言霊はこうして実現する②

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【第三章 言霊・神道と最先端科学の融合】 より

言霊・神道を科学で解き明かせるか?

新しい時代のパラダイムに基づいて、自らを取り巻く現実を創造しようとするとき、『古事記』の多元的理解という考え方がある。世界各地の文化的資源をオリジナルに近い形で蓄積・保存してきた日本語や神道に関しても同じことがいえるだろう。

現在、七沢氏は、次のような理念に基づいて、科学の方向から日本語や神道を理解しようという試みを行っている。

「科学的であるということを考えるとき、たとえ自然科学的に証明が不十分であったとしても、人文・社会科学的な概念に新たな視野が立ち現れればいいのではないでしょうか?それが私のいう現実化ということです。科学では主に左脳(さのう)を使い、宗教では主に右脳(うのう)の働きに傾く。そうなってしまうと、まんべんなく左右両方の脳を使ったときに、自己の全存在が感動でどれほど打ち震えるかということを知ることがないのです。その体験は、言葉が自己と結びついたときの喜びだといえるでしょう。

学んだことを役立てられないのは、その学んだこと(概念)が自分の中で改めてトレースされ、体感的な喜びを伴って自己と結びつけられていないからです。だから、体感的に一体化できず、実用的に役立てることもできないのです。

ある意味では、どのような知識であれ幻想のようなものです。ですから、実践的にそれを捉えて、肝心なときに使えればそれでいいと考えています。科学や哲学に対する私のスタンスはそのような感じです。特定の目的や前提条件がある場合に、それに合う形で知識を収集して実利的に自己の哲学と方法論を形成すればいいのです。そして、それはある程度までは恣意(しい)的な解釈で押し切らないとなしえません」

七沢氏はさらに、各自がそれぞれの宇宙論を書くことを提案する。

「近代における個の確立というテーマは『主体の確立』と言い換えられます。私が目指しているのは、その主体を広げていくことであり、心理的あるいは体感的に主体を拡張する、解放するといったことです。それは、自己意識と宇宙意識を等価にすることであり、意識したことが宇宙になるということを意味します。これは、人類に進化と生存の希望を与えるでしょう。

これからは、皆それぞれの宇宙論を自分で書いてみればいいのです。おそらく、今の科学の普遍性を推し進めていくと、一人一人が宇宙の作り手になるところまで意識を広げていくことになります」

言霊は学問であると同時に、それに思いを巡らせること自体が霊的な実践となっていた。それと同様に、科学を踏まえた上で各自が実感を持てる宇宙論を書いてみることは、創造の担い手としての自己が進化することを意味するのかもしれない。

その考えるためのヒントとして本書では、「対称性の自発的な破れと言霊」「量子場脳理論と言霊」「DNAと言霊」という三つのキーワードに関して大胆な仮説を述べていく。

ただし、以下は少し専門的な科学的解説を含むため、苦手な方は読み飛ばして第4章に進んでいただいてもかまわない。

【第四章 言霊で現実を創造する方法】

ブームとなった「ありがとう」

「ありがとう」という言葉が大きなブームとなっている。

普段、私たちが日常的に使っている言葉が話題に挙がっているその理由は、この言葉に幸福な出来事を招く力があると信じられているからだ。

120万部を超える大ベストセラーとなった『ツキを呼ぶ魔法の言葉』(とやの健康ヴィレッジ)は、その「ありがとうブーム」の火付け役の一つである。

工学博士である著者の五日市剛(つよし)氏は、若いころにイスラエル旅行を経験。それは失意の旅であったが、その途上で出会った老婦人が教えてくれた二つの言葉「ありがとう」「感謝します」と、もう一つ「ツイている」という言葉によって、氏の人生は大きく変わることになった。

そして、その体験を本にした『ツキを呼ぶ魔法の言葉』がクチコミでじわじわと知られるようになり、最終的に、多くの人々がそれらの言葉によって自らの人生を好転させることに成功したのだ。

同じように「ありがとう」によって人生を好転させた体験を分かち合っている人物に、『宇宙を味方にする方程式』(致知出版社)など多数の本の著者として有名な小林正観(せいかん)氏がいる。小林氏によると、「ありがとう」と唱えることで、それに見合った現実がやってくるのだという。

また、日本において近年大きなムーブメントとなってきている、ハワイのホ・オポノポノという問題解決の手法もまた「ありがとう」に関係する。

これは、精神医学の研究者であるイハレアカラ・ヒューレン氏がハワイの伝統的な手法をアレンジしたものであり、問題を起こしている自分の潜在意識に向けて、「ごめんなさい」「許してください」「ありがとう」「愛しています」という四つの言葉を繰り返すことによって実践される。

ホ・オポノポノがある種のセラピーであることは間違いない。だが驚くべきことに、この手法は現実の出来事をも変えられるのだという。

事実、ヒューレン氏は、重罪を犯した精神障害者施設において、一人一人の受刑者に対する自分の思いをクリーニングすることで、収容者らの精神状態を大きく改善している。

この手法では「ありがとう」以外の言葉も用いられるが、いずれにせよ、肯定的な言葉を口にして現実を変えるという点で、前出の五日市氏や小林氏の考え方と共通したものだといえるだろう。

【エピローグ タミの時代に求められる新たな帝王学とは】

日本における帝王学の真義

伯家神道はある種の帝王学(ていおうがく)であり、一方、明治天皇が興した言霊学は、天皇の統治のあり方を『古事記』などから読み解くための学問である。

帝王学というと、こと近代日本においては、儒学と西欧帝王学とを合わせたものという印象が強いが、日本の伝統においては、国見儀礼に見られるように、天地自然との交感と言霊の力の行使が天皇の役目とされていた。

つまり、日本における帝王学とは、民を治めるばかりでなく、国津神として象徴される天地自然とのつながりや、天津神として象徴される言霊の使い方といったところまで踏み込むものであったのだ。

ここで、「帝」「王」の語源について考えてみたい。

白川静氏の『字統』によると、「帝」という字は神を祀るときの祭卓の形の象形であり、「王」という字は王位を示す儀礼用のマサカリであるとされている。すなわち、いずれも宗教的儀礼がそこには関係しており、その観点に立つならば、伯家神道が伝えてきた日本古来の帝王学こそが真に正統の帝王学であるといえそうだ。

そしてそれは、プロローグで述べた、いにしえの「王道」でもある。

だが、天皇が実際に統治を行うわけではない。民主主義のこの時代にあって、そのような帝王学を私たちはどう捉えればいいのだろうか?

ここまでお読みいただいた方ならお分かりのことと思うが、国家の主権が「キミ(君=天皇)」から「タミ(民=民衆)」へと委譲(いじょう)された現代日本においてなお、言霊学と伯家神道の伝える統治の原理はおおいに有益であるというのが、本書の一貫した主張だ。

このエピローグでは、ここまでの本書の内容を振り返りつつ、その情報をどのように各自が役立て、また新時代のパラダイムとして社会に還元していくかということについて、七沢氏が提唱するそのビジョンに迫ることにしよう。