「紫式部」

https://www.yobukoe.jp/335.html 【「紫式部」】  より

午後のこと、長い時間ではありませんでしたが、突然の土砂降り。紫式部の実が、雨に濡れて、いっそう美しく、そして、瑞々(みずみず)しくなりました。

『カラー図説 日本大歳時記 座右版』(講談社)で、「紫式部」を探すと、10~11月ごろ、小さな丸い実が群がって紫色に熟し、美しく、落葉して紫色の実だけになっているのもいっそう美しい。和名は紫色の優美な実を、平安朝の才媛紫式部になぞらえてつけられた。実紫ともいう。 

冷たしや式部の名持つ実のむらさき  長谷川かな女

いややさしむらさきしきぶをりもてば   山口青邨

渡されし紫式部淋しき実         星野立子

教員になったばかりのころ、島根国文学会に、秋山虔東大教授が招かれて、講演をなさったことがありました。源氏物語についてのお話でした。

紫式部はどういう意図で、源氏物語を書いたのか?確か、そういうことがテーマだったように思います。

結論からいうと、平安時代の貴族の女性は、何を生き甲斐に生きていたのか?

作者の紫式部は、そのことをひたすらに、、女の立場で追究したのが、源氏物語なのだと、

そういうお話だったように思います。

男は政治にも参画できるし、学問で名を成すことも可能だったが、当時の女性は、

何を生き甲斐に生きたらよかったのか?

それは「愛」なのではないか?紫の上は、それを確かめるために登場させられた。

彼女と光源氏の結ばれた方、当時にあっても異常なもの。ほとんど略奪に近い。

世間的に認められない結婚。二人の間に子どもは無い。

二人を結ぶものは、お互いの愛しか無いという設定にすることで、紫式部は、テーマをしぼっていきます。

ところが、源氏が心を向ける女は、紫の上のみでは無い。

そういう物語の展開の中で、女の生き甲斐は、愛とするのには、いささか覚束ない。ということを読者に悟らせます。

愛でなければ何だろう?

それが、源氏物語の最終の宇治十帖。ここでの女性のモデルは、紫の上ではなく、浮舟という女性。

彼女は、匂宮と薫の双方から愛され、いずれとも心を決めかねて、身投げをしたところを、横川の僧都に助けられて、仏門に入る。

その後は、現世の誰が訪ねて来ようとも、かたくなに会おうとしない。

おおまかにいうと、そのような筋です。

この結末を通して、紫式部は、自分も含めて、当時の女性の生き甲斐は、「信仰なのかな?」という、やや曖昧なままで筆を置いている。

秋山教授の講演の骨子は、そのようなものであったと記憶しています。

そこでです。

来し方を振り返って、私自身の生き甲斐は、果たして何だったのだろうと、そう考えたとき、「さて・・・」とか、「果たして・・・」とか言う語ばかりが、浮かぶだけで、これといった確たるものが、思い浮かびません。

百歩譲って、過去は過去。過ぎ去ったことはさておき。これからの人生、何を生き甲斐に生きていこうとしているのか?そう自問自答して、これまた、それはこうだと声を大にして言えるものがありません。

我が家の庭で、唯一色鮮やかな紫式部を目の前にして、何とも頼りない話です。

さしたる生き甲斐もなく、人間というものは生きていける。

なんとまあ驚くほど鈍感なのか?

それとも、鷹揚なのか、剛胆なのか、はたまた、愚かしい存在なのか?


