Facebook・清水 友邦さん投稿記事
どんな生物にも緩やかに数が増える助走期、急激に増える大爆発期、安定する安定平衡期の3段階があります。それを生物学では「ロジスティック曲線」といいます。
多くの生物は大爆発期が終わった後、資源を食い潰して滅びます。
現代社会は偽りの欲求をいい車、いい家、高価な宝石、一流ブランドの衣服、昇進、成功、金と権力、名声、地位、財産など物質的な欲望で満たそうとします。
満たされない欲求を消費社会では消費によって表現しようとしますが、それは偽りの欲求なのでいくら大量消費しても本当の満足はえられません。
現代の企業は近視眼的で一体何の為に利益を上げているのかわからなくなっています。労働者が失業するから消費を増やさなくてはと言う考えは、資源はやがて枯渇するという事実を無視しています。
利益を上げる事だけの目的に同化して自己増殖を続けると最後は資源を食いつぶし破滅します。
現代社会は偽りの価値に縛られ機能不全に陥っています。
人間は物質的な欲望に振り回されて自己中心的な行動をとり、他の生物を滅ぼし自身の生存まで脅かしていることに気がついていません。
農地面積が拡大する一方で、森林の面積は急速に減少し、すでに地球の半分以上の森が消失しています。
私達は今、人類史の大転換期にいます。
「物質的な成長を求めない」生き方や価値観やシステムを生み出す安定平衡期に移行する段階に来ています。
それは、発展も進歩もなく、永遠の至福がいまここに持続している世界です。
東日本大震災の震源地に最も近い宮城県金華山黄金山神社を参拝しました。
参拝した7月25日は龍神祭りの日でした。
カミさんは東日本大震災の震源地で鎮魂の舞を奉納しました。
金華山は安芸の宮島・大和の天河・近江の竹生島・相模の江の島とともに日本五大弁財天と言われています。
そして、金華山は恐山、出羽三山と並ぶ「奥州三霊場」にも数えられています。
地震直下だった黄金山神社の境内や参道などは甚大な被害を被りましたが明治期に建立された社殿(御本殿・拝殿)だけは、地震による被害が全くありませんでした。
金華山は周囲26キロの黄金山神社以外の民家が存在しない離島で500頭近いニホンジカが生息しています。
鹿は古くから神の使い「神鹿(しんろく)」として大切にされ、猟が禁じられてきました。
草食動物であるシカが島中の植物をどんどん食べるので林が育たず島は草原化して金華山はハゲ山のようになっています。
芝以外の低木や藪が食べつくされると、それを食べる昆虫がいなくなり、今度はその昆虫を食べる鳥がいなくなります。こうして生物多様性が失われて生態系は変わってしまいます。
芝は夏の間しか生えないため、寒さが厳しい冬は食糧がなくなってしまいます。その為500頭いた鹿のうち300頭の鹿が死ぬ大量死が起こっています。
金華山とおなじく、地球も人間が生きていくために必要な資源は有限なので、欲望のまま使い捨ての大量消費を続けたなら必ず資源を食いつぶすことが起きます。
このままでは金華山の鹿とおなじく人類の大量死が起きる可能性があります。
https://ameblo.jp/otamajax007/entry-12389297633.html 【現代社会はどこに向かうか(見田宗介)】 より
巨大な視野、最新のデータ、透徹した理論 それらを駆使して描く<永続する幸福の世界>
現代社会はどこに向かうか~高原の見晴らしを切り開くこと(2018)
◆著者 見田宗介(1937~)
◆出版 岩波新書(2018)
現代社会はどこに向かうか~高原の見晴らしを切り開くこと
見田宗介さんは、『現代社会はどこに向かうか』において、現代を規定している最も大局的なものは「ロジスティック曲線」というものであるといいます。
この「ロジスティック曲線」というのは、生物学において用いられている用語です。
一定の環境条件の中に、例えば孤立した森の空間に、この森の環境要件によく適合した動物種を新しく入れて放つと、初めは少しずつ増殖し、ある時期急速な、時に「爆発的」な増殖期を迎え、この森の環境容量の限界接近すると、再び増殖を減速し、やがて停止して、安定平衡期に入る。これを図に表したものが「ロジスティック曲線」と呼ばれ、緩やかなS字曲線となります。
地球という有限な環境下にある人間という生物種も、このロジスティック曲線を免れることはできません。
人間のロジスティック曲線は、第Ⅰ期=定常期(原始社会)→ⅠからⅡへの過渡期→第Ⅱ期=爆発期(文明/近代社会)→ⅡからⅢへの過渡期→第Ⅲ期=定常期(未来社会)となります。そして、「ⅠからⅡへの過渡期」をカール・ヤスパースの言葉を使って「軸の時代Ⅰ」と呼び、「ⅡからⅢへの過渡期」を「軸の時代Ⅱ」と呼びます。
