おたりや祭

https://fudousan.tech/entertainment/960/  【おたりや?冬渡祭?春渡祭?宇都宮二荒山神社の夜祭り「おたりや祭」を見に行った!】 より

二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)は西暦343年頃から宇都宮中心部にある神社です。

というか、宇都宮は二荒山神社があったからこそ、門前町として発展することができました。

「二荒山神社」は別名「宇津宮大明神」といい、「宇都宮市」の名前の由来と言われています。

二荒山神社は第10代天皇の崇神天王(すいじんてんのう)の皇子、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が祀られています。

豊城入彦命(とよきいりひこよみこと)は天皇の命で東国を鎮め、いまの栃木県・群馬県の基礎を作りました。

要は、豊城入彦命が蝦夷の土地だった北関東を武力で征服していったわけですね。

そのような由来から、武力の神様として、源頼朝や徳川家康などの武将が二荒山神社へ戦勝祈願に訪れています。

中学校古文の教科書にある「平家物語」でも、那須与一(なすのよいち)が扇に矢を打つ際「宇都宮大明神(二荒山神社)」に祈っていましたね。

二荒山神社は宇都宮の中心部、旧パルコや表参道スクエア、シティータワー宇都宮に囲まれた「明神山(みょうじんやま)」の山頂にあります。

また、二荒山神社から大通りを渡ってパルコ宇都宮に寄り添うように「下之宮(しものみや)」があります。

二荒山神社の創建時には、「下之宮」に御神体(神さまが祀られている所)がありましたが、西暦838年に現在の明神山に引越をしました。

おたりや祭は毎年年末の12月15日と年始1月15日に行われる二荒山神社の夜祭りです。

12月に行われるおたりや祭は「冬渡祭」、1月は「春渡祭」と書きます。

おたりや祭は、二荒山神社が下之宮から現在の場所に引越ししたことが始まりだと言われています。

引越しは12月15日と1月15日の2回に分けて行われましたまた、神社の引越しは夜に行われます。

夜通し行われていたことから「渡り夜」と呼ばれ、それが転じて「おたりや」となりました。

忘年会シーズンの12月15日「冬渡祭」に行ってきました。夜の二荒山神社は幽玄な雰囲気。

祭り気分を盛り上げる露店も出ています。境内東側ではお焚き上げが行われています。

年末の「冬渡祭」ではその年のお札やダルマを、年始の「春渡祭」では正月飾りを炊き上げます。

お炊き上げの煙にあたるとご利益があるとか。

夕方になると市内をお神輿が渡り始めます。

お神輿と門がぶつからないように気をつけて…二荒山神社を出発し、下之宮で田楽舞が奉納された後、大通りからオリオン通りを渡ります。

「冬渡祭」と「春渡祭」ではルートが逆になるそうです。

「冬渡祭」が終わると年の瀬を感じます。今年も一年、お疲れ様でした。


https://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/citypromotion/kanko/event/1007231.html

【春渡祭(おたりやさい)(とちぎのまつり100選)】より抜粋

12月15日と1月15日の年2回行なわれる二荒山神社の神事で、12月は「冬渡祭」、1月は「春渡祭」と書き、どちらも「おたりやさい」と呼んでいる。1月は古いお札やダルマなどの縁起物を焼く行事が行われ、正月の終わりを感じさせる祭です。

 「春渡祭(おたりやさい)」は、宇都宮市民に正月の終わりを告げる二荒山(ふたあらやま)神社の夜祭として知られ、夕刻より行われる神事では宇都宮市指定文化財の田楽舞が奉納され、神輿の渡御があります。

 二荒山神社のご祭神を下(しも)の宮(みや)がある荒尾崎から現在の臼が峰に遷座したことが祭礼の始まりとも伝えられ、一般に神社の遷座の儀式は夜に行われるものであり、二荒山神社でも夜に行われたことから、これを「渡り夜」と呼ぶようになり、後にこれが訛り、「おたりやさい」と呼ばれるようになったと伝えられています。12月を「冬渡祭」、1月を「春渡祭」と書き、どちらも「おたりやさい」と呼んでいます。

 当日は、二荒山神社の社殿東側に設けられた焚き上げ所では「お焚き上げ」が行われ、正月飾りを焚き上げ、市民に正月の終わりを感じさせる祭りになっています。この煙にあたると、家内安全や無病息災、火災防止などのご利益があると伝えられ、多くの人々が参拝に訪れます。

 詳しくは、お問い合わせ先の宇都宮二荒山神社へお問い合わせください。

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