言葉のチカラ

http://j-vac.co.jp/words_chamfort_laughter/  【【言葉のチカラ】笑い】 より

新型コロナウイルスの感染拡大によって世界中が大きな困難に直面しています。

しかし人類は今までも数々の苦難に遭遇しながら、そのたびにそれらを乗り越え、力強く立ち上がってきました。

「言葉」によって目に見えないものの存在や価値を認識することができる唯一の生き物である私たち人間は、そのような苦境に直面した時、たった一つの「言葉」との出会いによってその苦境を乗り越える勇気や希望を与えられることがあります。

言葉がもつそのような「チカラ」を信じ、ここでご紹介する言葉が、誰かにとってのそのような出会いの言葉となることを祈って。

すべての日々の中でいちばんもったいないのは、笑わなかった日である。(ニコラス・シャンフォール)

笑うことができるのは人間だけ、とはよく言われることですが、私たち人間にとって「笑い」というのは生きていく上で欠かせないものであり、苦しいときの笑いほど心が救われることはありません。

せっかく生きているのだから笑って過ごしたい、というのは誰しもが思うことでしょうが、困難なときにあってはそれを忘れてしまうことも多々あります。「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいのだ」と言われることがよくありますが、楽しいことを待っているだけでなく、辛いときこそあえて笑顔で過ごす、という「意思」が必要なのでしょう。

この新型コロナ感染拡大の中で、コメディアンの志村けんさんが亡くなったことはとても大きな衝撃でした。そして失って初めて私たちにとっての志村さんの存在の大きさ、そして何十年にもわたって笑いを届け続けてくれたことの功績の大きさに気づかされた人は少なくないと思います。

それほどまでに私たちにとって大きな意義を持つ「笑い」。辛いときこそ、笑うことを忘れないでいたいものです。

ニコラス・シャンフォール(1741~1794)

フランスの劇作家、モラリスト。


http://j-vac.co.jp/words_hesse_sky/ 【【言葉のチカラ】空】 より

日の輝きと暴風雨とは、同じ空の違った表情にすぎない。(ヘルマン・ヘッセ)

ヘルマン・ヘッセは『車輪の下』『デミアン』『シッダールタ』といった作品で知られるドイツの作家です。平和主義を唱えていた彼の作品は、当時のナチス政権から「時代に好ましくない」というレッテルを貼られてドイツ国内で紙の割り当てを禁止されるなどの苦難に遭いますが、戦後の1946年に『ガラス玉演戯』などの作品が評価されてノーベル文学賞を受賞し、20世紀前半のドイツを代表する作家となりました。

飛行機で雲の上高く空を飛んでいると、飛び立つときは大荒れの天気であっても、それは雲の下だけであって、その上の空は晴天のときと変わらない空であることに気づかされます。そう考えると、穏やかに晴れた日の空と、暴風雨の日の空とは、一見まったく異なる空のように見えますが、それは地上にいる私たちの視点からの一つの見え方に過ぎない、ということに納得がいきます。

平穏で順風満帆の中にあっては自分を取り巻く世界も輝いて見えるでしょうし、大きな挫折や試練の渦中にあっては暗闇に見えることもあるでしょうが、それはより大きな視点から見れば同じ世界の異なる表情でしかない。そしてその表情は決して止まることなく、常に変化していることを考えると、順調なときにあっては逆境に陥ったときの備えを怠らず、そして逆境のときにはそれも必ず終わりが来ることに希望をもつことが重要なのでしょう。

ヘルマン・ヘッセ(1877~1962)

ドイツ生まれのスイスの作家。ノーベル文学賞受賞者


http://j-vac.co.jp/words_kahneman_risk/ 【【言葉のチカラ】リスク】

我々のリスク認知は、比較的小さなリスクを過大評価し、大きなリスクを過小評価する傾向がある。(ダニエル・カーネマン)

ダニエル・カーネマンは『ファスト&スロー』などの著作で日本でも広く知られる心理学者、経済学者です。心理学に基づくより現実的な意思決定モデルをエイモス・トベルスキーとともに理論化した「プロスペクト理論」は行動経済学の代表的な理論の一つとして知られ、2002年にノーベル経済学賞を受賞しました。

「リスク」という言葉は「リスクマネジメント」「リスク管理」というような形でビジネスの世界でもよく使われますが、そもそも何を「リスク」と捉えるかによってその後の管理は全く変わってきます。リスクの大きさを評価する様々な手法も開発されていますが、そもそも誰にも分からない不確実な未来の状況に対してそれを完全に客観的に評価することは多くの場合非常に難しく、どうしても評価する人の経験や思考の偏りによる主観的な要素が入ってしまうことが避けられないのも事実でしょう。

