http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlko/200704040.htm 【和して同ぜず】 より
人と争わず仲よくするけれども、自分の意見というものをしっかりもっていて、いたずらに妥協したり調子を合わせたりしないこと。 出典「論語 子路篇」
人の意見に引きずられたり、安易に妥協しない。協調することは大切だが道理に合わないと思うことには同調してはならないということ。とてもあたりまえのことですが、難しいことでもあります。出典の論語では、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。」と君子と小人を対比する形で説明しています。
「和して同ぜず」というこの言葉を聞くと思い出すのは、中国南宋の時代の大学者、朱子(朱熹)と陸象山(陸九淵)の話。
どちらも南宋時代を代表する儒学者です。二人の大学者が同時代に生きていて、直接その学説をぶつけ合うという、希有な関係に有りました。二人の学説は異なり、その点ではたびたび衝突しています。中国思想史上有名な「鵞湖の会」での三日間の直接の論争でも、結局物別れに終わってしまいました。
このように学問の上の意見では相容れない二人でしたが、ただ相手に対してはお互い深く尊敬しあっていたようです。弟子達が他方を批判するようなことがあると、朱子も陸象山も学説の違いは有るが、かの人ほど真剣に学問に打ち込んでいる人を私は知らない。学問の浅い君たちが、軽々しく批判出来るような人ではない。と両者それぞれが弟子を戒めたと伝わっています。二人がお互いに深く尊敬し有っていたことは、朱子が弟子教育のために開いた塾、白鹿洞書院の落成記念の講演を陸象山に依頼したことや、若くして亡くなった(39歳)陸象山の墓碑銘を朱子が書いていることなどからもうかがうことが出来ます。
ちなみに、白鹿洞書院で陸象山が論語の一節「君子は義に諭り、小人は利に諭る」を題材として語った講演は、この内容に感銘を受けた朱子が願って石碑に刻ませています。
朱子と陸象山の関係は「君子は和して同ぜず」という例そのもののように思えます。
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