与謝蕪村と蓮の句

https://blog.goo.ne.jp/19310601/e/ceb2b5aaca70e3fc34242dd8480ac4e0 【与謝蕪村】

より

与謝蕪村。江戸時代中期の俳人で画家としても有名。画号は「春星」大阪生まれといわれていますが、京都与謝野町を出身とする女奉公人「げん」と奉公先の主人との子という話もあり、出自が複雑であったことに間違いないようです。

蕪村は20歳の時、日本橋石町の「早野巴人」に師事。師が亡くなった後は、憧れていた芭蕉の足跡を辿り東北地方の旅に出ます。そして、宿泊費の代わりに描いた絵により、画家としての技量を磨いていきます。絵は独学といわれています。

蕪村は、ご紹介してきた、松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ江戸俳諧の巨匠。沈滞していた俳句に一石を投じました。また、蕪村は俳画の創始者。そのため俳句も写実的な表現が散見されます。こうした蕪村を世に紹介したのは同じ写実派の正岡子規。また、萩原朔太郎の著作による「郷愁の詩人・与謝蕪村」という出版の影響も大きいでしょう。

京都に居を構えてからの蕪村は「与謝」と名乗ります。

45歳で結婚し、51歳の時、讃岐に赴き俳人、画家として円熟の域に達し、多くの優れた作品を残しています。

その後、京都に戻り下京区の仏光寺近くの居宅で、俳句や絵を教える静かな余生を過ごします。蕪村の墓所は左京区一乗寺にある金福寺。享年68歳。

ところで、大学時代は仏光寺通りでアルバイト。京福電鉄の一乗寺で暮らしていました。仏光寺通りにある蕪村終焉の碑。老舗呉服店の前に残存。

「蓮の香や 水をはなるる 茎二寸」<蕪村>

蓮は、茎二寸伸びた所が最も芳香を放つそうです


http://www.kizu.ed.jp/kizu2-jhs/?action=common_download_main&upload_id=1060   【夢限大∞】 より

この泥があればこそ咲け蓮(はす)の花

職員玄関前に大きな信楽焼の鉢が4つあります。この鉢には、独特の大きな葉っぱが美しい水生植物の蓮が植えられています。見ていると清々しい気持ちになることから、仏教で

は極楽浄土に咲く花とされ、古くから親しまれてきました。

春先に植えた苗が、今では所狭しと大きな葉っぱで覆われています。7月中旬~8月中旬に開花を迎えますが、蓮の花は短命で、花びらが開きはじめてから3~4日で散ってしま

うそうです。開花の瞬間を見逃さないようにしたいですね。

また、与謝蕪村が読んだ有名な俳句で、「この泥があればこそ咲け蓮の花」というものがあります。蓮を育てるポイントは、以外に「泥」と関係が深いようです。以下の文を読んで、考えてみましょう。

「蓮の花」は泥の中に根付く。泥の中であろうと、淀んだ水であろうと、蓮は淀んだ水を突き抜けて水面に花を咲かせる。人の世も同じ。この世は「泥」、淀む水は人々。そんな「泥の世」で、「よろこびの種」を探すことは容易ではない。泥の中だからといって後ずさりするのではなく、怠らず、たゆまず、努力をするのだ。自分を信じ、自分を支えてくれる周りの人々を信じ、ただひたすら「生かされている」ことに感謝し、自分から先に手を差しのべていく。人々の土台となる勇気とたくましさを持つのだ。慈愛あふれる笑顔で、「泥の世」に「よろこびの種」を蒔きつづけ、「淀む水中」を力強く抜けていく覚悟が喜びの花を咲かせるのだ。

蓮の花は、「泥」の中から出てきたとは思えぬほど、きれいな花を咲かせます。「泥」の中からたくましく成長する姿は、人の姿に置き換えることができます。今、もし困難やくじけそうなことがあったとしても、「泥」の中で成長する蓮のように、花を咲かせるために準備をしていると思ってみてはどうでしょうか・・・?

日当たりの悪い場所に身を置くと・・・

日の当たらない部分で作った竹笛と日がよく当たっている部分で作った竹笛では、どちらの方がきれいな音色を奏でると思いますか?竹笛作りの名人は、竹を手に持った感触で「こっち」と判断することができるそうです。その答えは、以外にも日の当たらない部分で作った竹笛だそうです。日が当たらない竹ほど、繊維が細く密度が濃いので、高く澄んだ音が出るそうです。

アメリカのスキナーという心理学者が100人を対象にある実験を行いました。

人間も竹と同じというと少し語弊があるかもしれませんが、自分を高めるためには、いつも日当たりのよい場所を探すのではなく、時には日当たりの悪い場所に身を置くことも大切だということです。自分と気が合わない人と接することも、自分の成長にとっては必要なのかもしれませんね。

昔の人は、「艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす」と言って、苦労や困難を耐えてこそ立派な人間になれると言い聞かせていたそうです。



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