日本の美意識 月

https://pixy10.org/archives/40585646.html  【月は東に日は西に/蕪村・月の俳句集】

月は東に日は西に。

井上陽水の歌にそんな歌詞があった気がするが、これは江戸時代の俳人、与謝蕪村(1716~84)の菜の花や月は東に日は西にという絵画的な俳句の1つだ。

ふと気がつけば、蕪村の月は、自らの想いを月に投影する和歌の月とは違い、目の前の情景を匠に切り取ったものが多い。

月天心貧しき町を通りけり静まり返った深夜の町に月の光のみが降り注ぐ。都会に住んでいたらこの美しさは分からないね。

貧しき町が銀座通りだったら月光より電飾だから。

花火せよ淀の御茶屋の夕月夜

静寂な茶室での月見に花火を掛け合わせる。花火大会は満月に合わせて開催すると風流かも。

寒月や門なき寺の天高し

月から寺に目を移し、もう一度天へ昇っていく。まるでテレビ中継を見ているかのようだ。

もちろん蕪村の俳句は写実だけではない。最後に「引き算の美学」が現れた句をひとつ。

欠け欠けて月もなくなる夜寒哉

徐々に月が欠けていき、とうとう今日は新月の夜。そして心に染みる寒さだけが残った。

https://pixy10.org/archives/30679972.html  【澄んだ水に月が宿るように…/一休宗純の名言】  より

アニメの一休さんは架空の存在。 禅僧・一休宗純は型破りな人物で自ら「狂」を名乗った。 「悪」と称された歴史上の人物に近いかもしれない。 そんな一休の遺した名言をいくつか。 

「今日ほめて明日わるく言う人の口。泣くも笑うも嘘の世の中。」

良いことも悪いことも無常迅速に流れゆくもの。しなやかな水のように生きることが大切ということだ。そして仏もまた、水のような存在。

「彼の一仏は、水の器物に従うがごとし。陰陽寒熱の因によりて、種々変ずるがごとし。」

釈迦が「仏とは虚空であり、水中の月である」と述べて以来、仏教では月に仏や真理を見る、という言葉が多く残される。

一休もこんな言葉を遺している。

「大空の月、もろもろの水に宿りたまうといえども、濁れる水には宿りたまわず、澄める水のみ宿りたまうがごとし。」

澄んだ水に美しい月が浮かぶように、澄んだ心の中に仏が宿る。

もちろん生きていく上で清濁併せのむ心の広さも必要だが、できうるかぎり清く生きていきたいものだ。

「我はこれ何者ぞ、何者ぞと、頭頂より尻まで探るべし。探るとも探られぬところは我なり。」

探っても探れないところに、「私」というものがある。意識は幻想にすぎず、内側に「私」を見つけることはできない。

この世のすべては関係性のなかで記述されていく。

「世の中の生死の道に連れはなし。ただ寂しくも独死独来。」

一遍の「生ぜしもひとりなり、死するも独なり。」と同じだ。

でも人が本質的に孤独だから、幸せはあなたと私の「間」にあるのだろう。.

https://pixy10.org/archives/1521887.html  【足利義政、月へ逃避した美学の英雄】より

京都東山の慈照寺(銀閣寺)を造営した室町幕府8代将軍、足利義政。義政を中心に展開した東山文化は、日本文化史において最も重要。

でも、義政を学びたくても、書かれた本はとても少ない悲しさ。。。応仁の乱を招いた権力者としての無能さから、嫌われているのだろうか。

ドナルド・キーンは著作「足利義政と銀閣寺」の結びでこう語る。

「日本史上、義政以上に日本の美意識の形成に大きな影響を与えた人物はいないとまで結論づけたい誘惑に駆られる。・・・史上最悪の将軍は、すべての日本人に永遠の遺産を残した唯一最高の将軍だった。」

たとえば義政が造った、慈照寺東求堂の一室「同仁斎」は、その四畳半のたたずまいから、茶室の原型となったことはもちろん、近代の和風住宅のモデルになったといっても過言ではない。

個人的には銀閣寺の東山、って場所が好き。古代中国では北極星が天帝とされ、北の方角が権力の象徴。

平城京や平安京では、北側に天皇の御所が造られて、義満は北山に金閣寺を建立し、家康の祀られた日光東照宮は江戸の真北。京都の東…、権力をふるうことを放棄した義政らしい立ち位置だ。

