西洋医学の歴史の転換期

Facebook・澤江 昌範さん投稿記事  ▪️ジョージ・H・シモンズのクーデター▪️

〜西洋医学の歴史の転換期〜

(1899年)米国医師会誌の編集主幹H・シモンズ

「 一人一人の医師会会員がこの仕事で常に儲けるためには、医者の数が制限されなければならない 」

「 自然療法=お金にならない治療法 」から「 現代医療=検査、薬で稼ぐ治療法 」へ。

ジョージ・H・シモンズは、ずっとホメオパシー派( 同種[同毒]療法。疾患を起こさせる薬物をごく少量投与する治療法 )として多くの市民の治療を行っていた医師でしたが、いきなり自身のホメオパシー医療の病院を閉め、アロパシー( 逆症[対症]療法。病気の症状を押さえることを主眼においた医学で、日本を含め現代医学の中心的となる治療法 )の正当化とホメオパシーやナチュロパシー等を弾圧する活動に踏み切ったそうです。

そのやり方は、お金を持った権力者をスポンサーに付け、そのお金でアロパシー医学の宣伝を打ち、国家権力(法制化)を利用し自然療法派の否定と弾圧を繰り返し、一気に大衆を西洋医療(アロパシー医学)の道へと導くという手法によって見事に成功させました。

1847年、米国医師会が設立された当時は、ホメオパシーの医者の人数は米国医師会の構成メンバーであるアロバシーの医者の二倍以上いたのですが、ホメオパシーの医者たちは各自が独立した個人開業医が多かったために、アロバシー医学からの一斉攻撃に対して十分な対応ができなかったようです。

又、その頃から少数の富裕層だけにしか医師の免許がとれないように、敷居を高くして医療制度の法制化を行い、それ以降はアロパシー医学の絶対性を叩きこまれた医師のみを正道派として増やすことにより、自然療法派を数でも圧倒し、アロパシー医学は完全なる勝利をおさめることになったという経緯があるようです。

そして、そのスポンサーとなった大財閥が支配する石油から現代医療に使われている多くの薬が作られる事とになり、今でも多くの世界の製薬会社の大株主となって、上述の医学教育システムが維持、継続されているのが、現代医療の実態のようです。


http://cocoan0416.com/2017/02/13/health-2/ 【西洋医学の歴史からみる、現代医療が世にはびこる訳】 より

私たち人間は地球上で最も賢い生物と言われ、生態系の頂点にいますが、こと「病」となると、野生動物よりも愚かな行為をしているのではないでしょうか。

人間だけでなく動物も風邪を引く(体調不良になる)ことがありますが、人間はすぐに病院に行き、解熱剤やら抗生物質やらを飲みます。ところが、野生動物は何も食べずじっと体を休めて自己治癒力で体を正常に戻します。

その昔、人間も自己治癒力を促進するための医療行為が中心でしたが、いつの間にやら何かしらの毒薬を体内に摂取し、即効性の反応を期待する対処療法が主流になりました。

この西洋医学への転換期こそ私たちが知らなくてはならない愚かな動物になった瞬間といえるでしょう。

西洋医学の歴史の原点はケガを治すことから始まりました。

その転換期を先に言ってしまうと1899年だったのです。医療の歴史が大きく変わったターニングポイント1899年に一体何が!?

その前に1899年前までの西洋医療の流れをみると面白いことが分かります。西洋医学はそもそも外傷や感染症の治療が原点なのです。

というのもその当時のヨーロッパは戦争があちこちで起き、怪我人が続出してました。西洋式の解剖学から人体への対処法が理解され始めたその時代、応急処置が必要なけが人を治せる外科技術=西洋医学は高く評価されてました。

18世紀のヨーロッパは外科依存から当時でいう“現代医療”が認められ大きくなっていったんですね。

また、その頃、ウィルスとか細菌という存在が発見されるようになり、これを何とかすれば感染病を防げるということでそこを科学的に追求する西洋医学が注目されました。

その当時流行した天然痘を突き止めてワクチンを大発明したとされるエドワード・ジェンナーは今でも医学史上に名を刻まれています。

その頃の西洋医学というのは外科の応急処置において東洋医学では対処できなかった治療法で多くの人の命を救ったという事実がありましたが、実は欧米の中心的な治療法は、ナチュロパシー(自然療法)やホメオパシー(同種療法)が主流でした。

