『源氏物語の時代』

http://www.ne.jp/asahi/sorano/miyako/ayane2/Book/HeKa/Murasaki.html 【『源氏物語の時代』  山本淳子著】

副題が「一条天皇と后たちのものがたり」。

 一条天皇といえば、源氏物語の作者紫式部が仕えた中宮彰子の夫、というふうにわたしは思い出します。

この一条天皇の時代は道長が権勢をふるい、天皇の寵愛を受けながらも不遇のうちに亡くなった中宮定子、定子に仕えた清少納言、女狂いの花山天皇、現代ではすっかりスターな安倍清明という、お馴染みの有名人てんこ盛りの時代でもあります。

 最近平安時代に手出し始めましたけど、ほんと知らないことばっかです。戦国手出したときも、イメージとのギャップや通説と史実の差にずいぶん驚きましたが、同時に自分が自国の歴史をよく知らない、ちゃんと知らないことを痛感しました。

うん、どの時代も一回ちゃんとやらなあかんなぁ。教科書だけじゃダメですね。

昔から不思議だったのが、源氏物語で天皇の寵愛を一身に受けた、桐壺の女御が同僚のイジメを受けたせいで、精神的にまいって亡くなったところ。

天皇という最強の後ろ盾があるはずなのに、どうしてイジメなんてできるんだ?そして愛しているくせに、どうして天皇は有効な手を打たなかったんだ?
それがこれ読んだらよく分かりました。
父が亡くなり、兄伊周が長徳の政変で配流(これは完全に伊周の自業自得。この苦労知らずでプライドだけ一人前の坊ちゃんじゃねぇ)、後ろ盾を亡くした定子。とたん、掌を返したように、世間は定子に冷淡になります。屈辱と絶望から、出産のため里帰りしていた定子は発作的に出家してしまいます。

 逆賊の家となり、尼となった定子に、貴族たちは「これはチャンス!」と立て続けに娘を二人、入内させます。その後、道長の娘彰子も入内してきます。

 それでも、一条天皇は定子を愛し続けますが、世間の反応は冷ややかなものでした。生まれた娘を一条天皇会わせようにも、参内のための資金が集まらない。「完全な出家ではなかったから」と苦しい言い訳をして定子を内裏に戻すも、転居への随行を命じたのに参上したのは、たった一人。

 誰も二人の復縁を歓迎しなかったのです。

 天皇の命令を平然と無視する。これは驚きました。定子の受難はまだまだ続き、嫌がらせも受けるようになります。

 皇子も誕生しますが、誰も祝いに参上しません。同日、彰子が初めて一条天皇の訪れを待つ、つまり初夜で披露宴にあたる宴が催され、みんなそっちに行ったのでした。当代天皇の初めての男子誕生、にもかかわらず。

 貴族たちが望んでいるのは、「心から祝える男子誕生」なんですね。しっかりとした実家の後ろ盾があり、貴族社会全体が納得できる血筋の女性に男子を産ませること。天皇に求められる後宮経営とは、つまりみんなを納得させられなければならないんです。

 だから、ただ一人の女性を、しかも身分の低い女性を愛した桐壺帝は非難されたし、凋落した定子を愛し続ける一条天皇がどんなに命令しても、みな冷淡に無視するのです。

 たとえ天皇でもみなの協調を乱す行為は行えないところは、すごく日本的ですよねぇ。そりゃ聖徳太子も和をもって尊となすわな。

 ただ、こんな「純愛」を貫かれたら、入内させられたほかの姫君はたまったもんじゃなかったでしょうね。道長という強力すぎるバックがついている彰子は愛していようがなかろうが、抱かなきゃならないですけど、ほかの姫の所にはほとんど訪れた形跡がない。

 天皇がただ一人を愛する、というのはとても残酷なことでもあるんだなぁ。

 他にも彰子や紫式部、清少納言のことなども色々載っていて、とても面白かったです。


http://maplesyrup.tea-nifty.com/365/2009/01/post-dc87.html 【山本淳子著『源氏物語の時代』】 より

山本淳子著『源氏物語の時代』(一条天皇と后たちのものがたり)

千年前の平安朝

藤原兼家(道綱の母の夫でもある)の長男道隆の系譜と末っ子道長の系譜の権力争い、皇位継承の熾烈な争いと世界が書かれている。

先に道隆の娘の定子が一条の后に、道長も娘の彰子を一条の后にした。

しかし定子の兄弟が失策をおかして、定子は不幸のどん底に突き落とされたが一条はどこまでもこの定子を愛した。出家してしまった定子に子供3人生ませて最後のお産で定子は亡くなる。