内容(「BOOK」データベースより)

日本で最も古く、最も有名な恋愛長編小説、『源氏物語』。30歳を過ぎて原文で読み始めた著者は、ある時、思う。「これは、作者である紫式部が、秘めた『欲望』を吐き出すために書いた物語なのでは」と。「秘密をばらしたい」「ブスを笑いたい」「専業主婦になりたい」などなど、20の「欲望」から読み解く、まったく新しい『源氏物語』解説書。古典がぐっと身近になる、笑いとうなずきに満ちたエッセイ集。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

酒井/順子

1966年、東京都生まれ。高校在学中に雑誌にコラムを発表しデビュー。立教大学社会学部卒業後、広告会社での勤務を経て、エッセイ執筆に専念。2004年『負け犬の遠吠え』で、第20回講談社エッセイ賞、第4回婦人公論文芸賞をダブル受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

Top reviews from Japan 抜粋

男性中心社会の闇っぷりにうんざりしていたころに読みました。あさきゆめみし、というマンガや、河合隼雄の紫マンダラ、という本をひきあいに思い出しつつ読みましたが、深い読み、とかは、かえってないところが酒井さんの持ち味だと思います。物語にでてくる女性の気持ちをあくまでそのまま現代の私たちになぞらえるかんじの本でした。

娘が母より不幸になることがない、という考察のところではややぐっときましたね。紫式部の筆致の辛らつっぷりにはおののきながらも、おこがましくも自分のありようと比べても本当に深い人間性を感じさせる女性で、だからこういう物語を書き上げることができたのだなと思わされたのは酒井さんのおかげ。自分のなかの「紫式部」性や、対比としての「清少納言」性についても、考え直すきっかけになりました。

ただし、先に出したふたつを読んでいなかったら、酒井さんの話も私(偏屈なので・・・)にはろくに入ってこなかったかもしれないです。矛盾するようなことを言いますが、古典への入門としていいかもしれない。


紫式部が何を求めて、ストーリーをつくったか・・という視点から書かれています。

読み解くというより、紫式部への共感を語る内容です。

人間関係や、巻ごとの簡単なあらすじ紹介など、読み込んでいる人には物足りないかもしれませんが

ビギナーなら古典への垣根を飛び越える手助けをしてくれることは間違いないでしょう。おすすめします。


作家が作品の中にかなわぬ願望をこめることは、ままあることです。酒井氏はこの著作の中で、式部が源氏物語を完成させるに至ったつよいモチベーションを20項目の「欲望」であった、と喝破しています。

私がああ、さすが慧眼でいらっしゃる、まさに正鵠を射ておられる、と思ったのは以下の2項目です。

「モテ男を不幸にしたい」

式部が当代の最高権力者・藤原道長の愛人であった、という説があります。けれど長くは続かず、寵愛を受けたというには程遠かった。遊ばれ、無視され、忘れられ、捨てられてしまった女人の苦しみ、哀しみ、恨み。

酒井語によれば道長は「ちょっとした珍味食い感覚」にすぎなかったのです。

(ちなみになびかない女など1人もいない道長が光源氏のモデル、とも言われています。)

ところが栄華を極めた光源氏に暗い晩年が訪れる。あろうことか、自分の正妻を年若い、格下の柏木に寝取られ、

孕まされてしまう。最愛の紫の上にも先立たれる・・など、不幸はとどまらない。

酒井語では「ざまあみやがれ」「式部は全てを手に入れた男に対して復讐してくれている」・・まさにそのとおり!

「娘に幸せになってほしい」

平安時代、身分の高い貴族女性であっても自分を庇護してくれる後ろ盾(親や夫など)を失うととたんに極端に

落ちぶれてゆく。自分は不安定で落ち着かない人生だから、せめて娘には幸せになってほしい、という母親の切ない願い(欲望)がこめられている、という酒井氏の指摘。

地方出身で身分の低い明石の上の娘は帝の后に大出世。はかなく突然死した夕顔の娘も幸せな結婚生活を送った、など、と。ああ、なるほどね。

全体をおふざけ調の酒井語で彩り、コミックにしてしまえるほど、酒井氏が源氏物語を深く理解していることに

今更ながら感心した。もちろん紫式部日記、枕草子も完璧に読み込んでおられる。

源氏の大家・瀬戸内寂聴氏や安倍総理夫人と対談したり。

酒井順子氏はハンパない才女なのですね。