2001年9月10日までの時点では、おそらく世界中のほとんどの人は旅客機が高層ビルに突っ込むようなことが起こることを考えてもいなかったでしょうし、2011年3月10日までの時点ではあれほど巨大な津波が起こることを少なくとも現実感をもって想定している人は非常に少なかったでしょう。そして現在の新型コロナのような感染爆発が世界中で起こることも2019年末の時点ではほとんど誰も考えていなかったと思います。

しかし今になると、これらのことは過去の長い歴史を見れば必ずしも全くありえない話ではなかったことにも気づかされます。その意味で、私たちのリスク認知はあまりに大きなリスクからは目を逸らし、対応可能なもっと小さなリスクばかりに目を向けてしまう傾向があるのでしょう。

あらゆることを恐れてばかりいてはキリがありませんが、少なくとも自分たちが経験したことだけでも風化させず、今後のリスク認知に活かしていきたいと思います。

ダニエル・カーネマン(1934~)

アメリカの心理学者、行動経済学者。


http://j-vac.co.jp/words_alain_optimism/ 【【言葉のチカラ】楽観主義】

新型コロナウイルスの感染拡大によって世界中が大きな困難に直面しています。

しかし人類は今までも数々の苦難に遭遇しながら、そのたびにそれらを乗り越え、力強く立ち上がってきました。

「言葉」によって目に見えないものの存在や価値を認識することができる唯一の生き物である私たち人間は、そのような苦境に直面した時、たった一つの「言葉」との出会いによってその苦境を乗り越える勇気や希望を与えられることがあります。

言葉がもつそのような「チカラ」を信じ、ここでご紹介する言葉が、誰かにとってのそのような出会いの言葉となることを祈って。

悲観主義は気分だが、楽観主義は意思である。(アラン)

アラン(ペンネーム、本名はエミール=オーギュスト・シャルティエ)は『幸福論』で知られるフランスの哲学者、評論家です。

つらいことがあったとき、悲観主義に陥るのは単に気分に流されているだけであり、そこでもあえて楽観的に振る舞うためには強い「意思」が要る。ややもすると悲観主義に浸っている人の方がカッコよく、頭が良さそうに見え、楽観的な人は何も考えていない浅はかな人に見えてしまうことがありますが、放っておいたら悲観的になってしまいそうな状況にあって、それでもなお楽観的な態度を崩さないためには、確かに相当強い意思が必要だと思います。

以前ここでご紹介したビクトール・フランクルも、ナチス強制収容所で生死を分けたのは、「未来に対して希望を持ち得ているか否か」だったと言います。あの普通に考えたら全く希望を持つことができない絶望的な状況の中で希望を持つというのはよほどの楽観主義だと思いますが、それは自然とそうなるものではなく、そのような明確な意思を持つことによって可能だったのかもしれません。

辛いときこそ、悲観的な気分に流されることなく、楽観的であろうとする意思を強くもって行きたいと思います。

アラン(1868~1951)

フランスの哲学者、評論家、モラリスト。


http://j-vac.co.jp/words_bismarck_history/  【【言葉のチカラ】歴史】  より

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。(オットー・ビスマルク)

オットー・ビスマルクは、北ドイツ連邦首相、ドイツ帝国首相を歴任したドイツ統一の中心人物で「鉄血宰相」とも呼ばれた政治家です。

経験は大切ですが、自分一人の経験を振りかざし、それを絶対視するのも早計でしょう。長い人類の歴史に比べれば、たかが一人の人間が数十年間に経験したことなどは取るに足らないものということすら言えるかもしれません。この言葉は、そんな自分の限られた経験を過信しそうになったときにそれを戒めてくれる言葉だと思います。

しかし一方で、この数十年の間に私たちが経験した様々な出来事を振り返ってみたとき、それらの経験からきちんと学ぶべきことを学んでいるかと問われたら、はなはだ心もとない思いになることも多々あります。そう考えると、歴史に学ぶことはもちろん、私たちはそんな自分の限られた経験に学ぶことすらも時として簡単ではない、ということも言えるのかもしれません。

今回のコロナ禍での経験を忘れることなく、そこから学ぶべきことをしっかり学び、将来に活かしていくことができなければ、私たちはビスマルクの言う「愚者」にすらなれない、ということも言えるのではないでしょうか。

オットー・ビスマルク(1815~1898)

プロイセン、ドイツの政治家、貴族。