、個人だ、肉体だ"と夢を見ている真っ最中というわけです。

七十数億人全員が、夢(3次元+時間の世界への投影)を真実と思い込み、夢(3次元+時間の世界への投影)の虜になっているのです。

もうそろそろ夢から覚めたいものです。

では、どうすれば目覚めることができるのでしょうか?

それは瞑想です。神は時空間から一時避難させる手段として、瞑想を用意されたのです。

①瞑想している時は、時空間から真実の世界へ抜け出していますので、目覚めているのです。

反対に②夢(3次元+時間の世界への投影)の虜になっている時は、幻の世界におりますので、眠っているのです。

すなわち、①瞑想している時は生きており、②夢の虜になっている時は死んでいるのです。 

瞑想して下さい。瞑想している内に、やがて目覚めます。

◆目覚めは(『いのち』の自覚は)、時空間から抜け出した証しなのです

かとうはかる 著「真実はひとつ」より(抜粋、追加)


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