月見のページ

http://seiyukai.main.jp/info-tukimi.html  【月見のページ】より

【月齢(げつれい)】

月は三日月、四日月、五日月というように日々その姿を変えていきます。地球から見ると太陽光の当たる面が明るく見え、太陽光の当たっていない面が陰になります。月は地球の周りを回っているため、太陽-地球-月の角度が日々変化し、形が変わっていくように見えています。

新月(朔:さく)から満月(望:ぼう)を経て次の新月までの周期を朔望月(さくぼうげつ)といい、平均29.530589日です。平均というのは地球に対する月の軌道が真円でないことが主な原因で毎回変化しているからです。

朔は地球から見て太陽と月の黄経が同じになった瞬間で、その日が新月=旧暦の朔日(:ついたち=1日)です。月の動きを基準にした陰暦では毎月1日が新月で、おおむね15日が満月になります。おおむねというのは朔望月の長さが毎月変化しているため、必ずしも一致しないということです。「中秋の名月」も満月から1~2日ずれることが多々あります。月齢は朔の時刻が0.0で、以後毎日+1ずつ増えます。当然、時刻によって小数点以下の数値が変化していきます。ニュースなどで月齢を言う場合は正午の月齢が多いようですが、天体観測暦などでは21時の月齢が記載されていることが多い。

月齢0.0の瞬間を含む日が旧暦の1日ですから、翌日の月齢1.0を含む日は旧暦の2日です。さらに翌日の月齢2.0を含む日が3日で、その日の月が三日月ですから新月から2日前後しかたっておらずかなり細い月になります。実際には四日月~五日月を三日月と呼称しているようです。

月見・月待ち・月祭り】

旧暦8月のことを「月見月」ともいい、逆に雨が多く月が見られない旧暦5月のことを「月見ず月」ともいいます。旧暦の8月15日の月は「中秋の名月」と呼ばれ、「芋名月」とも言われています。約1ヵ月後の旧暦の9月13日の月は「後の月」と呼ばれ、「豆名月」とか「栗名月」とも言われます。秋は日没が早くなり、日没と同時に上がる満月にも目が向きやすくなる季節です。ちょうど農作物の収穫時期に当たり、収穫感謝祭という意味合いで名月には小机に稲の穂に見立てたススキやお神酒とともに三方に載せた月見団子あるいはおはぎと里芋などの収穫物を供える風習があります。日没が早くなると忙しい農作物の収穫時期には月明かりがありがたいという直接の感謝の気持ちも込められているようです。

「中秋の名月」は中国の唐の時代以降盛んに行われたようです。中秋節の影響で始まり、中国ではこの日に月餅を食べていて、現在も満月と家族円満をかけて一族が集まり楽しい時間を過ごす行事になっていて、互いに月餅を贈り合う風習が残っている。日本では平安時代の宮中で初めて月見の宴が開かれたと言われています。その後、貴族 社会では詩歌や管弦の催しがありました。民間でお月見が盛んになったのは江戸 時代で農作物を供えて月に感謝の意を表わしました。 日本で古来から民間で行われた月見は旧暦9月13日に行われる月見で 「十三夜」と呼ばれています。これは芋を代表とする秋の実りに感謝する収穫感謝祭の意味合いを持つものでした。 中秋の名月の浸透とともに「片見月」をするものではないと言われ、「中秋の名月」と「後の月」とも言われるようになった「十三夜」の両方のお月見をするように薦められました。

「月見どろぼう」という風習が各地にあった。月見に供えられたお団子などの供物が盗まれるのは許されるというもの。月見団子の数はその年の月の数と決められている地方もあるが、盗まれることを想定したくさん供える、また屋敷のわざと盗まれやすい場所に置いておく地域もあったようです。「ダンゴツキ」と呼んだ地域もあり、地域の子供達が集落の家々を回り、箸や棒切れを持って団子に突き刺し逃げていくといったもので、盗まれた方はお月様がお食べになってくれたと感謝し喜んだといいます。また、ひな祭りの供物を子供達がもらいに回るように、盗むのではなくどうどうと頂く地域もあったということです。

「仲秋」と「中秋」という言い方がありますが、「仲秋」は旧暦の秋の3ヶ月の中の月をさし旧暦8月ということ。「中秋」は旧暦の秋のちょうど真中の意味で旧暦8月15日のことです。旧暦8月15日の月ということでは「中秋の名月」という表記が厳密には正しい。

【月のウサギ】

月ではウサギが餅をついているとよく聞きます。事実、満月が昇るとき月面の「海」と呼ばれるやや暗い部分の形がウサギが餅をついているような形に想像できます。これにまつわるお話は、インド仏教の釈尊が前世に菩薩として修行していたときの教え・エピソードを集めたジャータカという物語に源流があると考えられています。その話は次のようなものです。

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むかしむかし、ウサギが猿、キツネ、カワウソの三匹の友達と森の中に住んでいました。ウサギは菩薩の生まれ変わりだったので智慧がありました。昼はそれぞれ別々に行動し夜は一緒に集まっていて、その時にウサギは生き方や道徳などの話をよくしていました。

ある満月の日に、ウサギさんは修行としてそれぞれ餌を探して食べる前に自分だけで食べるのではなく、困っている人にそれぞれ分け与えてから食べるようにしようと提案しました。三匹の友達もこれに賛成しました。

