寺村百池旧蔵資料の出現(中野 沙惠)

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与謝蕪村といえば、夜半亭三世を継いだその弟子几董との関係に注目が集まることが多い。すでに天理図書館善本叢書で『几董句稿』上・下(尾形仂氏解題)の影印本が刊行されており、蕪村研究に多大の貢献をしている。

 このたび新善本叢書第五期として、牛見正和氏の解題で『蕪村集』一・二の影印本が出ることになった。そのいずれも、蕪村門で後援者でもあった寺村百池(一七四九~一八三五)旧蔵の資料で、『夏より』『高徳院発句会』『月並発句帖』等の蕪村一門の月並句会記録類等が一に、新出の『夜半亭蕪村句集』が二に収まる。

 一に収まる句稿類は、潁原退蔵博士のペン筆写本(現在京都大学文学部潁原文庫蔵)が夙に知られるが、その一部に学生によった筆写があり、誤記、誤読もまま見受けられた。原本の所在が長い間不明だったゆえに、牛見氏らによる『ビブリア』の翻刻紹介と合わせて、今回の影印本公開の意義は少なくない。また、『夜半亭蕪村句集』はそのごく一部が、乾猷平氏によって紹介されたものの、その後行方が分からなかった。本句集は、四季別に一九〇三句、漢詩一首が記され、このうち二一二句は新出句である。筆写者は主に百池、全体に蕪村による訂正が施されている。作品はかなり作成年次に従って記録されていることが判ってきた。本句集が今後に資するところは大きい。

 講談社『蕪村全集』第一巻は平成四年刊だが、その六年前に尾形先生のお供をして百池の後裔寺村助右衛門家を訪問した時には、今回新出の資料類はすでになかった。当然ながら『蕪村全集』にこれらは反映できなかった。例えば、全集一で作成年次が不明であったり、資料の不備により存疑とされた発句が、本句集の検討を通して正しい位置に据えられることになった。京都の古書肆から天理図書館に収蔵されることになったこれらの資料群が、散逸せず寺村家に伝えられ、いまその所在が明らかになったことに感慨を禁じえない。

 昭和六十一年の寺村家訪問で拝見した資料群は、絵画資料十四点、墨蹟資料十三点にのぼった。絵画資料にはよく知られる「四季山水図」(重要文化財)をはじめとする軸物類、また墨蹟資料には「蓑虫説」「二見形文台記」等の俳文類の外に『夜半翁蕪村叟消息』一巻が含まれる。これは巻子仕立てで、「夜半翁蕪村叟消息」という百池筆の題箋が貼られ、蕪村から百池に宛てた書簡を四〇通余貼り合わせてある。こうした資料や絵画類によって百池が蕪村の経済的な後援者であったことがよく解る。

 芭蕉には杉風というパトロンでもあり、終生師に仕えること篤かった門人がいた。蕪村にとって、その杉風に相当する門人は正しく寺村百池であった。杉風家に伝来するものを「鯉屋物」といって珍重するが、百池家伝来品も、その由緒の確かさと内容の豊富さで、「鯉屋物」に匹敵するといっていい。百池の業績に対して、もっと私たちは高く評価しなくてはならない。

(なかの・さえ=聖徳大学名誉教授・近世文学)