采微庵・万葉集の蓮の歌

http://www.agape.jp/nengemisyou/kokoro.html  【采微庵・万葉集の蓮の歌】

蓮の花には仏が降りるという伝説があります。 「蓮は泥の中からでも、綺麗な花を咲かせることができる」のだから、 人間も、世俗のドロドロとした中からでも、美しい花を咲かせることができるという考えがあります。 一方、「蓮はあの泥でさえも、栄養としてしまう」という考えもあります。 私は、前者でありたいと思います。

誰にも染まりたくなくなければ、私は「黒」になればいい。 でも、それは防御であり、周囲(歌)への拒絶だと思います。 やはり、私は私の色のままでいたい。

大乗仏教経典『妙法蓮華経』の従地涌出品第十五に「不染世間法 如蓮華在水」とあります。

1951年、千葉県剣見川の地層(約2000年前)から発掘された蓮の種を、大賀一郎氏が発芽させました。この蓮を古代蓮、大賀蓮というそうです。 種って不思議な力を持っていますね。四季という時間を越えて花を咲かせるかと思えば、時代を超えて花を咲かせてみせてくれます。 万葉集の歌も、千余年前の人が作った歌なのに、、、、

現存する万葉集に残る蓮の歌は4首、その内一首は長歌です。どの歌も信仰に関するものではなく、ほんとうに万葉集らしい素朴な歌ばかりです。

蓮葉の濁りに染まぬ心もてなにかは露を玉とあざむく

はちすばのにごりにしまぬこころもてなにかはつゆをたまとあざむく

遍昭 古今和歌集 夏・165

【意訳】

蓮の葉は、周りの泥水の濁りに染まらない清らかな心を持っているのに、どうしてその上に置く露を玉と見せかけてだますのか。

上の句は、『法華経』従地涌出品の「世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し」によります。 蓮の葉の露を玉に見立てるの事はありふれていますが、 清浄な心を持つはずの蓮がなぜ人をだますのかという矛盾をとらえているところに、私に「ハツ」とさせるものがあります。

風吹けば蓮の浮き葉に玉越えて涼しくなりぬひぐらしの声

かぜふけばはすのうきはにたまこえてすずしくなりぬひぐらしのこゑ

源俊頼 金葉和歌集 哀傷・154

【意訳】

風が吹くと、水面に浮かぶ蓮の葉に波しぶきの水滴が越えて散り、涼しくなったことだ。折からのひぐらしの声も涼しさを誘う。

「水風暮涼」という題の歌。

風が池の上を吹く夏の夕暮れの涼しさと、蓮の葉に置く水滴を動的にとらえていて、清涼感のある歌だとおもいませんか

万葉集から

み佩かしを 剣の池の 蓮葉に 溜まれる水の ゆくへなみ 我がする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寐ねそと 母聞こせども 我が心 清隅の池の 池の底 我れは忘れじ 直に逢ふまでに

みはかしを、つるぎのいけの、はちすばに、たまれるみづの、ゆくへなみ、わがするときに、あふべしと、あひたるきみを、ないねそと、ははきこせども、あがこころ、きよすみのいけの、いけのそこ、われはわすれじ、ただにあふまでに

作者未詳 万葉集 13巻 3289

【意訳】

(み佩かしを)剣の池の 蓮の葉に 溜まった水のように 成行きも 分からないでいる時に 逢うべしとのお告げによって 逢った君なのに 寝てはいけないと お母さんは言われるが (我が心)清隅の池の底のように深く頼んで 私は忘れまい じかに逢うまでは

【反歌】

古の神の時より逢ひけらし今の心も常忘らえず

いにしへのかみのときよりあいけらしいまのこころもつねわすらえず

作者未詳 万葉集 13巻 3290

【意訳】

古の 神代の昔から 男と女は逢って来たらしい 今のわたしの心も ずっと変わらない

詠荷葉歌 蓮葉(はちすば)を詠む歌

蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものは芋の葉にあらし

はちすばは,かくこそあるもの,おきまろが,いへなるものは,うものはにあらし

長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ) 万葉集 16巻 3826

【意訳】

蓮の葉とは このようなものをいうのですね 意吉麻呂(おきまろ)の 家にあるのは 里芋の葉のようだ

「カラー」という花を知っていますか、私も好きな花です。この花が里芋と同じ種類と知ったとき驚きました。でも、言われてみれば似ていますよね。

里芋の葉と蔑んでいるように読めますが、里芋の葉とそれに溜まる水の美しさも知ったうえで、今そこにある蓮をほめているところがこの歌のいいところですよね。

獻新田部親王歌一首 新田部親王に献る歌一首

勝間田の池は我れ知る蓮なししか言ふ君が鬚なきごとし

かつまたの、いけはわれしる、はちすなし、しかいふきみが、ひげなきごとし

婦人(おみなめ) 万葉集 16巻 3835

【意訳】

勝間田の池は私は知っています。「蓮はないのか」と問うあなたの髭が無いと同じように(池に蓮はありませんよ)。 婦人(おみなめ) の歌はいろいろと想像させてくれますよね。 婦人(おみなめ) の詳細は分からないのですが、采女らしいという話があります。この采女とは女官で給仕係りだったようです。 この歌を食事中の会話と想像すると楽しいですよね。

ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む

ひさかたの、あめもふらぬか、はちすばに,たまれるみづの、たまににたるみむ

右兵衛(うひやうゑ) 万葉集 16巻 3837

宮中警護の右兵衛府に使える官人

【意訳】

(ひさかたの)雨もふらないのか、蓮の葉に溜まる水の水玉に似た様を見よう。

公務員って、毎日、毎日、同じ仕事を繰り返すのですよね、、、何か変わったことが無いか、、、と考えての歌かなぁ。 世界大戦を二度も体験した人類にとっては、仕合せな歌に読めますよね。