粟島へ はだしまいりや 春の雨

https://ameblo.jp/takatanbosatsu/entry-11824059362.html 【粟島(あはしま)へはだし参りや春の雨】   与謝蕪村 より  『夜半叟』

「粟島」…淡島社。京都市下京区宗徳寺境内にある神社。 紀州粟嶋より

      勧請された。病気平癒・安産子授・良縁祈願の信仰で知られた。

粟嶋社へ裸足で参拝、とは裸足で<願掛け>に行く、という意味。

つまり、ここは女が恋の願掛けに粟島神社へ裸足という壮絶な想いを込めて参る、ということ。

こういうことは各地の神社で多くあり、浅草観音の裸足願掛けは当時から有名で、「なるほど裸足参りというものは、おおおかた色っぽいもおだ」 と 『江戸艶気樺焼』 にも記されている。

気だるいような春雨の中、裸足で参詣するうら若き乙女の足は濡れそぼち、着物の裾も雨に濡れるまま。その姿はある種の色っぽさを醸し出させているが、その反面、素足の音がどことなくもの寂しささえ感じさせる。 

燃え上がる心の情念にひたすら導かれて参詣する女の口から、心から漏れるのは恋の成就…、その相手の男はは一体どこの果報者であろうか…

妖艶ななかに、春の物憂い雨の取り合わせ。 内なる情熱と外なる墨絵のような景色。 こういう色彩感は現代日本人から失われつつあるものだろう。 そういう美を積極的に創造する力は失われ、もはや郷愁のようなものとしてしか味わえないとしたら実に寂しい限りである。

西洋かぶれ、というより西洋同化してしまったとしか思えない昨今の世相事情ではある。

本来、日本人のものが、どこか外国のもののように感じられてしまう、とすればもはや何をか況や、である。

もともと<挨拶>であった俳句や和歌を難しいもの、思ってしまうことがそれを象徴していよう。


https://okamotoorimono.com/kin/awashimado/  【粟嶋堂宗徳寺~西陣織屋が金襴をさがして】 より抜粋

粟嶋堂宗徳寺というお寺がJR京都駅北口の堀川渡って西側方面にあります。

昔から「あわしまさん」と呼ばれて京の女性の信仰篤い「病気平癒、安産子授、良縁祈願」に強いお寺だそうです。

当堂は、西山浄土宗に属する宗徳寺の一堂で、堂内に粟嶋明神を祀ることから粟嶋堂の名で知られている。

寺伝によれば、応永年間(1394~1428)に南慶和尚が紀伊国(和歌山県)淡嶋から粟嶋明神を勧請して上洛する際、当地辺りで急にご神体が重たくなったので、神意としてここに祀ったのが起こりといわれている。以来宗徳寺の鎮守社、粟嶋神社として祀られてきたが、明治時代の神仏分離により粟嶋堂と改められた。

粟嶋明神は、古来より婦人の守護神とされ、婦人病平癒や暗算祈願に御利益があるといわれ、当堂も女性の参拝者が絶えない。与謝蕪村も当堂を訪れ、娘の病気回復を祈願した。その時詠んだ句が境内の石碑に刻まれている。また、当堂北の庭内にある石灯籠は、応永二十八年(1421)の刻名のある弥陀板碑が用いられている。

と書いてあります。「その時詠んだ句が境内の石碑に刻まれている。」は↓ですね。

「粟島へ はだしまいりや 春の雨」—与謝蕪村が娘の病気平癒を願いに来た時の句だということなので、願掛けのために「裸足で参る」だったの?

調べてみたらやはりそうですね。はだしまいり:強い祈願の気持ちを表すため、はだしで神仏に参拝すること。だそうです。goo辞書→跣参り

私には出来るかしら。

単なる「神頼み」だったら出来ないかもしれない。でも「絶対に」子供の病気が完治するなら跣参りくらい平気だと思います。・・・その場になってみないと解らないということですね。経験したくないものです。