https://ameblo.jp/hibarasan/entry-10952412005.html 【謎の旧跡-宇都宮の七水を探して(4)亀井の水】 より
宇都宮に江戸時代から伝わるという「七水」「亀井の水」「明神の井」「天女水」「滝の井」ときて、のこる七水はあと3つ!
あと3つ!というところなのですが、(序)の時にも触れた七水を探すきっかけとなった
「亀井の水」を、まだ詳しく説明しておりませんでしたので、今回は改めて「亀井の水」の紹介です。(;^_^A
宇商通りを大通り、平成通りへと通過し、そのまままっすぐ不動前方面へといく途中の下河原の交差点にポツンとあるのが「亀井の水」です。
冬場はもっと分かりやすいと思いますが、今の時期は草木がうっそうとしていて、通り過ぎてしまうかも・・。
亀井の水の後ろには、小さい神社のようなものもあるのですが、ここの名前は分かりませんでした。
道を挟んだ反対側には常念寺というお寺があります。
さて、この亀井の水。
案内板やら石碑やら、七水の中でも一番建っています。
多くの人々に親しまれてきました。と書いてあるし、一番親しまれていた七水の一つなんでしょうね、たぶん。
ひばらさんの栃木探訪-ひばらさんの栃木探訪 亀井の水 案内板も、まさかの英語版まであり!「スプリング オブ カメイ」ですよ。
なんでも、この池にはこんな言い伝えがあるとか・・
(塙静夫著「うつのみやの歴史再発見」より)
むかーしむかし・・・平氏滅亡後、源頼朝と不和になった義経は、従者弁慶らともに、陸奥の国・平泉(←最近、世界遺産になった)の藤原秀衡を頼って、落ちていったそうな。
すると、義経の側室(妾)だった静御前は、義経のあとを慕って、従者亀井六郎・駿河次郎に護られて、追っかけていたそうな。
宇都宮のこの地にさしかかったとき、静御前は長旅の疲れによって喉が渇いたので、従者に水を求めると、亀井六郎は神仏に祈り、持っていたヤリで地面を深く突き刺したところ、不思議にもそこから良質の清水が湧き出したので、これを飲んで喉の渇きを癒やし、義経のもとへ向かいましたとさ。
以来、いかなる日照りにも清水は涸れることなく、付近の田んぼを潤したので、亀井六郎の苗字をとって、「亀井の水」を呼ぶようになりましたとさ。
めでたしめでたし。いやいやいや・・・・・
まあまあ、これは伝説でありまして、本当の由来は、宇都宮城が亀型の形状をしていることから、別名“亀ヶ丘城”と呼ばれており、この辺りは、ちょうど亀の尻尾の部分にあたるので、「亀井の水」と名付けられたという方が正しいみたいです。(^^ゞ
だってね~、もし静御前が来てたら、
この名所、もっと人気出てると思うわーー(ノ・∀・`;) (←そっちかよ)
本を読むと、この亀井の水の前を通っている道は、鎌倉街道(旧奥州街道)という道だったらしく、鎌倉に通じている道だったんですね。
なので、そういう伝説がその当時できたのかもしれないですね。
まあ、何はなくとも なんといっても、池に親子ガメ。
これがあるだけでも良しとしようじゃありませんか。
池はなかなか澄んでいて、よく見ると金魚やメダカも泳いでいます。
このカメ・・・よく見ると、英厳寺の墓石にいたあのカメと似てなくもない・・カメ
(参照:第384回 かくれ桜公園と城主の亀お墓 の巻 )
お水も岩からポタポタとしたたっているし、立派な清水が現在も出ているんじゃないか~!(´∀`)と思っていたのですが、後日文献を調べていて愕然!(´Д`;)
今では水路がふさがれ、水がかれたため、石造りの亀が置かれ、水道の水を流している。
とな・・・( ̄ー ̄;ということで、後日確認に行ってみると・・・
ガビーン
・・・ま、まあこれは心の奥底に閉まっておこう。(ノ´▽`)ノ
○亀井の水
栃木県宇都宮市下河原町(常念寺前)
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