そして月を愛した義政は、こんな和歌を残している。

 くやしくぞ 過ぎしうき世を 今日ぞ思ふ 心くまなき 月をながめて

 板間もる 月こそ夜の 主なれ 荒れにしままの 露のふるさと

自らの無力感を胸に、月の出を追いかけて東に向かったのだろうか。そうそう、銀閣寺は月見のための館とも言われている。義政の月への逃避が、日本文化の花を開かせることになったのだ。。。

京都東山の慈照寺(銀閣寺)を造営した室町幕府8代将軍、足利義政。 義政を中心に展開した東山文化は、日本文化史において最も重要。 でも、義政を学びたくても、書かれた本はとても少ない悲しさ。。。 応...

https://pixy10.org/archives/21587452.html  【西行「山家集」の月恋歌より10首】

経済系の学問が過去の数字を説明しているだけと悟って以来、日本を読み解く方法を歴史の中に探し求め続ける日々。

今年の春、日本人が桜へ込めた想いを追っていくなかで、日本の文化・精神史における転換点にいた西行と出会った。西行の和歌といえば「桜」だけではない。

ふと空を見上げれば次第に丸みをおびてきた「月」。今宵は西行「山家集」の月恋歌から10首を選んでみた。

※山家集の月恋歌…恋の章に月の歌が37首並ぶ澄んだ月に照らされた私の想い、あの人へ届け!そんな願いを込めて詠んだ歌。

【ともすれば 月すむ空に あくがるる 心の果てを 知るよしもがな】

そして恋が成就した後は、

【おもかげの 忘らるまじき 別れかな 名残りを人の 月にとどめて】

【思ひ出づる ことはいつとも いひながら 月にはたへぬ 心なりけり】

恋しい人のことを思い出すのはいつものこと。でも別れ際の面影を月にとどめてきたからかな、月を見るとあなたへの想いが一層、募ってしまうね。そして募る想いは…

【恋しさや 思ひよわると ながむれば いとど心を くだく月影】

【よもすがら 月を見顔に もてなして心の闇に まよふ頃かな】

恋しい想いをまぎらわそうと月を眺めても、一層心は乱れる。夜通し月をめでるふりをして、心の底では恋に悩む日々だよ。

なぜ太陽ではなく月なのか?

アポロンからアマテラスまで、神話では太陽が絶対的な存在。でも恋に関しては月でなければダメなのだ。私たちは自分自身さえも正しく理解できない生き物だ。だから他者の瞳の奥にある自己像に意味を見出そうとする。そして最も重要なのが、愛する人が投げ返してくれる自己像。だから恋は太陽によって照らされる月的な感情と言える。月を仰いでは叶わぬ恋を嘆く…

【あはれとも 見る人あらば 思ひなん 月のおもてに やどる心は】

我が想いを宿した月を見た人は、あわれと感じることだろう。和歌に詠われた恋は、叶わなかった恋が多い。西行の和歌も同様で百人一首に撰ばれた歌も、

【なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな】

月の美しさが心に刺さり、止まらない涙。それはこれ以上、叶わぬ恋に嘆かぬように流れる涙。

【世々ふとも 忘れがたみの 思ひ出は たもとに月の 宿るばかりか】

何度生まれ変わっても忘れることのない思い出は、叶わぬ恋ゆえに涙に濡れた袂に宿る月だけ。。。そして再び月を眺める。

【ながむるに なぐさむことは なけれども月を友にて あかす頃かな】

月を眺めていても恋心がなぐさめられるわけではない。さりとて他に慰めてくれるものもなく、月を眺めて夜を明かすこの頃だよ。念願叶って手にしたものより、叶わなかった願いの方が輝いて見える。流れ星や花火のように、一瞬光り輝いて、消えていった思い出の数々。

また同じような瞬間に出会いたい。そんな想いが明日を生きる力となる。心のよりどころは、美化された思い出の中に眠っているのかもしれない。だからこそ、叶わぬ恋の歌が時を超えて読まれ続けるのだと思う。最後にもう一首。

【君にいかで 月にあらそふ ほどばかりめぐり逢ひつつ 影を並べん】

毎晩出会う空の月と競うほど、恋しいあなたとめぐり逢い、肩を並べていたい。

こうした歌が詠まれる国だから、夏目漱石が”I love you.“をこう訳すことができるのだろう。

「あなたといると、月がきれいですね。」


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