万葉集: 月(つき)を詠んだ歌 ①

https://art-tags.net/manyo/one/m0008.html  【第一巻:0008: 熟田津に船乗りせむと月待てば・・・】 より

原文

熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜

作者

額田王(ぬかたのおおきみ)

よみ

熟田津(にきたつ)に、船(ふな)乗りせむと、月(つき)待てば、潮(しほ)もかなひぬ、今は漕(こ)ぎ出(い)でな

意味

熟田津(にきたつ)で、船を出そうと月を待っていると、いよいよ潮(しお)の流れも良くなってきた。さあ、いまこそ船出するのです。

この歌は九州へ向かう途中、斉明7年(西暦661年)1月、熟田津(にきたつ:今の愛媛県松山市)に滞在し、次の航海のタイミングをはかっていたときの歌です。斉明天皇(さいめいてんのう)の歌とも言われています。

補足

斉明6年(660)、朝鮮半島の百済(くだら)が、新羅(しらぎ)と唐によって侵略され、日本に支援を求めてきました。日本は、この支援要請を受けて軍を出立させました。このとき斉明天皇(さいめいてんのう)、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)、そして額田王(ぬかたのおおきみ)たちもいっしょでした。

この歌の題詞には「明日香川原宮(あすかのかはらのみや)に御宇(あめのしたをさめたまふ)天皇の代 [天豊財重日足姫天皇(あめのとよたからいかしひたらしひめのみこと:皇極天皇のこと)譲位の後、後岡本宮(のちのおかもとのみや)に即位]  額田王(ぬかたのおおきみ)の歌 [未(いま)だ詳(つまび)らかならず]」とあります。

この歌の左注には「右、山上憶良大夫(やまのうへのおくらまえつきみ)の類聚歌林(るいじゅうかりん)に曰(いは)く 『飛鳥岡本宮(あすかおかもとのみや)に御宇(あめのしたをさめたまふ)天皇の元年己丑(きちう)九年丁酉(ていいう)十二月己巳(きし)朔(さく:ついたち)壬午(じんご)、天皇大后伊豫湯宮(いよのゆのみや)に幸(いでま)す 後岡本宮(のちのおかもとのみや)馭宇(あめのしたおさめたまふ)天皇七年辛酉(じんいん)春正月丁酉朔壬寅(じんいん)御船、西に征(ゆ)き 始めて海路に就く 庚戌(かうしゅつ) 御船、伊豫(いよ)の熟田津(にきたつ)の石湯(いわゆ)の行宮(かりみや)に泊(は)つ 天皇昔日の猶(なほ)し存(のこ)れる物を御覧になり、 その時忽(たちまち)に感愛(めで)の情を起こされた このゆえに歌をおつくりになり哀傷(かなし)びたまふ』 即と此の歌は天皇が御つくりになったものです 但し、額田王の歌は別に四首有り」とあります。

https://art-tags.net/manyo/one/m0015.html  【第一巻 : 海神の豊旗雲に入日さし】より

原文: 渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比紗之 今夜乃月夜 清明己曽

作者: 中大兄(なかのおおえ)

よみ: 海神(わたつみ)の、豊旗雲(とよはたくも)に、入日(いりひ)さし、今夜(こよひ)の、月夜(つくよ)、さやけくありこそ

意味: 海原の豊旗雲(とよはたくも)に、入日がさしています。今夜の、月はさやかであってほしい。

豊旗雲(とよはたくも)がどんな雲(くも)かははっきりしていません。

中大兄(なかのおおえ)の三山の歌の反歌として掲載されていますが、注に、「この歌は反歌らしくないけれど、旧本には反歌として載せているので、このままにしておく。」という趣旨のことが書かれています。

中大兄(なかのおおえ)の三山の歌の反歌として掲載されている歌は、

0014: 香具山と耳成山と闘ひし時立ちて見に来し印南国原(いなみくにはら)

0015: 海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけくありこそ(このページの歌ですね)

の二つです。

0015の歌は、0014の印南国原(いなみくにはら: 兵庫県加古川市~明石市)を受けて印南国原から見える夕日を詠んでいるのかもしれませんね。


https://art-tags.net/manyo/two/m0161.html【第二巻 : 北山にたなびく雲の青雲の】 より

原文: 向南山 陳雲之 青雲之 星離去 月矣離而

作者: 持統天皇(じとうてんのう)

よみ: 北山に、たなびく雲の、青雲の、星離(さか)り行き、月を離れて

意味: 北山にたなびいている青雲が、遠くへ離れていってしまいます。星たちから離れて、月からも離れて遠くに。。。。。

この歌は、天武天皇てんむてんのうが亡くなったのを悲しんで詠んだ歌です。意味は、はっきりとはわかっていません。天武天皇を雲にたとえて、月や星にたとえた持統天皇(じとうてんのう)や皇子たちから離れていったように詠んだ歌と考えられています。


https://art-tags.net/manyo/two/m0169.html  【第二巻0169: あかねさす日は照らせれど・・・】より

原文

茜刺 日者雖照者 烏玉之 夜渡月之 隠良久惜毛

作者

柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)

よみ

あかねさす、日は照らせれど、ぬばたまの、夜(よ)渡る月(つき)の、隠(かく)らく惜しも

意味

日は照らしているけれど、(皇子が)夜空を渡る月(つき)のようにお隠れになったことが惜しいことです。

あかねさすは日などを導く、ぬばたまのは夜などを導く枕詞です。

補足

この歌を含む0167番歌の題詞には、「日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと:草壁皇子のこと)の殯宮(あらきのみや)の時柿本朝臣人麻呂が作る歌一首[ならびに短歌] 反歌二首」とあります。この歌は、その反歌二首のうちのひとつです。

また、この歌の左注には、「或る本には、この歌を後皇子尊(のちのみこのみこと:高市皇子のこと)が殯宮(あらきのみや)の時の反歌としている」とあります。


https://art-tags.net/manyo/two/m0211.html  【第二巻 : 去年見てし秋の月夜は照らせれど】より

原文: 去年見而之 秋乃月夜者 雖照 相見之妹者 弥年放

作者: 柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)

よみ: 去年見てし、秋の月夜は照らせれど、相見し妹(いも)は、いや年離(さか)る

意味: 去年の秋に見た月は、今も明るく照らしているけれど、この月を一緒に見た私の妻は、離れて遠くへ逝ってしまった。

柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)の奥様が亡くなったのを悲しんで詠んだ歌の一つです。この歌の直前は、長歌となっています。

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