Facebook・竹元 久了さん投稿記事
🌑人間は生き通し。死というゴールテープの先を目指して生きましょう。矢作直樹 氏インタビュー【第1回】
生きとし生けるものすべてに平等に訪れるもの──それは誕生と死です。
特に死に対して人類は恐れや拒絶を抱きながら歴史をつむいできました。
時の権力者は必ずといっていいほど不死を求め、医療技術は微生物や不治の病に対抗し続けています。
そんな中、矢作直樹氏は話題の著書『人は死なない-ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索』を執筆。
当時は最新の医療現場に身を置いていた矢作先生が日本人古来の霊性の感覚で生と死の本来の在り方を見つめた著書は、現代における死生観に一石を投じました。
人生100年時代の今だからこそ問い直したい「人はいかに生きて、いかに死んでいくのか」を矢作先生に伺ってきました。
──2011年に矢作先生は著書『人は死なない』を執筆されました。
東京大学附属病院で救急医療と集中治療、ふたつの部署の部長を勤めていらっしゃった頃ですね。
現役の医師が描く本からすると異色の一冊に思えます。
🔵日本人が書くものとしては、私はあの本で珍しいことは何ひとつ書いていないんですよ。
古来の日本では人の死後、肉体から離れた魂が“あちらの世界”で生き続けると考えられていました。
日本人の死生観は本来はそういうものでしたからね。
ところが西欧由来の科学主義信仰が日本に浸透し、社会は縦割化し、細分化したものに変わってきました。
医療も例外ではありません。「右目の調子が悪い? それでは右目科を受診してください」というジョークが飛ぶような状況です。
♦「病人を相手にせず、病気を相手にするのが医者だ」と揶揄されてしまっています。
本来は病人を相手に、病気を相手にしないのが
本来の医療
つまり、病気を診るな、病人を診よです❗
自分が日本人であるということを忘れ、職人になってしまった結果でしょう。
私たちはいかなる職業も関係なく、そもそも“日本人”であるはずなのに。
皆さんが忘れがちなことを、私は著書『人は死なない』で書いたまでです。
それが異色と受け止められるとすれば、日本の在りようが変わってしまったということでしょう。
Facebook・内海 聡さん投稿記事 生と死
私たちはいつ死ぬかわからない生物です。
なんかのマンガで言っていました。
運があれば毒を盛られても生き延びる。
運が悪ければ瓦が降ってきても人は死ぬ。
そんなものだと。
医者という職業をやっている以上、健康と死というものは常に付きまとう存在であり、死を考えるのであれば生をこそ考え、逆もしかりで考えなければ、死の意味さえも見えては来ません。
私も明日死ぬかもしれません。
確かに自殺することはないでしょうが、こけて死ぬかもしれません。
心筋梗塞になるかもしれません。
脳出血になるかもしれません。
くも膜下出血になるかもしれません。
それが怖くてみな健診とやらを受けるのでしょう。
しかしその健診をやってもこれらを防げていないのが、西洋医学とやらの現実です。
医学は人を助けはしない、という大前提から医学の正体が見えてくるのです。
救急に意味があるのは修理と同じだからであり、だから西洋医学の花形なのです。
私が携わる分野とはいわゆる慢性病であって、癌、膠原病、難病、アレルギー、アトピー、精神病、遺伝病、生活習慣病など、現代人の日常にかかわり死を感じさせるものと感じさせないものが同居しています。
しかしこれらがよくなる時は皆同じです。
本質的にいう死を見つめきって、真の意味で自分に正直になれるかどうかが、これらの病気の改善に最も寄与しているといって過言ではありません。
この場合の死は自殺の脅しとかそんなんとは無関係であり、真の意味で自分にとっての死がなんであるかを見つめるということです。
私が今日死んだらどうなるかを見つめるのです。
それなくしてどうして高い目的が設定され、人生が豊かになることがありうるでしょうか。
私は私が今日仮に死んでも、それでも伝えたいことをすべて家族に伝える気持ちで生きていくのです。
そりゃ、本当は今日死ぬなんて誰だって本心では思っていないでしょう。
でも瓦は落ちてくるかもしれません。
だから毎日を可能なかぎり燃やし尽くして生きるのです。
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