その後の后彰子にも男子が2人生まれ、定子の男子は天皇になれず、彰子の男子二人が天皇に。一条は苦悩のうちに亡くなる。

道長は3人の天皇に自分の娘を后として入内させ、外戚として権力をふるい

「この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」

と歌ったのでした。

后・定子に仕えたのが清少納言

后・彰子に仕えたのが紫式部だった。

清少納言は漢文の好きだった定子に気に入られて、定子がどんな境遇に陥ってもずっと付き添っていたようである。

紫式部は清少納言よりずっと漢籍、和歌など教養が高かったので、漢文を知らない彰子に陰ながらずっと講義を続けた。

この二人がともに引きこもって(休職)いた時があったのだ。

清少納言は女房勤めが大好きだったのに、同僚たちのいじめにあったのが原因だったようである。

一方紫式部は勤め始めた時、すでに源氏物語の作者として名が知られていたので、同僚たちから避けられ、無視されてかなり長い間引きこもってしまった。あるきっかけから出仕するようになり彰子から絶大な信頼を得るようになったわけである。

源氏物語と一条朝の世界にいざなってくれる1冊です。

神田小川町の喫茶店ではカウンターに座ると、目の前に300種位あるコーヒーカップの中から自分の好きなのに入れてもらえます。

店名が「古瀬戸」と言うだけあって、花瓶など素晴らしい瀬戸物がたくさん飾ってあって、渋く大人の雰囲気で、お客さんもそのような方たちがくつろいでいました。


https://www.kinokuniya.co.jp/c/20081201131731.html 【山本淳子さんエッセイ「古典との出会い」】 より

古典との出会いは、幼い頃だった。祖母が寝物語に話してくれたのだ。鮮明に覚えているのは『枕草子』の「高炉峯の雪」の段。祖母はまず中宮定子になり切って、上品に「清少納言よ、香炉峯の雪はいかに」と言う。次は清少納言になって「はいっ」と答え、表情も誇らしげに御簾を高々と揚げるポーズをとる。最後は「中国に有名な『香炉峯の雪は御簾をかかげて見る』という詩があったとさ」。子供は同じ話を繰り返し聞くのが好きなもので、ねだって何度も演じてもらった。祖母の声が今でも聞こえてくるようだ。

 高校生の時に『枕草子』を読んで、祖母の台詞やポーズが所々原典と違っていたことを知った。でもそれでこのエピソードの「心」が損なわれたわけではない。教養あふれる定子と清少納言のおしゃれな会話。息の合った二人の関係。私にはそれでよかった。

 その定子が実は悲劇的な人生を生きた人物だったと知ったのは、つぶさには研究を始めてからのことだ。家の没落、本人の出家、夫一条天皇との離別と復縁、そして貴族たちからの批判。二十四歳で若すぎる死に至るまで、彼女の人生は過酷な運命に翻弄され続けた。「香炉峰の雪」は彼女の人生が暗転する前とも、後のことともされる。後者ならば、定子と清少納言はいったいどのような気持ちでこのような掛け合いを演じたのだろうか。

 定子と一条天皇とのひたむきな愛を研究者以外の人にも知ってもらいたいと思って原稿を書き、書くうちに中宮彰子の健気さにも気がついて、出来上がってみたら登場人物百余人、原稿用紙五百枚近くの分量になっていたのが『源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり―』(朝日新聞社)だ。前著でお世話になった和泉書院の社長にお送りしたら、「本から山本さんの声が聞こえてくるような気がした」と言われた。祖母のことが頭に浮かんだ。そうだ、あれこそが「ものがたり」だった。人の「心」を語り伝えるということ。私の「ものがたり」はあそこから始まっていたのだ。

 古典文学は、登場人物であれ作者であれ、そこに人がいるから楽しい。文学だから当然だと思われるかもしれないが、その人とは現代の誰かではない、千年前の人なのだ。紫の上の思いに触れ、一条天皇を慰めたい気持ちになる、こんなタイムトリップが味わえるのは古典文学くらいではないだろうか。

  特に幸福を感じるのは、今自分の抱いている苦しみと同じものを千年前の作品に見つけた時だ。「大丈夫、一緒に悩もう」。そう言われている気がする。あるいは肩を抱く手の温もりを感じるような。自分の悩みは消えることなく目の前にあり続けるのに、痛みはもう静かに和らいでいる。

 今年、源氏物語千年紀。これを機会に、一人でも多くの方に古典作品に触れて頂きたいと思っている。まんがでも現代語訳でも古典エッセイでもいい。まずは出会うことが大切なのだから。古典との素敵な出会いがあなたに訪れることを、心から祈っている。

【山本淳子】