朝顔に釣瓶とられてもらひ水

https://haiku-textbook.com/asagaoni/  【【朝顔に釣瓶とられてもらひ水】俳句の季語や意味・表現技法・作者など徹底解説!!】 より

世代を超えて受け継がれる伝統文芸の一つ「俳句」。

みなさんも国語の授業で有名な俳人の句を習ったことでしょう。

最近ではテレビ番組でも多く取り上げられ、趣味として俳句を楽しむ人も増えてきました。

そんな 数ある名句の中から、加賀千代女の代表作【朝顔に釣瓶とられてもらひ水】という句。

現代の生活では聞きなれない「釣瓶」や「もらひ水」という言葉に、どんな意味があるのでしょうか。

今回は「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」の季語や意味・表現技法・作者など徹底解説していきます。


朝顔に 釣瓶とられて もらひ水

(読み方:あさがおに つるべとられて もらひみず)

この句の作者は「加賀千代女(かがの ちよじょ)」です。

江戸中期に活躍した女流俳人で、生涯で約1700余の句を残したといわれています。この句は彼女の代表作として広く知られ、今も多くの人々に親しまれています。

季語

この句に含まれている季語は「朝顔」で、季節は「秋」を表します。

朝顔といえば夏休みの観察日記のイメージが強く、夏を連想する方も多いと思いますが、俳句では「秋」の季語になります。

なぜかというと季語は旧暦の二十四節季をもとに分類されており、現代の新暦に置き換えると約1ヶ月の遅れが生じてしまうためです。

そのため朝顔が盛りを迎える8月は、旧暦では秋の始まりである「立秋」に区分され、初秋の花として詠まれてきました。

意味(現代語訳)

こちらの句を現代語訳すると・・・

「朝顔の蔓が井戸の釣瓶に巻きついていた。水を汲むために蔓をちぎってしまうのは可哀想なので、隣の家に水をもらいにいった」

という意味になります。

※釣瓶(つるべ)とは、井戸の水をくみ上げるために縄や竿をつけた桶のことです。

この句が詠まれた背景

朝顔は奈良時代に遣唐使が薬草として中国から持ち帰ったといわれています。

現代のように観賞用に栽培されるようになったのは、江戸時代に入ってからのことです。

この句が作られた当時、朝顔は鑑賞花として普及し、庶民の日常生活に溶け込んでいきました。そのため、朝顔は生活感ある句に使われることが多い季語でした。

また水道もない江戸時代においては、井戸から水を汲むことから一日が始まります。水汲みは重労働のようにも思えますが、古来より女性の大切な仕事でした。

この句は朝顔や水汲みといった何気ない日常風景を描いたもののように感じますが、背景には女性ならではの視点で、自然を思いやる心の美しさが詠みとれます。

「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」の表現技法

この句に使われている表現技法は・・・

「釣瓶とられて」の擬人法

「朝顔に」の「や」への詠みなおし

「もらひ水」の体言止め

が挙げられます。

「釣瓶とられて」の擬人法

擬人法とは植物や動物、自然などを、人がしたことのように表す比喩表現のひとつです。例えば、「花が笑う」「光が舞う」などといったものがあります。

この句では朝顔を擬人化しており、「鉄瓶とられて」を「(朝顔に)釣瓶を取られてしまったわ」と訳すことができます。

擬人法を取り入れることで、女性の朝顔に対する優しさがより伝わる句になっていますね。

「朝顔に」は「や」に詠みなおされた?

この句が作られた当初は「朝顔に」でしたが、千代女が35歳のころ「朝顔や」と詠みなおしています。

「に」から「や」へ変えた理由は明らかになっていませんが、感動を詠嘆を表す「や」に変えたことで、朝顔の鮮やかさに感動している様子がいっそう強調されています。

しかし「や」は切れ字になるため一度文が切れてしまい、「朝顔」と「釣瓶とられて」が直接的に結びつかなくなってしまいます。

このことから後の世では、当時泥棒が横行していた背景も踏まえ、釣瓶は盗まれたのではないかなど、様々な解釈が生まれました。

「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」の鑑賞文

青い花, 朝顔, クリーパー, ウォールカバー, 開花, ヒルガオ, 紫の花, Mallowsの, 自然

この句を詠んでいるのは、朝顔が美しく咲く時間帯、つまり夜明け前のほの暗い頃だと分かります。

女性は食事の支度のため朝早くから水を汲もうとすると、釣瓶に朝顔の蔓が絡んでいました。

健気に咲く朝顔を切ってしまう気にもなれず、「釣瓶をとられてしまったわ」と、隣家の井戸まで水を汲ませてもらいにいったという意味です。

普通なら朝の忙しい時間帯に、植物のことまで思いやるのは難しいことでしょう。しかし、思わず引きちぎるのをためらってしまうほど、その日に咲いた朝顔は格別の美しさだったといえます。

この句に切り取られた光景は、普段の日常生活におけるささいな出来事かもしれませんが、朝の風情ある朝顔との出会いが魅力的に詠まれています。

作者「加賀千代女」の生涯を簡単にご紹介!

加賀千代女(1703年-1775年)は、現在の石川県の南部に位置する白山市で、表具師福増屋六兵衛の娘として生まれました。

一般庶民にもかかわらず幼い頃から俳諧に親しんでおり、12歳の頃に奉公先で俳諧を学ぶための弟子となります。その後16歳の頃には、才能を認められ女流俳人としての頭角をあらわしていきました。

通説では、18歳の頃金沢藩の足軽福岡家に嫁ぐも、20歳で夫と死別し実家に帰ったと伝えられていますが、文献的には未婚であったと記されたものが多く、結婚したかどうかは説がわかれています。

52歳の頃には剃髪し、以降は素園と号しています。

73歳という長寿の末亡くなりますが、そのとき「月も見て 我はこの世を かしく哉」の辞世の句を残しています。

作風は通俗的ですが、ひとつひとつの句に女性らしい思いやりや感謝に溢れたものが多く、当時世の人々に広く受け入れられました。

加賀千代女のそのほかの俳句

(朝顔に つるべ取られて もらい水 出典:Wikipedia)

「月も見て 我はこの世を かしく哉」

「何着ても うつくしうなる 月見かな」

「夕顔や 女子の肌の 見ゆる時」

「紅さいた 口もわするる しみづかな」

「落ち鮎や 日に日に水の おそろしき」

「初雁や ならべて聞くは 惜しいこと」

「行春の 尾やそのままに かきつばた」

「川ばかり 闇はながれて 蛍かな」

「百なりや 蔓一すじの 心より」

「蝶々や 何を夢見て 羽づかひ」

「ころぶ人を 笑ふてころぶ 雪見哉」

「髪を結う 手の隙あけて 炬燵かな」

「月もみて 我はこの世を かしく哉」

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