紫式部もマネせずにはいられなかった清少納言の「風景描写」

http://textview.jp/post/culture/16940  【紫式部もマネせずにはいられなかった清少納言の「風景描写」】 より

自然の美しさをエッセイで綴(つづ)る……今ではごく当たり前のことであるが、『枕草子』の作者清少納言以前にそれを行った人はいなかったと日本語学者で埼玉大学名誉教授の山口仲美(やまぐち・なかみ)氏は指摘する。自然の美しさは歌に詠むものであり、散文のテーマになるなどとは誰も思っていなかったのだ。彼女を猛烈にライバル視していた紫式部でさえも模倣したほどであるというすぐれた自然描写を、あの有名な一節を例に山口氏が解説する。

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春(はる)はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山(やま)ぎは、すこしあかりて、紫(むらさき)だちたる雲(くも)のほそくたなびきたる。

(春は夜明け! だんだん白んでゆく山ぎわの空がほんのり明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているのが、すごくステキ。)

そう、一段「春はあけぼの」の冒頭です。

ところで、みなさんは、春の中で最も感動的な場面を一つ挙げてくださいと言われたら、何と答えるでしょうか? 「桜」と答える人が多いのでは? あるいは、「入学式」「卒業式」といった行事を挙げる人もいるかもしれません。このような風物や行事を挙げるのが普通です。でも、そうした風物や行事は、当たり前で新鮮さに欠けます。清少納言は、春は「あけぼの」(夜明け)が一番だと言っているのです。実に斬新。目の付け所がすばらしい。というのは、その季節における最も情趣のある事柄を「時間」という観点から切り取っているからです。

『枕草子』以前の歌集は、「春歌」「夏歌」「秋歌」「冬歌」と季節で分けられ、折々の「桜」「柳」「紅葉」などの風物を中心にその感動を詠んでいます。ところが、『枕草子』以後にできた『後拾遺(ごしゅうい)和歌集』になると、時間から切り取った情緒的な風景が歌に取り上げられています。「花ざかり 春のみ山の あけぼのに 思ひ忘るな 秋の夕暮」(一一〇二番歌)などと、『枕草子』の影響を感じさせる歌も出てきます。清少納言による、時間から自然美を切り取るという視点がいかに新しく、人々に衝撃を与えたかが分かるでしょう。

他にも、雨上がりの後の、すばらしい風景描写があります。「九月(ながつき)ばかり夜一夜(よひとよ)降(ふ)り明(あ)かしつる雨(あめ)の」(一二五段)に出てきます。

すこし日(ひ)たけぬれば、萩(はぎ)などの、いと重(おも)げなるに、露(つゆ)の落(お)つるに、枝(えだ)うち動(うご)きて、人(ひと)も手触(てふ)れぬに、ふと上(かみ)ざまへあがりたるも、いみじうをかし。

これは、一晩中雨が降り続いた翌朝の光景。朝日がさんさんと降り注ぎ、庭の植え込みにかかった露が輝き、今にもはらはらと落ちんばかり。蜘蛛(くも)の巣にも雨の雫(しずく)がかかり、白い玉を貫き通したようになっている。それに続く文です。「少し日が昇ると、雨に濡れた萩などが、露で重そうにしなり、露が落ちるたびに枝が動き、人が触れてもいないのに、いきなり跳ね上がったりするのもすごくステキ」といった意味です。雨あがりの後の美しい風景が、感動的に描写されています。

実は、紫式部は清少納言のまねをして、自身の日記『紫式部日記』の書き出しを風景描写から始めていることが指摘されています。また、『源氏物語』の中にも、『枕草子』のこの部分を下敷きにしているのではないかと思われる箇所があります。『源氏物語』の情景描写を読んでみます。末摘花(すえつむはな)邸の様子を描いたところです。

橘(たちばな)の木(き)の埋(う)もれたる、御随身(みずいじん)召(め)して払(はら)はせたまふ。うらやみ顔(がお)に、松(まつ)の木(き)のおのれ起(お)きかへりて、さとこぼるる雪(ゆき)も、

                 (『源氏物語』「末摘花」)

『源氏物語』では、雨ではなく雪なのですが、雪の重みに耐えかねてしなっていた橘の枝から雪を落としてやると、傍らの松の木がひとりでに跳ね上がってさっと雪を散らす。そんな様子が描かれています。明らかに清少納言の風景描写が下敷きになっていると思えます。

紫式部は、清少納言を猛烈にライバル視しており、『紫式部日記』に清少納言の悪口を書いています。「清少納言は、実に得意顔して偉そうにしていた人です。あれほど利口ぶって漢字などを書き散らしていたけれど、よく見るとたいしたことないわ。彼女のように、人より特別に優れようと思い、そうふるまっている人っていうのは、行く末が悪いにきまっています」と。すごいですね、紫式部の激昂(げきこう)ぶりが。

こんなに悪口を言っているにもかかわらず、紫式部は『源氏物語』や『紫式部日記』に『枕草子』の印象的な風景描写を巧みに取り込んでいる。それほど、『枕草子』の風景描写は優れており、紫式部も認めざるを得なかったと言えます。

■『NHK100分de名著 清少納言 枕草子』2014年10月号より

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