そしてお猿さんは木に登りマンゴーを取ってきました。キツネさんは畑仕事の人たちが食べ残した肉などを拾ってきて、カワウソ君は川から魚を捕まえてきました。ウサギさんは食べ物が草なのでわざわざどこかから取ってくる必要はありません。しかし、食べる前に困っている人に食べ物を与えるにも、三匹の持ってきたものは人間も食べるものですが、ウサギさんの食べ物の草が欲しいという人はいないでしょうから言い出したウサギさんはとても困りました。そこで、ウサギさんは「誰かが食べ物をくださいと来たら、この身体ををさしあげます。ウサギの肉は食べたい人が多いでしょうから」と、覚悟を決めて皆に言いました。

それを聞いていた天国(帝釈天)にいる天の王・サッカは驚きました。正直にそのようにするのか皆を試してやろうと、乞食に変装し食べ物を乞いに一匹ずつたずねることにしました。

乞食に変装したサッカがたずねるとお猿さんもキツネさんもカワウソさんも、喜んで自分の餌の一部ではなく全部をさしあげました。最後にウサギさんのところをたずね「何か食べ物を頂戴できませんでしょうか」と頼みました。

ウサギさんは「わかりました。おいしい食べ物をさしあげますから、薪に火をつけてください」といいました。サッカは神通力で目の前にごうごうと燃え立つ火を作りました。ウサギさんはすぐさまその火に飛び込みました。

ところがこの火は熱くなかったのです。「あなたの火は威勢はよいのですが、私の毛一本も燃やせる熱もありません」と、乞食にたずねました。サッカは、「賢者よ、私は乞食ではありません。あなたの修行に対する気持ちがどれだけ正直なものか試すため天から降りてきたのです」と、答えました。

そして、天の王・サッカは「善い行ないをすることがどれほど大事か、後世の人々に伝えてあげます」と言い。

山を絞り液体を出して、それで月にウサギの形を描き遺したというのです。

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満月が昇る時に見た月の向きは左図のようになり、ウサギの形が想像しやすい。ウサギの形に見える暗い模様「海」は溶岩平原で、物語の山を絞った液体=溶岩と想像すると面白い。

【二十六夜待】

花のお江戸の三大月見といえば「中秋の名月」と「後の月」そして「二十六夜待」だったという。「中秋の名月」と「後の月」は満月前後の月であり、誰が見ても明るく神々しく輝き日没から見えるので眺めるには都合がいい月です。しかし、「二十六夜」は深夜の夜半すぎ明け方に昇ってくる細い逆三日月です。この逆三日月の月の出を拝するのが「二十六夜待」です。夜遅い月の出を待つことから、お江戸での「二十六夜待」はお花見気分で飲めや歌えやの騒ぎだったらしい。「中秋の名月」、「後の月」は静かなお月見、「二十六夜待」はにぎやかな月待ち行事だったようです。

「二十六夜待」は全国的に行われていたようです。私の住む山形県酒田市松山地区の竹田地域は最上川沿いの集落です。ここでは最上川の堤防に人々が集まりにぎやかだったといいます。酒田市の中心部では東側の見晴らしがきく新井田川の堤防に集まって見たという。集落ごとに東側の見晴らしのいい場所が集合場所のようになっている。「二十六夜待」では、月が出るときに〈後光〉をさした〈仏様〉が現れ、やがて両脇にポッと《ローソクの炎(燈明)》が燈る。その後に逆三日月が上がる。広辞苑では、月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊の姿をあらわすと言い伝えられ、江戸時代盛んに行われた、とある。

阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主であり、観世音菩薩は世の音を観ると書き人々の声や願い事を見抜く、勢至菩薩は智恵の光明で一切を照らし人々を救う菩薩です。庄内では「二十六夜待」のことを略して「六夜」、「六夜様」とか「ゴリヤクサマ(ご利益様)」という言い方をする。この月の出を拝することで願いがかなうといわれている。

言い伝えは各地で微妙に異なり、言い伝えられていくうちに多少変化したものもあると想われます。二十六夜の月の出は左図のように解釈すると理解しやすいのではないだろうか。

細い月では欠けた部分が薄明るく見える「地球照」という現象を伴う。これは地球で反射した光が月の影の部分を照らしているものです。日本で見る夕空の三日月と明け方の逆三日月である二十六夜月では地球照の明るさに差があり、夕空の三日月のほうが明るい。これは明るいユーラシア大陸で反射した光が月を照らすためで、二十六夜月は太平洋で反射した弱い光で照らされるのが見えるからと考えられます。

二十六夜月は欠けた側から昇ってくる。澄み切った空で実際にこれを見ると、それだけで得体の知れない、月の出とは思えない何か神がかった雰囲気を感じます。それまで月がなく暗闇に慣れた目には後光に包まれたような地球照の中に阿弥陀三尊の姿が見えてきて、同時に月の南北の細い先端が山から出てくると、地球の大気のいたずらでゆらめき黄橙色のローソクの炎のように見える。二十六夜待のクライマックスです。そして細い月本体がみるみるうちに上がって来ます。

阿弥陀三尊に見える部分は「月のウサギ」そのもので、見るときの感覚、想像を変えるだけで見事に三尊になります。一度これが分かると満月の月の出の時もウサギの餅つきの姿よりも阿弥陀三尊の姿の方が連想しやすいぐらいです。