19世紀になると英国、米国に医師会の団体が設立しましたが、この頃もホメオパシー派は医師会の現代医療(アロパシー)派の2倍以上いたと言われています。

それが世に流行る結核やコレラをはじめとする病原菌に対するワクチン研究開発など、医師会の活動が活発化してきます。きっとこの頃だと推測します、、、。世の中の感染症パニックでワクチンにすがる市民とそれに答えようとしていた医師会が少しずつお金に対して目覚め始めてきたのは・・・。

1899年クーデター:西洋医学の歴史の転換期

ジョージ・H・シモンズ博士。彼はずっとホメオパシー派として多くの市民の治療を行っていた医師でした。その彼がいきなり自身のホメオパシーの病院を閉め、アロパシー(西洋医学)の正当化とホメオパシー、ナチュロパシーの弾圧に踏み切るのです。

そのやり方はお金を持った権力者からスポンサーバックアップを受け、そのお金で現代医療の宣伝を打ち、国家権力を利用した自然療法派の否定と弾圧を繰り返し、一気に大衆を西洋医療の道に導くことでした。

また、その頃から少数の富裕層だけにしか医師の免許をとれないよう敷居を高くして医療制度の法制化が行われ、それ以降は西洋医学の絶対性を叩きこまれた医師を正道派として増やしました。その結果、自然療法派を数でも圧倒した西洋医学が勝利をおさめることとなります。

これは「自然療法=お金にならない治療法」から「現代医療=検査、薬で稼ぐ治療法」へと大きな転換をするクーデターに成功したことを意味します。

補足となりますが、そのスポンサーとなったお金持ちは大財閥のロックフェラーであり、彼が支配する石油を使って現代医療に使われる薬が作られています。そして今でも多くの世界の製薬会社の大株主となっています。また、彼が設立した「ロックフェラー医学研究所」を通じて上述の現代医学教育システムを作っていったのです。

さらに驚きなのは、そのロックフェラー家系は今でもホメオパシーによる専門医をつけていて、現代医療の治療は受けていないことで知られていることです。

そんなクーデターの前の1854年、コレラが大流行した時の記録が残ってます。その時、ホメオパシーの病院の死亡率はわずか16.4%だったのに対し、西洋医学(アロパシー派)の病院では50%にも及んでいたそうです。ところが、後でこの記録はロンドンの衛生局が故意に隠蔽されたことが分かったのです。

日本の現代医療依存度は世界でもトップレベル

その昔、日本は東洋医学が中心とされていました。ところが明治維新の開国後から戦争に突入する日本は、ケガなどの応急処置に優れた西洋医学を積極的に取り入れます。そして極めつけが戦後のGHQ占領時によって行われた西洋文化の導入政策です。

占領=市場独占ですので、GHQはアメリカの利益になるような政策を取り入れます。ドル箱市場の西洋医学へと完全移行していたアメリカは、日本も根強く医療文化としてあった鍼灸の東洋医学を排除、弾圧をし、積極的に西洋医学を取り入れていくことになります。そこで日本も完全なる西洋医学の絶対性を洗脳されてしまったんですね。

しかし、現代では西洋医学を広めたアメリカですらも時代の変化で代替医療や自然療法などが注目され拡大していますが、日本は西洋医療鎖国状態のままです。未だにその当時のまま(むしろ拍車がかかり)治療の選択肢は薬漬けの西洋医学一本に絞られていると言っても過言ではありません。

ひいおじいさん、おばあさん世代は昔ながらの伝統治療が頭にありますが、占領時期に子供だった今のおじいさん、おばあさん世代は、西洋医学に依存する傾向がみられますよね。これが完全に日本の西洋医学神格化の原点世代といえます。

西洋医学の歴史を見れば、いかに人間の真なる医療行為に相反し、別の力によって世界に浸透していったのかが分かります。

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