そして、現在は変化の急激な「近代」という爆発期を後に、変化の小さい安定期の時代に向かって、巨大な転回の局面を経験しつつあります。この展開の経験が、「現代」という時代の本質であると、見田さんは述べます。
現代の<情報化/消費化社会>は無限の消費と無限の生産を目指して成長してきました。しかし、現代はその<情報化/消費化社会>がグローバル化することによって、<地球>という究極的な有限性に向き合うことになりました。
これまで無限に成長する生産=消費のシステムの生産の起点と消費の末端において、資源の有限と環境の有限という有限性にぶつかることになります。近代社会は、資源を「域外」から調達し、廃棄物を海洋や大気圏を含む「域外」に排出することを通して、無限の生産=消費を目指して走ってきましたが、生産=消費がグローバル化することによって<地球>という最終的な有限性に行き着きます。
ロジスティック曲線の第Ⅱ期「爆発期」の頂点にある「近代」という時代は、もはや無限の成長を求めえない時代となってきたのです。
ロジスティック曲線の第Ⅱ期(爆発期)にある動物種にとって、たとえば森は、「無限」の環境容量として現象し、増殖のための「征服」の対象です。しかし、第Ⅲ期(安定期)にある動物種にとって、森は「有限」の環境容量として立ち現われ、安定した生を永続するための「共生」の対象として存在します。
ⅠからⅡへの移行期「軸の時代Ⅰ」は、人類が無限の前に初めて立たされ、無限に戦慄を覚え、無限にどのように対していったらいいかが初めて問題になった時代でした。そこで、人類は様々な普遍的な思想、ギリシャ哲学、キリスト教、仏教、諸子百家等の思想を生み出し、無限に対してきたのでした。
それに対してⅡからⅢへの移行期「軸の時代Ⅱ」では、今度は究極的な「有限」の前に立たされた人類は、「有限」という真実にたじろぐことなく立ち向かい、新しい局面を生きる思想とシステムを構築していかなくてはならなくなっています。
以上のようなロジスティック曲線の第Ⅱ期から第Ⅲ期への過渡期として現代を捉えることを根底において、見田さんは現代において現れている様々な現象を位置づけていきます。
例えば、「近代家族」のシステムと婚姻主義的な性のモラルの解体。「生活満足度」の増大と「保守化」。<魔術的なるもの>の再生。これらを経済成長課題の、これによる合理化圧力の解除、あるいは減圧ということによって一貫した理論の中で、全体統合的に把握しています。
さらに、セレブリティ(セレブ)からセレンディビリティ(拾いもの、見つけもの、掘り出しもの)への若者の感覚の変化、シンプルなもの、ナチュラルなもの、持続するものに対する志向の肯定、こうしたものにも言及しています。
こうした傾向は日本だけではなく、先進国と呼ばれる地域において同時に進行しているということです。その基底には「脱物質主義」「寛容と他者の尊重」「共存と共生」等があると述べています。
第Ⅲ期にある局面では、第Ⅱ期の生産主義的、未来主義的な生の<合理化>=<現在の空疎化>という圧力を解除されることによって、<幸福の原層>と呼ぶべきものがこの世界の中に存在していることの<単純な至福>を感受する力が解放されていくとも言います。
ロジスティック曲線の第Ⅲ期は、これまで上昇し続けてきた「近代」という時代から、安定的な定常状態に移行完了した時代になります。その安定的な定常状態がどのようなものであるのか、「高原の見晴らしを切り開くこと」という章で描いています。
最後の補章は、そうした第Ⅲ期へと、私たちが軟着陸するための「世界を変える二つの方法」と題されています。「胚芽をつくる」「肯定的する革命」「連鎖反応という力」「一華開いて世界起こる」等の魅力的な変革の方法が書かれています。
私たちはこの『現代社会はどこに向かうか~高原の見晴らしを切り開くこと』を読むことによって、来るべき新しい時代を準備する方向を知ることができるようになるのです。
この著書には、見田宗介さんのこれまでの仕事が、ロジスティック曲線の見晴らしの上に再配置され、統合されているようにも思います。
近くは『現代社会の理論』や『社会学入門』を直接に受け継いでいますし、1970年代に書かれた『現代社会の存立構造』や『気流の鳴る音』、その後の『時間の比較社会学』『自我の起源』等々で解明されてきたことが、有機的に取り込まれています。
見田さんの理論的な到達点であり、総括的な仕事でもあると思います。
ぜひこれからを生きてく若い人にも読んでいただきたい本です。
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